HLAB Alumni Interview #7-1 山根寛(HLAB参加者としての思い出)

HLABは2011年以来、高校生、そして大学生の多くの参加者が、各々のフィールドで活躍しています。

今回は、HLAB Alumniにインタビューをしていく企画第6弾として、2011年参加者、2014,15年大学生スタッフであった山根寛さんのインタビューを掲載します。

インタビューは4回に分けてお送りしてまいります。(第2回/第3回/第4回

第1回目はHLABに参加したきっかけと、海外大学進学へつながる山根さんのバックグラウンドについてお話を伺いました。

──今日はよろしくお願いいたします。

山根:よろしくお願いいたします。

──自己紹介をよろしくお願いいたします。

山根:山根寛と申します。HLABに携わっていたのは、2011年に高校生で参加して、2014年・2015年は大学生スタッフとして関わっていました。その後も、総会とか講演会に出させてもらっています。

今は、日系の大手企業で去年の10月から仕事をしています。その前はアメリカのスタンフォード大学で4年間勉強していました。今は社会人になって8ヶ月目で、会社で奮闘している毎日を過ごしています。

──2011年に高校生として参加したときに、HLABを知ったきっかけは何でしたか?

山根:HLABは当時1年目だったんですけれども、その時は全く有名ではなくて。その当時から海外大学に興味があったので、日経新聞に小さな広告が載っていたものをお母さんが申込日当日に見つけて、「こんなのあるよ」と教えてもらって知りました。とりあえず応募して良かったと思っています。

──その時は高校の友達を誘ったりはしなかったんですか?

山根:全然ないです。僕の学校から参加したのは、僕ともう1人いましたが、一緒に応募したわけではなくて、たまたまっていう感じでした。

──サマースクール中の思い出はありますか?

山根:高校生の時に参加した時の断片的なシーンは覚えてるんだけど、あんまり大きい思い出はないです。

──いわゆる衝撃を受けたみたいなのはありますか?そういうタイプの高校生が多いと思っていて。

山根:その点で言うと、当時は海外の大学を目指してるけど、海外の大学に通っている学生に会ったことがなかったので、Seminar Leaderで等身大のハーバード生に会えて、「あー、こういう人たちなんだ!」ということを知れたのが大きかったです。

もちろん「すごい!」というのもありましたけど、一緒に生活をするので、「ご飯がまずくて機嫌が悪くなったりするんだな」というようなことを思いました。

そういう意味で、等身大のハーバード大生に会えたというのはいい機会だったかなと思います。他にも色々なサマーキャンプに行っていましたが、HLABはそれが一番大きかった気がしています。

──今まであった壁がなくなったっていうような意味ですか?

山根:いや、壁がなくなったって言うよりは、今まではハーバード大生って言うと、イメージやブランドが先行してて、「頭がいい」のように、ふわっとしたイメージしかなかったんですね。それが、より具体的に「海外で勉強しているアメリカ人ってこういう人たちなんだな」というのが掴めたっていう感じです。

──高校何年生の時に参加したんですか?

山根:高校2年生に参加して、高校3年生で海外大学に受験しました。

──なぜハーバードではなく、スタンフォードに進学したんですか

山根:それはハーバードに落ちたからです(笑)。

当時は行きたい大学に対して、それぞれ理由を出していましたが、やはりハーバードはHLABとも被っていたし、知り合いも多かったから行きたかったですね。

でも、結果的にスタンフォードに行って良かったと思っています。ハーバードとは縁がなかったっていう感じです。

──アメリカの大学に通ってる人が周りに多い中で、スタンフォード大学というのはなかなか聞かないです。

山根:確かに少ないかもね。僕もスタンフォードは受かると思っていませんでした。やはり、日本人が少ないんです。

他の学校もかなり落ちた後だったから、ハーバード落ちたし、イエールもプリンストンも落ちて、「あー・・・」ってなったときにスタンフォードに受かって、嬉しかったです。

──アメリカの大学に行きたかったのには、何か理由があったんですか?

山根:理由があったわけではないんですが、アメリカに対して憧れがあったというか。賛否両論あるかとは思いますが、僕はアメリカに対して、あらゆる分野において世界の最先端であって、良くも悪くも世界を引っ張っている国と思っています。

そういう意味で、アメリカで勉強する事は自分がやりたいことだなと思って、アメリカの大学しか受けていないです。

──海外に住んでいた事はあったんですか?

山根:6歳から11歳のときに父親の仕事の都合でマレーシアにいて、クアラルンプールのインターナショナルスクールに通っていたので、そこで英語を習いました。

──僕もタイに住んでたんですよ。日本人学校だったんですけども、特に小学2年生から6年生の間に。

山根:結構長いね。

──4年間ぐらい行ってましたね。やっぱ違うなと思いました。

山根:やはり違うと思う。

僕は振り返って親にすごく感謝しています。インターナショナルスクールに入学させるという凄く良い決断をしてくれたと思うからです。

僕はインターに行った時、最初の1年間英語が喋れなくて、いじめられたりもしたけれども、1年かかったら英語もしゃべれるようになったし、インターに通っていなかったら海外大学にも行っていなかったなと思っています。

──逆に僕は「日本人学校に通う」という条件で親についてタイに行っています。

山根:子供の時は嫌だよね。

──嫌でしたね。幼稚園小学校が一貫だったので、その時4年間くらい友達だった人がすごく多かったので、すごく離れるのが寂しかったです。

山根:確かに。

──それもあって、結構自分の中で迷っていたと思います。

山根:小2だと「引っ越す」ということがどういうことかわかるよね。僕は年長さんだったから分からなくて、何年海外にいることになるかを知らなかったです。普通に、ある日家に帰ってきたら、みんな荷造りをしだしていました。

──僕の場合は小1で父親に辞令が出て、お母さんが先に行ったんです。だからもうお父さんがいなくなるのは知っていて、お父さん大好きだったのでお父さんについていきたいと思っていました。でも友達と離れるのはいやでしたね。

山根:でも、幼小中一貫校なら、そのまま行ったらずっと友達といられるわけだもんね。

僕は小さい頃は、転勤とかすごく多くていろんなところに住んでいました。日本全国も結構回っていて、生まれが母の実家が名古屋で、札幌、茨城県の土浦市を経て、そこからマレーシアに行って、小学校の時に東京に戻ってきて東京で中高行って、そこから大学でアメリカなので、同じ場所に6年間ぐらいしか留まったことがないです。違う場所に行くことは慣れています。

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