繋がりあえない世界
ほどよい忙しさの月曜日。これくらいがデフォルトになっていきたいなぁと思いながら、何か満たされない感触を抱えて今夜も帰ってきた。
昨日は高円寺でドキュメンタリー映画祭。ブラジルの作品を2つ観た。「君の闘争」「アウラ」の2本立て。
「君の闘争」は現代ブラジルの学生デモの話。ブラジル国内でこの動きはどのくらいの位置付けなのか、日本で言うシールズみたいな感じなのか。学生側からの視点しかなくて、イマイチそのあたりが掴めなかった。ナレーションと音楽を中心にドキュメンタリーのつくり方としては新鮮さを感じたしカッコよかった。キャノンの一眼レフでドキュメントしていく現代のスタイルをすごく感じた。
「アウラ」は真逆で、ブラジルのアマゾンで発見されたイゾラド(文明社会と接触していない先住民族のこと)を20年に渡って追いかけたドキュメンタリーだった。この作品は強烈におもしろかった。ほとんど言葉が通じない人間の姿を観ているだけで、人類の神秘とすさまじい切なさに心を掴まれた。孤独という言葉で片付けられない感情を感じたし、文明とは、人類の進歩とは、ひたすら止まらない思考と問いを突きつけられた。
現代のブラジルと、古からのブラジル(というかブラジルになるよりもっと前か)すさまじいコントラストにちょっと整理がつかなかった。
僕らが良いんじゃないか?と思ってる未来も、誰かにとってはそうではないかもしれない。多様性が映画祭のテーマやったけれども、多様性を寛容していこうという広がっていく社会と、不寛容に小さくなっていく社会。
今日、アカデミー賞で史上初の外国語映画がオスカーを獲った。監督のインタビューがSNSに流れていてその中で、「YouTubeやインスタグラム、どんどん世界は繋がっていて小さくなっていっている。これから外国語の映画が賞をとることが珍しくなくなる時代がくるでしょう」そんなようなことが書いてあった。(うろ覚え)確かに文明の言葉の壁がなくなっていってる時代を象徴している。
小さくなっていく世界がいいのか。繋がりきっていく世界がいいのか。もちろん良いことの方が多いと僕も思う。伝わるし、わかりあえる。伝えたい、わかりあいたい。それが人間の欲望でもあると思うから。
けれども繋がりあえない世界こそ、この世界に存在していて当然なのではないか。
繋がりあえないけど、遠くで認め合える。そんな姿勢でありたいとこの2日の映画体験を経て今は思う。
サポートなんて奇跡が起きるんでしょうか。いただいたお金で誰かにお酒おごります。