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昭和40年、野生児、小学校に入る(2) 「きをつけ、やすめ」

 入学式の次の日、登校して自分の席に座っていると、突然、教室の後方で騒ぎが起こった。

 振り向いて見ると、お爺さんが女の子を無理やり教室に入れようとしている。女の子は泣き喚きながら、必死に抵抗している。
 その騒ぎに驚いて、泣き出す子もいた。

 騒ぎを聞きつけた先生がやって来て、何とか女の子をなだめすかして、席に座らせた。お爺さんは、教室の後ろにずっと立っていた。

 その日は授業はなく、昼前に下校した。

 慣れるまで先生が、ついて来てくれるということだった。私と同じ方向に帰る子は10人くらいいたが、先生といろいろ話しながら帰るのは、とても楽しかった。
 学校から近い子は、もっと皆んなと話していたいようだったが、すぐに家に着いてしまうのがつまらなさそうだった。

 うららかな春の陽気の中、ランドセルを背負って歩いていると、背中がじっとりと汗ばんできて、暑苦しかった。

 私の地区の新入生は4人で、学校からは一番遠かったので、最後は先生を独占できた。

 家が近づいてくると、先生が、「お家に入る時は元気よく、ただいま、と言うんだよ。」と教えてくれた。
 私が、「家に誰もいない時はどうするの。」と聞くと、先生は、しばらく考え、笑いながら、「誰もいなくても、ただいまは、言おうね。」と言った。

 先生に「さようなら」を言い、「ただいま」と元気よく、家に入った。

 母が、帰ってきて「学校はどうだった。」と聞くので、「よくわからない。」と答えた。
  「先生はどう。」と聞くので、「すごく優しいから、母ちゃんより好きだ。」と答えた。私が「学校には行かない」と言い張っていたので、母は少し安心したようだった。

 次の日、先生が校庭に出るように言った。
 校庭に出ると、「これから、気をつけと、休めの練習をします。」と言った。

 「気をつけは、かかととかとをくっ付けて、つま先とつま先の間に、こぶしが入るくらい開けます。」

 私はそれを、「かかととつま先の間にこぶしが入るくらい開ける。」と理解した。つまり
土踏まずの所に、こぶし大の空間を作るように言われたと思ったのだ。

 私は一生懸命、足の親指に力を入れ、かかとの方に引き寄せるようにした。

 先生が生徒一人一人点検していく。私の側に来ると立ち止まり、少し様子を見ていたが、
何も言わずに私の靴のつま先に手をかけ、左右にぐっと押し開いた。

 私は、話をよく聞いていないのか、理解力が足りないのか、その後も、度々そういう勘違いをしたので、だんだん先生から疎ましがられるようになった。

#エッセイ #思い出 #昭和 #入学           
   #一年生

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