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20〜30代の働き方の変化と妊娠初期のストレスについて

※このnoteは、妊娠・出産に関する話です。人によってはデリケートなテーマなので、不安や辛い想いがある方は読まれないことを推奨します。

新年早々、インフルエンザに罹患した

私は高熱と喉の痛みに苦しみ、ベッドの上に横たわっていた。

高校を卒業するまでの間、私は実家で病気の祖父母と同居していたため、15歳〜34歳位までは毎年、感染予防のワクチンを打ってきた。

病院で看護助手をしていた母の影響もあり、感染対策は潔癖なくらいしていたように思う。

しかし、昨年コロナワクチンを4回打ってもコロナに感染した。それから、ワクチンを打ちに行くのが億劫になり、インフルエンザのワクチンも打っていなかった。

コロナワクチンの効果は時間が経つと効果が無くなるので、半年に一度は打った方が良いと聞いていたけれど、意味あるのかな?と思い始めてからというもの、ズルズル先延ばしに…。

約1週間、蒟蒻ゼリーとポカリ生活でベッドの上で苦しんだ後、今度は胃の痛みに襲われた。

インフルを倒し、薬に負け、悪阻と出会う

私は幼い頃から喉と胃が弱い。すぐに喉や胃腸を壊す。薬が強いと身体に湿疹が出始める。口唇ヘルペスや口内炎もできやすい。

この繰り返しに慣れているので、今回も内科・皮膚科併設の病院に行き、即効性の高い薬を処方してもらった。

ところが、なんだか様子がおかしい。

服薬して3日経った頃、今までに感じたことのない気持ち悪さが出始めた。

お腹が減らない。何も食べていないのに、お腹が張る。

なお、私は数値上、「肥満」に分類されるほど食への欲望に溢れている。10代〜20代は痩せ型にカテゴライズされてきたものの、近年、運動量<摂取量が勝ち、体重の自己ベストを更新してきた。

会食は勿論、ランチや飲み会のお誘いは全て断らないと決めた時期もあったため、1日9食たべた日も。

肥満によってネガティブな体験をして自己肯定感が下がった時は、クレッチマーの性格類型論で言えば、(例えw)私は社交的で生活を楽しむタイプに変化したのだなぁとポジティブに捉え、ダイエットの神も舞い降りて来なかった。

とにかく、30代以降、己の見た目より食を選択し続けた私に食欲がないとは緊急事態である。

そんなとき、ふと頭に何かがよぎった。

もしかして、妊娠しているのでは?

そういえば、生理が来ていない。胸の張りも強いような普通なような。そろそろ来ると思っていたが、予定日は遠に過ぎている。

私は強いストレスが加わると生理が来なくなる。

精神的には大丈夫でも、身体が休めとサインを出してくるのだ。なんかクリティカルなストレスあったっけ?パニックゾーンにはいないはずだが…

そう思いながらも、とりあえず会社を休み、ドラッグストアで妊娠検査薬を買ってみた。

結果は陽性。

これまで陽性といえば、コロナかインフルだったから、嬉しい!とビックリ!が湧き上がってきた。

もともと子宮の持病があり、婦人科に定期的に通っていたため、早速、診てもらうことに。

「おめでとうございます」

と、渡されるエコー写真。

豆サイズの赤ちゃんを見ながら、先生の説明を淡々と聞く。正直、浮かれすぎて、話が何一つ頭に入ってこない。

とにかく、何度も「おめでとうございます」と言われたことだけ覚えている。

まだ安定期ではなかったので、様々な注意事項を教えてもらいその場を後にしたが、その日は仕事どころではなかった。

有給をとってアカチャンホンポに行き、葉酸&鉄分のアプリをゲットし、ぼーっと休んだ。

こどもが嫌いだった過去

私は物心ついたときから、子供が好きではなかった。

うるさい、汚い、会話が通じない。

母は元保育士・幼稚園の先生で、かなり子ども好きなのに、その影響を受けなかった。逆に、影響を受けたのかもしれないが。

思春期を迎えた頃には、

「世の中の人々は、なぜお金も時間も手間もかかるのに、さも当然かのように出産・子育てをするのだろうか?」

と疑問に思っていた。私はこどものときから面倒くさいことを考えては、両親に質問するタイプの可愛げのないやつだった。

いつかはお嫁さんになって、旦那さんのお弁当を毎日作ってあげたいと、ほんわかした夢を抱いたこともあったが、上京し、就活を意識し始めた頃には、

自分はもっと勉強して、仕事ができるようになって、自分で稼げるキャリアウーマンになるんだ!

と、密かな闘志を燃やしていた。

大人になり、友人が子どもを産むたびに、

「想像以上に可愛いな!!!」

と気づき、遊んでもらっていたけれど、同時に、出産・育児の苦労話も聞き、

「絶対に痛い。私には無理だ。」

そう思うようになっていた。

妊娠のタイムリミットへの向き合い方


30-35歳を過ぎると妊娠確率は下がり、様々なリスクが上がる話は有名だ。(私は40歳の母から爆誕したので、能天気に構えていたが)

20代の頃から、医学的な出産のリミットやリスク的なものと対峙しつつ、30を過ぎてからの、周りのガチめの

「早く妊活したほうがいいよ」

という言葉とは裏腹に、

「私は本当に子どもが欲しいのだろうか?」

と悩んできた。

私は家庭をつくることより、仕事を優先してきた自負があった。

決してバリキャリではないが、プライベートか仕事の予定か迫られたら仕事を優先してきたし、長時間労働が美徳とは思わないが、それなりに時間もかけて働いてきた。仕事のための勉強会やコミュニティにも積極的に参加し、学習してきた。

嫌々やっている事は少なかったので結果的に続いただけだが、その過程で、家庭もキャリアも趣味も充実した時間も、ぜーんぶ丸ごとゲットしている人をみかけることがあり、いいなぁと思うこともあった。

仕事で残業したり、誰かがやらなかった仕事を拾うたびに、私はこれでお金をもらう代わりに、生活を失っているのかもしれない。それは嫌だな…と思うことがあった。(実際、そんな事ばかりではなかったし、会社の状況次第なところがあるが、心が荒んだ時期もあった。)

けれど、他人は他人。

「自分にはその技量がなかっただけ。今はまだ、自分のために、仕事を優先しよう。」

と打ち込んできた。二兎を追うと一兎も得られない気がして。

隣の芝は青いが、比べてもしょうがない

私には昔から競争意識や負けず嫌いのような感情がない。

マウントをとられても気づかず他人に教えてもらって気づいたり、もしや、マウントとられてる?と思ったら、面倒くさい事に巻き込まれる前に関わらないでおこう(自分の行動や環境を変えよう)と思う。

部活の試合で負け続けても悔しいと思えず、引退試合で悔し泣きしてる先輩を見て「なんかすごいな」と傍観してしまうタイプだった。

かなり厳しいコーチの元、毎日真剣に、二度と戻りたくない位辛い練習には励んでいたが、試合で負けた時は、

しょうがなくない?感情的にならずにさっさと反省会しようぜ…と思うドライなタイプだった。そして、打ち上げの焼肉の事で頭がいっぱいになるダメな人間であった。

そんな私も社会人になり、多少、競争を意識せよとアドバイスを貰うこともあったが、やはりライバルやロールモデルを追いかけるモチベーションで動くことはできなかった。

結果的に自燃で自分に合った道の模索を頑張るわけだが、20代前半にはあった若さゆえの訳のわからない自信がどんどん減っていき、30手前にもなると、とにかく自信がない時を過ごすようになった。

そんな生活の中で、本当に子どもが欲しいと考えることは、出来なかったように思う。(相手もいなかったけどw)

そんな私が、本当に子どもが欲しいと思えるようになったのは、30半ばに差しかかる最近のことで、かといって自分のやりたいことを犠牲にすることもなく、酒も好きに飲み、割とハードな運動もこなし、妊活は意識していなかった。

だから、まさか妊娠していたなんて。

赤ちゃん、ごめんよ。大事な時期にインフルに罹って…。飲酒してごめん!走り回ってごめん!と思った。年末に飲むワインが美味しくてだな…。

脳内はこどものことだけ

その日から、頭の9割は赤ちゃんのことを考えるようになった。

先生には、

「まだ不安定な時期だから、次の診察で心音を確認しましょう」

といわれていた。専用アプリをインストールして、赤ちゃんの成長を見守る。

まだ胎児でもなく、胎芽という状態らしい。

安定期(5ヶ月目)に入るまでは流産リスクも高いとのことで、薬NG、刺身NG、血圧が上がる運動NG、温泉NG、髪染めNG・・

普段の生活でやっていることのほとんどがNGとなった。

・・いや、本当にNGか?

一つひとつNG理由の根拠を調べ、自分のストレスがない範囲で行動制限するようにした。

ただでさえホルモンの影響や悪阻でストレスなのだから、リラックスする方法を編み出さなくてはと考えるように。(正直、生理が来ない方が身体が楽なので、余裕こいているが。)

髪はプリン防止のため、肌に優しい液剤で黒染めしてもらったり、薬を飲まずに健康でいられるよう、いつも以上に食に気をつけたり、温泉は長く浸からないように気をつけたり。

そんなタイミングで、後輩に副業に誘われた。

正直、時間を取られることに不安もあったが、業務自体はやったことのあることで不安もなかったし、仕事の誘いでお声がけいただけるのはとても嬉しかった。

「病は気から」ってその通りだと思っていて、暇な時間で不安なことを考えすぎるより、自分ができることや、やるべき事に時間をかけて忙しく過ごした方が人生たのしいよな〜と思っている。

心配ごとの96%は妄想で、現実には起きないと言うし。

身体を壊すほど働くのは良くないが、女性の産休・育休の期間はどうしても男性より長くなるので、職業経験が止まり収入が減る期間が長いことに対して、常々すごく嫌だなと思ってきた。

「今まで頑張ってきたのだから、少しくらい休んでもいいんじゃない」

と声をかけてくれる人もいたけれど、実際はどうなんだろう?

かつて、エージェントに

「休職しても何も良いことがないから、早く働いたほうがいい」

と言われたことがあり、休むことには、なんとなくネガティブなイメージを持っていた。

私は職務経験上、メンタルヘルス対応をする事もあった。

更に、友人の話なんかも聞くなかで、表ではバリバリ働いていても、実は過去に休職経験があるという人たちにたくさん出会ってきた。

私自身も3ヶ月ほど離職した(退職済みなのでニートになった)ことがあるけれど、休んでる間、「早く働きたい」という想いがあった。

社会と繋がりを持たず、アウトプットも出さず、ただ貯金が減るだけの日々は、不安が強かったようにおもう。

とはいえ、産育休に関しては体調や保育園次第なところもある。今後どれくらい休むのかは、追って考えていきたい。

日本よりアメリカのママの方が早く働き始めるのはどうしてなのかな?

里帰り出産を検討する with 強めの母

田舎に住む母は、速攻、里帰り出産について言及してきた。

里帰りはするのか?産後のサポートはどうしたいか?母がそっち(私の家)へ行くか?

母の職歴的にも経験的にも(不妊や長らく両親の介護をしてきたこと、介護資格もとってた気がする)、娘の第一子となれば、産前産後のサポートへの想いとスキルは強強だった。

「あれはどうしますか」「これはどうしますか」と質問攻め・・

なんか怖い。

とっても怖いので、いったん塩対応。笑

安定期に入ってから会う約束をしているので、主要な議論と意思決定はそこで行うことにしよう。

絶対に無痛分娩がいい

どの病院でも無痛分娩ができると思っていたが、そんなことはなかった。

田舎で無痛分娩の病院を探すことは容易ではなく、家から少し遠い病院をいくつか見つけた。

ところが、肥満お断り、35歳以上お断りの文字。無痛分娩も制限があるなんて…!

世知辛い世の中。まぁ、リスクあるからしょうがない。(初産は産道が狭いから、無痛分娩によって器具を使うリスクがあるよう。)

少し遠い産院ではあったものの、なんとかクルマで20分圏内の別の病院を発見。

HPに載っている産後の入院食が美味しそうで、それだけで「ここで産みたい!」と思えた。

入院部屋数が少ないため、予約が取れるのかが不安だが、これから話を聞くのが楽しみ。

職場・家族・友人への連絡

普通、安定期に入ってから連絡するのかもしれないが、悪阻が始まっている状態では、

いつ何があってもおかしくないのでは?
早々に連絡したほうが良いのでは?


と思うように。

ということで、初めて婦人科で妊娠が分かった日、そっこー会社に報告をした。

この時期に周囲へ伝えても、安定期まで何があるか分からないリスクがあるのは分かっているが、それは発覚したタイミングで運命と考えるしかないと思えた。

ということで、家族や友人にも、普段の連絡のなかでそれとなく伝えた。

友人に至っては、飲み会に誘われた瞬間、待ってました!と言わんばかりに、

「ごめん、しばらくお酒飲めなくて…!」

と言いつつ妊娠報告し、幹事の日程調整の話題をかき消すおめでとうムーブを頂戴した。みんな優しくて大好き感謝。

なお、普段、家庭内では、8:2(夫)くらいで私が喋っている我が家。子供ができてから、夫にも色々な考えを聞くことが増えた。

もともと会話に出すことはあったが、いざ妊娠となれば、夫から現実味を帯びた回答が返ってくる。なんだ、頼もしいじゃないか…。

いいパパになってくれそうな夫の反応に幸せを噛み締め、今後、夫とこどもと共に作っていく未来に希望を感じた。

安定期になったらやりたいこと

このnoteを書いているのは、まだ妊娠初期。

かなり先走って色々な準備をしているが、睡眠グッズを新調したことはとても良かった。

枕、トッパーのおかげで、肩こり・腰痛が軽減されたように思う。

とりあえず、元々予定していた旅行を楽しみに、健康で過ごしたい!

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