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投資に人生を狂わされないために

皆さん、こんにちは。

今回は投資にまつわる少し悲しいニュースを目にしたので、それに対していくつかの視点を交えながら話をしたいと思います。そのニュースは以下です。

悪いのはアプリだという説

近年の技術やサービスの発達により、株式投資はPCすらなくても簡単にできるようになりました。また、可能な取引も株式だけでなく、FXやオプションなど、多種多様であり、プロと同じ環境でできるようになったことは称賛に値します。つまり、

機会の平等

がもたらされたわけです。それは、そのサービスを提供するアプリや企業の高い志でもあります。

一方で、今回厳しい目を向けられているように、金融業界には、顧客の経験と知識に基づいて、金融商品の取引をさせることとする、

「適合性の原則」

もあり、それを超えた機会の平等を提供することについて、複雑な取引であれば十分な説明があるべきであったというのが一つの言い分です。

悪いのは投資家だという説

自殺にいたった投資家とその関係者の方にはお悔やみを申し上げたいと思いますが、そうした極端な結果にならずとも、投資を通じて人生を狂わされることはゼロではありません。その際にいつも出てくるのは、「投資は自己責任」という言葉です。また、今回の場合はそれに加えてアプリのユーザーとしてのリテラシーの問題も絡んでいます。(この点は今回は割愛します。)

投資においては、誰かを、あるいは会社を“信じて”行うケースはありますが、投資を行う資金は必ず投資家が出します。だから、(任せるという意思決定も含めて)投資家の意思決定なく投資が行われることはありません。その意味で、投資は良くも悪くも必ず自己責任なのでしょう。

悪いのは金融市場だという説

投資は将来の見えない金融市場と向き合う活動です。投資家がいて、アプリを使って金融市場にアクセスしたのであれば、「こんなはずじゃなかった」と金融市場を責めることもやろうと思えばできます。

株式を買う人も、上がると思うから買うのでしょうし、FXをする人も、勝てると思うからするのです。ただ、相手が人間でも会社でもないので、責めたところで何も返っては来ないのですけれども。金融市場は生き物だという人もいるにはいますが、責任のなすりつけ合いにおいては傍観をしてくる生き物です。

結局どうしたら投資に人生を狂わされないのか

アプリのユーザビリティに関しては改善ができるとしても、金融市場へのアクセスのしやすさ、という意味ではこれからも様々なサービス、様々な商品が登場してくることでしょうし、そのこと自体を否定することはできません。であれば、

どうしたら投資に人生を狂わされないでいられるのでしょうか。

もちろん、自分自身で知識とリテラシーをつけることは大事ですが、この若者もまたその心意気はあったかもしれません。だとしたら初めから諦める必要はありませんが、常に知識とリテラシーは限界があることを受け入れるべきでしょう。

金融取引は自分でもできてしまいますが、もしこの限界のことを重く見るのであれば、大切なことは

誰かと一緒に考え、実践すること

でしょうか。友達でも構いませんし、投資アドバイザーと呼べる人物を見つけるのでも構いません。人間誰しも判断に迷い、そして間違えることはあるのですから、それを指摘してくれる人がいることは一つの解決策なのかもしれませんね。

以下の記事もとてもよくまとまっているので参考にしてみるといいかもしれません。


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