探索記 月の沈む原っぱで

わたしはただ小説に出てきたからという理由でこの町にやってきた。それは亡霊と対話をする物語で、最後には主人公たちと亡霊たちはある物見の塔に登って、何かを話して亡霊は消えていった。駅に降りる私。過去にも一度乗り換えのためにこの駅を降りたことがある。この街を舞台にした小説をすでに私は読んでいて、漠然とした街への憧れを抱いていた私は、物語の始まる駅、その四角く縁取られた入り口を見るためだけにホームから階段を駆け降りていた。今働いている会社、その面接に間に合わせるために、私は2分間物語の記憶に浸って、また電車へともどっていた。物語の季節は夏。亡霊はお盆には帰省するのだろうかという問い。私が2分間の冒険を繰り広げていたのが11月の頃。今は二月の半ば。来たことのある町。駅舎から出たことのなかった私は本当は知らなかった、物語がどこで始まるのか。

出るべき入り口がどうも逆らしいことを知ったのは駅のカフェでコルタードを飲んで地図を携帯で確認し、そこをくぐった後だった。駅には表と裏があって、裏はそのたいていが閑散としていて、もしも人のいつ場合、どういう理由でそこに人が往来するのかすら定かではない。反対側の入り口に出た私は道路を渡る。横断歩道の白は消えかかっている。町の中心部に向かう通り。見逃してしまいそうなほどひっそりと歩道の端に球体が掲げられていた。太陽(SONNE)。惑星の小道(Planetenweg)でゲッティンゲンは少し知られていて、おおよそ太陽系の惑星が縮尺、距離関係などを合わせた上で街中、そして街のはずれに並んでいる。太陽からおおよそ70mの距離、水星()(それはガラス板にはまっている、胡麻粒のように小さい鉄の球だった)。50mほど先の金星、(少しだけ大きく見える鉄球)(ごくごく小さな隕石であれば、私たちの暮らす日夜時折、それは降ってきていて、それは屋根の脇の水よけにゴミとして見受けられる。そんなことをテレビ番組で見ていて、記憶のそれとあの鉄球たちは同じような大きさをしていた。)少し離れて地球。また火星。太陽のモニュメントを見て火星に辿り着くまで、その間はごく200mにも満たなかった。見物を兼ねても10分ほど。大きな距離をほんの数百歩で旅してきた。惑星の小径は駅に程近い太陽のモニュメントから始まり、そこから街外れの山の中まで続く。木星にたどり着くにはこれまでの倍の道のりを歩くことになる。道を行けば行くほど、どこかにあるはずの惑星が見つからないことに不安を覚える。街中に流れる小川の上に橋がかかっていて、浅瀬に鴨がたむろし、日上がっている箇所では眠りこけていた。水草が腐り、また枯れ上がった箇所もあって異臭が時折鼻をついていた。つくのが花であればいいのにとは思うのだけど、くだらないことを思っていると日暮れ前にどこにもたどり着けない不安があった、それに足を引かれて道を進む。歩き方が少しだけ毅然としたものに変わっていて。木星は他の惑星と同じく道に端に立っていて、街の浮浪者の背もたれになっていた。そこには輪っかがなくて、それが木星なのか木星の衛星なのかもわたしには分からなくなった。それまでの道のりと同じくらいの距離を歩いている。服屋。カフェ。本屋。家具屋。小物店。次第に店の並びはなくなって、左右に見えるものが住宅だけになる。輪っかのついた土星についた頃に私は車のぐるぐると回る楕円形のラウンドアバウトのようなところにいた。真っ直ぐ続いていた道はそこで途切れていて、私は地図を見ながらUranusを探す道をいく。歩き方はますます無駄を省いた早足になる。Uranusについたはずの場所で私は迷う。モニュメントが見つからない。少しだけ大きくなる焦りを抱えて私は歩き回っていたのだが、花屋を回ったところにそれは立っていた。無心になり家を横目に進んでいく。車のナンバープレート。GöD OHA。神に会う驚き。それはどこかトラブルに見舞われた感嘆と似ていた。開けた広場にNeptuneが見える。モニュメントの看板には小人のシルエットが描かれていて、これまでのカンバにも実はその仕掛けがあったのかと考えたが私は余裕がなかったので思い出すことをやめて帆を進めた。Bismarkの名前を冠した道があって、記憶では小説の登場人物たちもそこを通っていたのだ。信用する根拠のない記憶。記憶しか根拠にしていないから。そんな記憶についての記憶を私は書いている。斜光を眺めて少しだけ呼吸をした。これまで無呼吸で歩いていたかのように。山道はジョギングをする人が通り過ぎていく。いつも挨拶をするかどうかを少し迷う。彼らは言葉を交わすために呼吸をしてくれるだろうか。ハイキングの人は大抵挨拶を返してきたけど、私の顔をみてすぐに目を落とし黙り込む歩行者がいる。遠くないどこがで誰かの声がする。私の外には私以外もいて私もきっとそこの一部である。息を切らしていた私はながーい深呼吸。時折無視されるハローたちは聴き手を失って数百メートルの地面から返事が帰ってくる。夕日はもうすぐ沈むよと私にオレンジの光を投げてくる。それを失いたくない私は写真にその斜光というよりも横光を収めていた。私はPLUTOにたどり着くという目標をとりあえず忘れていた。歩をすすめることだけかんがえているわたし。一歩進んで次の一歩が次の目標で。そこまで全てに集中できたら楽しいだろうなと思う。Bismarkの名を冠した塔。物見の塔に私はたどり着く。戸はしまっていて、そこは夏の間しか入ることがゆるされていなかった。冬の夕陽の中無意味に佇むかのように見えるそれの脇を通り抜けて私は冥王星を探していた。今は2023年でPlutoは惑星ではない。格下げされたそれは街の別の研究所の前に移動されていて、ここにかつてPlutoがいたと書かれた石板だけがそこにあった。塔の横にベンチがあって、私はそこに座り込んでタバコを吸っていた。自転車乗りが一人、老婆がひとり、そこを通り過ぎる。そこは街からの道のりから離れていたが、100メートルほど進むと閑静な住宅街であった。悲しい。と思った時私は空を見る。少しづつ空はその光度を落としていて、用を終えた私を街中へ返そうとしているようだった。300mほど歩いた私はバス停に着く。空は赤く、暗くなる。バスを待つ間に濃くなる色。乗り込んだ私が外を見遣ったとき夕焼けはガラスを通して血みたいに赤くなっていて、太陽光が攻め入らんばかりに赤をクリーム色に変えていた。(実際は赤が太陽光を侵食していて、その赤すら夜に呑まれていく、それすら叙述でしかない)。突如起こる頭痛を抱えて私は街へとトランスポートされていく。

街中に戻った私はJupitarの横を通り過ぎたのだけど、浮浪者はモニュメントに寄っかかって眠り込んでいた。気温は5度ほどだった。シャワーを浴びたいと思った私はまるでそこがガス室であるみたいに見窄らしい気持ちで通りを歩いている。この街に住んでいる友人に連絡を取っていて、勧められた店に入ることにしていた。頭痛は暖かい屋内に入ると消えていった。テーブルに通される私。テーブツクロスに描かれている桜か桃らしき花。冬はまだ長いように思われた。中国語訛りのドイツ語。それは家族連れだった。アラブ人(だろうか?アラブ人とは誰だ)のドイツ語。GulaschのGuの長母音は消失していた。シチューのような料理。私は「ぐーらーしゅ」と言ったのだけど、ウェイターは「何?」と聞き返している。Guの長母音を消失させると彼は理解をしてさっていった。

スプーンのない私はソースを麺とフォークに絡めて食べていた。少しだけ昔の記憶を思い出していたのだけど、その詳しい記憶は今、これを書いている私にはありません。そこには二重のフィルターがかかっていて、そのフィルターですら横軸のフィルターがかかっているのですから、性格であろうなど無理な話でしょう。中国人らしき家族、娘はギムナジウムに行っているようで、しかし発音が滑らかで、rの音はドイツじんのそれよりもずっと柔らかかった。記憶をおもいだして、私は友人に電話をしようとしたのですが、Wifiがなかったので私は早々と出ていった。Gulaschが少し高くて、私は以前本でよんだ、Courage de luxe (贅沢な勇気)ということばを思い出していた。リルケよ。私はお前が嫌いなのだけど、どうしてお前は私の琴線に触れる言葉ばかりを書いているのだろう。

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