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代々木上原の喫茶店にて

隣の席の男二人が雑談をしている。
年齢はどうやら七〇を超えているようだ。まさに旧友との雑談といった様子で、ゴルフのこと、最近やっている再生医療のこと、昔の女の話、今のセックス事情などについて、大まかに、そして下世話に自分達の話をしていた。

彼らの話の中で特に耳を傾けてしまったのは、昔の女の話だ。
当時彼らが十七歳で社会に出た頃、年上の女性と付き合うのはどうやら男のステータスの一つだったらしい。片方の男がそれを叶えた時期があったらしく、もう片方が当時のその友の年上の彼女を思い出していじっていた。
しかし当の本人は、今思えば背伸びをし過ぎていたと、自分には有り余る女性だったという。少し歳を過ぎてからは、年に見合った、または自分よりずっと若くて可愛い女性を複数人経験する方が楽しいのだという。片方の男もそれに同意していた。

二人の男はそれぞれ色々な女性と遊び過ごし、今はやっと落ち着いたと、ゴルフや再生医療にお金を使い過ごすようになったと笑う。

彼らの若いときは彼らにとって黄金の時代で、今もそれを思い出して楽しい気持ちにさせてくれるようだった。
それはとても素敵なことで、楽しそうに話す二人を私は心から羨ましいと思った。

一方で、私がもしその時代の女性として過ごしていたとしたら、きっととても生きづらいと感じたとも思う。

同じ年代の祖母の会社員時代の話をふと思い出す。あれは衝撃的だった。
若い女性にちょっと触れるだけで元気が出る男性と、それをお局に言われ、業務中や飲み会の間は素直に肩を抱かれる女性の構図。祖母はそれが、若い女性としてチヤホヤされることで、当時の女性のステータスの一つだと認識していた。
私には考えられない思考だった。私だったらきっと肩に置かれた手振り払い、「セクハラです」と大声を上げて逃げてしまう。
しかし、その時代の彼女ら、彼らはそれでいいのだ。それが良かったのだ。

だから私は否定せず、ただその時代の片鱗に触れながらコーヒーを飲む。

いつか時が流れて、私の価値観が世にそぐわないものになったとしても、そのときは自分は確かに幸せだったのだと、楽しかったのだと胸を張って思えるように。

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