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適応障害の再発。出口のない苦しみと辛さ。上司との戦い

前の投稿から2年経過しました。

あれからというもの、
休職から復職することができ、
新たなスタートを切った気持ちでいました。

しかし、今年の4月より適応障害が再発し、休職をしています。

うつと決別できた。もう大丈夫だ。
私とは縁のない世界に戻さないでくれ。

そう願っていたのに私を
また闇の中から手招きされるように、
うつの闇に引きずり込まれました。

4月から3ヶ月整理できたつもりでいた
思いが溢れそうなので、
再度書かせていただきます。

①前回の休職から復職まで
私は一度目の休職からうつを寛解させ、
復職に成功しました。
復職してからというもの、
ギアを落としたタスクをこなしていました。

うつを再発させないように、
上司から調整され、業務を行っていましたが、私はひとつ向き合えていないことがありました。

それは、

どうして適応障害になってしまったか?

という原因でした。

それは紛れもなく、
上司という存在でした。

一時期は上司からの圧力がなくなり、
タスクをこなしていました。 

しかし、
運が味方してくれたのか、社内表彰ももらったり、
社内でロープレ大会で一位を獲ったりしたので、社内評判が鰻登りでした。

部長の目にかかり、
他部署へ講師としてオンライン研修をしたりとしていました。

ここまで、うつから復帰して社内ヒエラルキーのトップゾーンまで上り詰めたサクセスストーリーに見えました。

しかし、わたしの功績とは裏腹に
充実よりも心労は溜まっていく一方でした。

さらには激務のなかで、
部長からの推薦で、
プロジェクトチームに選ばれました。

業務量は常にキャパオーバーになり、
それでもずんずんと顧客からのオーダー 
増え続け、私は八方塞がりでした。

うつで2回目の休職になる前は下記のような状況でした。

①顧客からのオーダーが増え続ける。
私たちは数字をとってしか評価がないので、顧客対応と編集作業等が山積みになると、営業活動ができないというスパイラルに。
忙しいなかで顧客からのクレームも処理しないといけない状況。

(顧客からの電話を放置したりすると、フリーダイヤルの方に電話され、結局対応しないといけない羽目に。なので、面倒臭くなる前に処理しないといけない。)

②上司からのトップダウンが増え続ける。
数字の事しか言わない上司は、部下である私のタスク量を無視して、仕事を与え続けました。

③上司の他のメンバーへの贔屓。
女に甘い上司でした。女性のメンバーには優しく、男には厳しいので、明らかに温度感の違いを感じました。
その違いから、私自身もその人を妬む感情が湧きました。 

④プロジェクトチームでの一週間毎にある会議への発言プレッシャー
社長から役員、課長レイヤーが出席するけど会議で、先週からの進捗はあったか、来週からどうするという発表があり、発言が苦手な私は緊張が続きました。

⑤毎週ある上司との一対一の面談
これが毎週あり、1時間くらい時間をさかれ、追求もあるので更に嫌でした。後輩は数字が悪かったので、2時間から部長との面談もあり、
大変そうでした。
私は、休職前のこの面談に、詰められました。
膨大なタスクをこなしているにも関わらず、何も頑張りを認めてもらえないんだと思い、頭の中で何かプチっと伸びたものが切れた感覚になりました。

様々な点にストレスを抱え、
私自身は仕事中に、
虚無感や頭がぼーっとした状態になり、
集中できなくなりました。か

普通ならば、
足し算とか引き算って簡単なものならば頭のなかで出来ますよね?
例 4+2,10+5など、、

それが数字さえ、あれ?
何の数字いま見てたっけ?

と4は1が四つあるから、、
それに2を足すと、6であってる?
と正解か不安なので、
2、3回やってやっと6であることがわかる。

そんな状況でした。

私は危機を感じ、診療内科を受診し、
診断書をもらい、休職をすることになりました。


②なぜ再発してしまったか。

私は先程、この命題について原因をわかっていませんでした。
それは紛れもなく、業務量と、
上司の存在でした。

差別的であり、自分には相当甘い上司であると垣間見えたことも何度もありました。

例えば働いていたにも関わらず、
私が聞きたいことがあって電話すると、
私用で買い物をしていたりしていました。

この人は差別的であり、他人には厳しいとそれが顕著に現れる人なんだ。もう一切信用しなくてもいいな。

そう思うようになりました。

③休職してから上司からの執拗な電話

私がこんな症状があるので、
心療内科を受診し、診断書があると報告しました。

しかし、診断書を提出されるのを恐れたのか?
急に態度を変えて優しくなりました。

2時間くらい電話でまるでセラピストにもなったかのように相談に乗ってくれましたが、発症していた私には負荷にしか感じませんでした。

無論、そんな上司を信用していなかったので、診断書を提出し、
休職期間に入ることになりました。

すると、
上司からの電話。ありえない一言を今でも覚えています。

上司「休職するのは全然良いんだけど、電話は出来るよね?〇〇の顧客対応はやってね。」

と精神を患った人間に、
普通に業務指示をしてきたのでした。

私は電話で会話出来ないほど、
疲れていましたので、避ける方法を取りました。

私「共有ツールに引き継ぎは全て書いておくので、疑問点があれば加筆します。すいませんが、体調が悪いので電話はひかえてもらえませんか?」

と執拗な上司からの電話はなくなりました。

しかし、休職期間中にも個人LINEにも
業務指示がきたりしたので、ブロックしました。

更に最後の捨て台詞は今でも忘れません。

上司「お前は今回で休職2回目だから、もしかしたら、処遇が変わるかもしれないから覚悟しておいてくれ」

なぜ傷病で休んであるにも関わらず、
それで処遇が悪くなるのでしょうか?

まるで病気になってしまったことが悪いと言われるような気がして、
私はこの職場には二度と戻りたくないと
思いました。


長くなりましたが、
これが2回目の休職に至るまでの経緯でした。

休職期間中は、突然私が休むようになってしまった為、顧客からの電話が私の社用携帯に毎日なり続けました。

電源を切り、気にしないようにはていましたが、やはり気になってしまうものですね。

何回か電源をつけ、
誰から電話が来たか、上司から電話は来ていないかなど、チェックするとさらに疲れるようになりました。


休職期間中は本当に休んだ気があまりしない日もあったので、
心から休むように努力することにしました。

#適応障害  

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