対岸の火事ではない
とんでもないことが起きている
世界史の教科書を読み返しているようにどこか現実味なく思うが、全て今リアルタイムで起きていることだ。
24日は、1日有休を使っていた。
天気が良かったので早起きして郵便局に行き、帰りに道中のパン屋さんに寄って、ドラッグストアで必要なものを買った。
ドラッグストアでは、店内をぐるっと回りながら目に入る値札から「安いもの」を探していた。
「春からカップラーメンとか値上がりするって言ってたな。油も値上がりするって言ってたな。買い溜めしておかないとな。原油が高くなってるからそりゃそうだよな。FRBの利上げも迫っているし。どうなっていくかだな。日銀はどうかな」
と金融マンらしくマーケットを気にしてみたりした。
帰宅し遅い昼食を食べながらのんびりTwitterを見ていたら、「戦争開始」という言葉がトレンドに入っていた。
「なんのことだ?」と思いつつワードをタップすると、その言葉通りのツイートで埋め尽くされた。
思えば、今朝適当に流し見していたモーサテでロシアがウクライナにサイバー攻撃をしているという話題とウクライナが非常事態宣言を発令したというニュースを耳にした。日々、両国の話題は耳にしていたが、ニュースとしては別見出しで脳内にインプットされていた。自らの想像力や思考力の低さを痛感した。
なんとなく「流血しないIT戦争・バーチャル戦争になるのかな。新時代って感じだな。金融システムやられたらやばいな〜弊社も他人事じゃないよな〜とりあえず今日休みでよかった〜」なんて呑気なことを考えた。
なぜなら
「いくらプーチンさんでも2022年に武力は使わんだろ。日本では令和の新時代やで」と軽んじていたからだ。
学生時代世界史は苦手だったし、社会人になって金融業に従事しても政治や外交のことは全く頭に入ってこないのが長年の悩みだ。
しかし、これこそが平和ボケだと確信もした。
この時代に、戦争が起きたことに動揺しつつも、心のどこかで、感心した自分もいる。
戦下の様子がSNSでリアルタイムに流れてくる。
歴史的瞬間を見逃さず目の当たりにすることができる。それが私でも誰でも見れる。世界中いろんな人の声や意見が見れる。なんという時代だ。
日本が甚大な犠牲を出した太平洋戦争では、絶対に考えられなかったことだ。
むしろ、当時報道に携わっていた人々や報道を受け取る人々は、戦争の状況をどのように把握して伝達していたのだろうと思うほどだ。
オンラインの首脳会談もここ最近の話ではないか。
軍事侵攻を開始したということは、多くの犠牲が出るだろう、悲しい情報がたくさん入ってくるだろう。一国の歴史が途絶えたり、滅亡したりするようなことが起こるかもしれない。
そう思うと、もちろん心はとても痛むし、時代・事情に関係なく絶対に支持し得ることではないのだが、今この時に侵攻を決めたプーチンさんの手腕にも震えた。
大前提として言う。私は国と国の間で起きていることも、政治的な考えも、トップのことも、理解せずに苦手だと逃げて生きてきたような人間だ。
ゆえに、ここでなにか持論を展開したり、賛否を語ったりはできない。
だが、素直に思ったこととして言うのであれば、誰もが時代背景を根拠に「軍事侵攻はしないだろう」「この時代に戦争まではしないでしょ」と思っていた中で、「よく戦争始めたな」とシンプルに思ったのだ。きっと世界から非難されるだろうし様々な制裁を受けるだろうし、万が一、各国が応戦したら世界が変わってしまうことだってありえる。もし核を使ってきたら?
一国が保有する核で地球が3回潰せるなどの例えが出回るくらい、太平洋戦争で日本が味わったものとは全く別次元のことが起きると容易に想定できるのに、よくもまあ、と思った。
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00000970X10C22A2000000/
それに付随して様々な記事や投稿を身漁り、外交の難しさや世界平和の難しさ、国を維持し繁栄させていくことの難しさなどを漠然と考えた。
次第に、苦手だと思っていたことについて、いつまでも避け続けるわけにはいかず、きちんと学び理解する必要性を感じてきた。
すると、心のどこかで「日本は戦争しない」=「世界で何が起きても蚊帳の外」と思い込んでいたことに気づいた。
だから政治や外交、他国との関わり、国同士で結んだ約束事や同盟、安全保障や軍について考えようとも思わなかった。
でも今の状況を見ていて、そうではなさそうなことだけはよくわかる。。
考えなければいけない。日本はどうしたらいいのか。
様々な議論、意見があるのは分かるが、なぜ議論が必要なのかなぜ反対意見はそう考えるのか。
どういうバックグラウンドがあって今に至っているのか。
全部知って、理解して考えなければいけない。
戦争は悲しい。もちろんそうだ。絶対にしてはいけない。
日本は世界で唯一の被爆国だから、より戦争の代償としての傷の深さや犠牲の大きさもわかっているはずだ。
でも、そうと分かっているのに、なぜ戦争をするのか。
当事国はなにを考えていて、我が国はこの問題に対してどう思うのか。
そこを学生時代に考えることも避けていたし、近代史になればなるほど時間が足りず、事実の羅列だけで片付けられることもしばしばあった。
もうそれを言い訳にしている場合ではない。
考えなければならない。
戦争、安全保障、外交、歴史。
ボーダレス、グローバル、世界がひとつになろうと進んできた今、国境を越えることは日々容易くなった。
おかげで、未曾有の感染症も物凄い速さで拡大してしまったし、他国で散る火花がいつ自国に飛んできてもおかしくないような危険も迫るようになってしまった。
それを理解しなければならなかった。
きちんと考えなければならないと強く思っている。
平和だの考えるのはそこからだと思っている。
今日も良い天気でとても穏やかだ。
この空の向こうでは、辛い思いをしている人がいるなんて、戦う人々がいるなんて、とてもじゃないが想像できない。
でも「対岸の火事」ではない。
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