で、何を歌うの?<演奏曲解説(4)>
人生初の弾き語りライブもあと2曲。大声で歌い上げる「風のたより」という曲でガーッと盛り上がって、「大切なもの」というスローナンバーでクールダウンして終わるイメージだ。あともう一曲、練習している曲はあるけれど「大切なもの」でしっとり終わって切り上げた方が良ければやらないし、もうひと盛り上がりあった方が良さそうだったら、適当な理由で付け足すつもり。
【解説】 「風のたより」は、スマホのメモにあった「風のたより。風向きが悪かったら、たよりは届かない」という皮肉めいた一行が元になって生まれた。メモに付随するデータによると、2015年にそんなことを書きとめたようだ。どこからともなく聞こえてくる噂のことを、われわれ日本人は「風のたより」と呼んでいる。実に趣深い表現だ。しかし、あまりに頼りなくないだろうか。
ときどき、連絡先が分からなくなってしまった知り合いや、こちらから連絡するのは気が引ける相手のことがふと気になることがある。なんの偶然か、近しい知り合いから「そういえばあの人、いまこんな感じらしいよ」とタイムリーに噂話を聞かせてもらえると、思いがけず気分が温かくなる。しかしながら、風のたよりはなかなか届かない。風のたより待ちの人は「お願いだ風よ、ビュンビュン、ゴーゴーもっと風よ吹け」という気持ちになるんじゃないだろうか、と思って歌詞を仕上げた。
東日本大震災以降、サザンオールスターズがしばらく「tsunami」という曲を封印していたように、台風や大嵐の被害が出たあとは「風よ吹け!」と歌いにくくなるかもしれないけれど、今回の初ライブではきっと大丈夫だろう。そもそも自然現象そのものに罪はない(それゆえに無情なのだけれど)。
曲自体は、シンプルなコード進行をゴリゴリと繰り返して、アコギ一本で大きなうねりを表現するようなイメージ。歌詞を先に用意して、エレキの生音でコードリフを繰り返しながら、適当に歌ってみたらあっという間にアウトラインが出来上がった。その後は歌詞の微調整を行って完成形にもっていく。作曲中は、頭脳警察、「ケダモノの嵐」を出した頃のユニコーン、「ソウル・サバイバー」を出した頃のニューエストモデルなどをなんとなくイメージしたけれど、似ているのかどうか自分ではもうわからない。
作っている最中は、ライブ中盤で演奏するミディアムナンバーにするつもりだったけど、実際に演奏してみたら「これ、ライブのしめくくりに使えるのでは?」と思えたので、1番の盛り上がりどころに置くことにした。難しい言葉も、難解なコードも出てこない、とてもキャッチーな曲だ。
終盤で思いっきり盛り上がったあとに、落ち着いた曲でクールダウンして終わるのは、ライブの王道パターンのひとつ。「風のたより」に続いて「大切なもの」を演奏してライブを締めくくるのも、そんな王道パターンを踏襲した流れだ。
【解説】 今回、人生初めての弾き語りライブをやるにあたって、新曲を10曲作った。お披露目することにした「俺は俺の歌を歌う」「はずれくじの棒っきれ」「大和田橋を渡る」「風のたより」「大切なもの」のほかに、「残響」「報われなかった者たちよ」「最後の願い」「人間は忙しい」「あいつらの知らない世界」という曲が、今後に向けてスタンバイしている。
今回演奏しない5曲は、なんだかどれも暗い歌詞で、夢に破れながらもなんとか立ち上がって生きている人たちに寄り添うような、もしくは、若いころに音楽で身を立てられなかった自分の気持ちを紛らすような曲ばかりになってしまった。これを全部やったら、じっとりしたライブになってしまう。それは本意ではないので「なんだか暗い曲ばかりになってしまった。そんなつもりじゃなかったのに」という思いをそのまま「大切なもの」の歌い出しにした。つまりこの曲は、今回のライブに向けた作詞作曲活動の締めくくりとして、最後に書いたものだ。
結果的に、暗めの曲を減らした選曲にしたわけだが、作曲していた時点ではまだどの曲をやるか決めていなかったので「暗い曲ばかりになっちゃたのは本意ではないんだよね」と言い訳をする曲を用意しておきたかった。
でも、暗い話をしたいわけではないのは本心である。気のおけない間柄であるほど、本質的な部分はテレパシーで交信するかのように無言で通じ合い、そのうえでどうでもいい話で盛り上がりたい。「言ってくれなきゃ分からない」「言わなきゃ伝わらない」というのはもっともだけど、だからといってデカい声でトンチンカンなことを叫ぶのはあまり好きではない。
近頃はSNSに目を向けると、自分には関係ない出来事に腹を立て、脊髄反射的に口をはさみ、自分の掲げる正義がいかにまっとうであるかを言い切ることで気持ちよくなっている人をよく見かける。異なる意見の衝突により分断が生まれ、嫌わなくていいはずの誰かを嫌いになっていく。そんななか不愉快な意見から目を背け、同じような意見の人だけをフォローしていくと「やっぱり自分は間違っていない!」という思い込みが加速していく(これを「エコーチェンバー現象」と呼ぶそうだ)。また、発言履歴や検索履歴などに基づいて、その人にとって好ましいい情報ばかりが表示されるようにもなっていく(こちらは「フィルターバブル」と呼ばれている)。インターネットに情報を求め、強めの自己主張を重ねていくと、どんどん視野を狭められていく。
そんな状況に陥らないようにするには、手の届く距離にある些細な感動にもっと目を向けていた方がいいのではないだろうか。自分の力でどうにもならないことは少し放っておいたほうが、人生は楽しんじゃないだろうか。そんな思いを「大切なもの」の歌詞に込めた。放っておくと暗い曲ばかり書いてしまう私だが、根本的には楽観主義である。いや、本当は悲観的だから楽観主義でありたいだけなのかもしれない。そういう意味で、この曲「大切なもの」は実に自分らしいと思っている。曲名は変にひねらず、あえてシンプルにした。
歌詞を通じて、現実逃避をすすめているわけではない。向き合わなければいけない問題にぶつかっていくことも人生には必要だ。でも、ファイティングポーズばかりとっていると、疲れが溜まるし気持ちがすり減っていく。だからこそ、取るに足らない話題や、些細な何かにホッとする瞬間も大事にしてほしい。私の弾き語りライブに興味を持ってくれた大切な人たちに、そんなことを伝えたくて、この歌詞を書き切った。
「大切なもの」でしっとりとライブを終わりにできればそれも悪くないが、もしかしたらドカーンと盛り上がって終わった方が良い場合もあると思い、八王子市民にとっての心の歌「太陽おどり」を念のため練習している。八王子まつりや、市内各地域の盆踊り会場で流れ、長きに渡って市民から愛されている歌。祭りの定番ソングでありながらファンキーかつソウルフルな曲調で、サビの「はっぱキラキラ」と、呼応する「ハァッ!」の掛け声が耳に残る。
4月下旬に、ライブ会場のDOMAでサウンドチェックを兼ねて廣井さんに曲をひと通り聞いてもらうなかで、「大切なもの」をラストナンバーにする予定だと伝えたところ、「そういう展開なら、アンコール用に何か用意しておいた方がいいかもね」と提案されたので「太陽おどり」に目を付けた。
というか、当初はライブの中盤で演奏するために「太陽おどり」を練習していた。しかし、ライブ時間の兼ね合いと、カバー曲よりオリジナル曲を聴いてほしいという思いと、何よりアコギでのアレンジに納得がいかない部分があったので、セットリストに入れるのを断念した経緯があった。しかし、エンディング後の「おまけ」ということであれば、許してもらえるレベルには演奏できる。ということで、改めてアレンジを煮詰めていった。今回演奏しなかったとしても、無駄になるものではないのでOKだ。
「太陽おどり」はあくまでも『おまけ』。私はアンコールをもらえほどのミュージシャンではないし、そのつもりで準備するのは野暮だ(練習しちゃってるので、結局野暮なのだけど)。やるかどうかは、その場の空気次第で決めるつもり。いずれにしても、見に来てくれた人の心に残るライブにしたい。2日後にはライブ本番。準備にかけた数か月、久しぶりにガッツリ音楽と向き合った気がする。充実してたなぁ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?