オタクしないと生きていけない 1
初めて僕が自分をオタクであると認識したのは、AKB48を好きになってからだった。
2011年、当時小学6年生の僕にとってはAKB48は「さいきょうグループ」。
思春期入りたてで周りからもアイドル好きを揶揄されて、なかなか認めたくなかったけど、ついに買ってしまった「フライングゲット」
どうしても初回限定盤が欲しくてネットを回ってかなり探し回ったことは今でも忘れない。
(このようにAKB48 飛翔入手の文字の外枠が金色だと初回限定盤だったことを今ノーヒントで思い出したのすごい)
そこからは着々とヲタク街道を歩んでいった。
小学6年生、冬。
ついにAKB48の劇場公演を当選させる。
AKB48は当時4つのチームに分かれていて、それぞれのチームごとに劇場公演の内容が違かった(多分これは今も同じシステムのはず!)
僕が観覧したのはTeam 4の「僕の太陽」公演。フレッシュレモンの市川美織や入山杏奈、島崎遥香などが所属していたグループだ。
「一般枠」「遠方枠」「女性・小学生枠」「ファンクラブ枠」で席が決まっていて、当時一般枠で当選したのにスタッフの方が女性・小学生枠専用の席に通してくれたのはいい思い出。ありがとう、あの時のスタッフの人!!
それからもたくさんAKB48に時間を費やし、当時使っていた参考書もAKBだった。
そして小学校卒業を控えた2012年3月、当時ネットサーフィン中の僕だけじゃなくて日本が驚いたニュースが舞い込む。
https://www.oricon.co.jp/news/2009056/full/
当時推しは大島優子であったが、AKB48の顔ともいえた前田敦子の卒業はあまりに突然で、もうすぐ中学生の僕の頭では理解することができず、国中を巻き込んだドッキリであると思った。
心のどこかで、卒業発表を撤回すると思った。
それくらい、当時のAKBでは考えられない事態が起きたのだ。
2012年8月、前田敦子はAKB48を卒業した。
卒業コンサートは東京ドームで行われ、僕はそこの天井席から、豆粒くらいのメンバーを、お父さんから借りた双眼鏡で眺めていた。
そしてこの頃、僕はヲタク同士のマウントの張り合いがすごく悔しかった。ヲタクは好きになった時期でマウントをとる傾向があり、その「時期」と言うのは当時発売されたシングルの表題曲で表すことができる。
例えば僕が好きになり始めたのは「ポニーテールとシュシュ」からで、
このシングルは2010年に発売された。
しかし上には上がいるもので、古くから好きな人は古参と呼ばれ、僕のように有名になってから好きになった人は「新規」と呼ばれた。
当時新規って言われるのがほんっっっっっっとに悔しくて、新しいアイドルも応援しようと模索していた時、一つのニュースが飛び込んだ。
https://www.barks.jp/news/?id=1000072609
え待って、これ今好きになったら俺古参どころか最古参では?
小6ながらにヲタクとしてのポテンシャルがありすぎる。
僕はこの時記者会見のあどけない表情のメンバーの中から推し(桜井玲香)を見つけ、ファンとなった。
※時系列バラバラですみません、乃木坂のデビューは僕が「フライングゲット」を購入した時と同じくらいだよ!!!!
気まぐれ飽き性ボーイだから途中で乃木坂は飽きちゃったけど、もしこの時からずっと乃木坂好きだったら、
友「俺ガールズルールの時から乃木坂好きなんだよね!結構古参!笑 お前は?」
僕「俺?えーっと、、記者会見からかな?」
うわーすっげえ嫌なやつ嫌なやつ!!飽きて正解だったのかも!!!
でも最近乃木坂再燃中で、乃木どことかみてます。
そんなこんなで僕のオタク人生初期、「小学生編〜出逢い〜」は終了です。
次回予告!
僕ももう中学生!周りはみんなオタクをからかうけれど、負けずにガチ恋!
握手会にも通うようになったけど、ある日オタクブログが友達にバレる!!
そして推しの卒業!一体どうなっちゃうの〜!?
次回「中学生編〜卒業〜」お楽しみに!!!!
全部の文めっちゃふざけた〜わら
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