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ものごとはいつも紙一重

「何も持ってないときの方が、ずっと自由だったのかもしれない

欲しかったものを手に入れたあの時、知らない何かを失ったのかもしれない

現実に塞がれて、求めることすらやめて、そうやって大人になるのかもしれない

だけどそんなの馬鹿みたいだ。

誇れる自分になれるまで、やめるもんか、絶対。」


何かを手にしたとき、人はその分何かを失い、ばかみたいだって分かっていながら、10年後を気にして、明日を諦めるのかもしれない。と思って、この言葉を書きとめたのが1年前。紙一重だから、何を選択をするのか迷って迷って、1年経っても、まだ人生迷ってる。まあ簡単に言うと、進路、迷ってる。


人生の目的は、たぶんみんな幸せになること。人生のゴールは、たぶんみんな、死ぬときに「楽しい人生だったなあ」と言うこと。

なんですが、

いつの間にか、「幸せになるための手段」を手に入れるのに必死で、人生こんなはずじゃなかったとか、毎日つらいとか、そんなことで頭がいっぱいになってしまったりするよね現代人。なんのために、生きてるんだろう。なーんて、そもそも論を考え出してしまったり。

でも世の中にはもっと困難な状況で戦ってるひともいて、わたしなんか、ってまた思うでしょ?

八方ふさがりなわけですよ、平凡で普通で、でも自分にとっては特別な自分は。
殻を破りたいって思いはあるけど、不安は背負いたくない安定は捨てられない。安定なんて邪魔だと思ってるのに、まだ守っていたいんです。傷つきたくはないんです。そんな自分に気が付いていて、心底窮屈してしまってるのです。

こういう人、わたしだけじゃないんじゃないかな?どうすればわたしたち幸せになれるかな。

そもそも欲張りなんでしょうか

良い高校に入って、良い大学に入ることが幸せのためには当たり前だと思って育ってきたけれど、その選択、そのレールを当たり前だと思っていなかったら、もっと他の選択肢があったかもしれない。実際、あった。

良い大学に入ったら、選択肢が広がるっていうけれど、それはその環境から選択できる選択肢に過ぎなくて、母数が変わるわけではなかったのだと今更気が付くんですよね。
そういうこと言うと、「そうは言っても、学歴は大事よ」なんて言われて。学歴なんかで人を測りたくないって思う反面、まあそうだよなって思うことも。

わたしの場合は、周りの期待や自分のプライドだけ膨らんで、自由が消えてしまった。実際周りにそういう人も、多かった。

所謂優秀な環境にいると、自分も優秀になった気がしてしまうわけですよ、人間だいたいそんなもん。いつの間にか、上から目線になったりして、そんな自分に気が付いてながら、隠すことは難しい。ふと我に返って、自分が嫌いになって、悪循環。


社会人目前にすると、ものすごくそういうことを感じます。就活って、ほんといやね。なんの仕事をするかよりも、所属団体を聞かれたり。仕事内容よりも待遇や立ち位置を気にしたり。なんででしょうね、人間の性ですかね。仕事に優劣はないっていうけど、そうは言っても、ってね。


そもそも、本当にやりたい仕事があっても、誰もがその仕事に就けるわけじゃあない。「趣味にできたアリは幸せだけど、夢にしちゃったキリギリスは泥沼で」(ドラマ「カルテット」より)ってね。これから泥沼かも、しれないですよね。がんばるしかないけど。まあまだ一応若いし。ぎりぎり若い…はずだし。


最終的にはどこかに属さなくても働けるようになりたいな。就社じゃなくて、就職したい。


そうやって何かを追い求めてるうちに、またなにかもっと大切なものをなくしそうなんで、まず、人にやさしくありたいです。自分にも他人にも、甘やかすんじゃなくて、無意味な優しさじゃなくて、ちゃんとだれかのそばにいたい。



というわけで、ぽつらぽつら、言葉を書きとめていきます。ただの日記。書かないよりはましかなって。頭の中で渦巻くだけで、そのまま言葉が死んでいきかけてるので。

たまあに、かきます。ゆるーく、続けます。



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