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昭和の三大アイドルを言えるか

昭和アイドルについて。

2022/8/27に放映をしたテレビ朝日の『博士ちゃん』を見たのだが、ただ見ただけにするにはもったいないほどの内容だった。

昭和を代表するアイドルで思い浮かぶ人と言えば、個人的にはやはり分かりやすく松田聖子だ。
俺でさえ、唯一アルバムを所持している。

だが、他のアイドルはと言うと全く浮かばないのが事実。その時代に生きていないのだから仕方がないことなのだが、知識がないのは少し寂しい。

『昭和アイドルベスト3は誰だ?』
というところまで来たときに、マイマザーは松田聖子と、残りの二人をぴたりと言い当てた。
それが当然のように、するりと。

俺は全く分からなかったし、見終えた今でも、明日には忘れてしまいそうだ。だけど、それはもったいない。

まず一人目。1973-1980年に活躍。
昭和48年だ。
14歳から21歳という若い年齢で活動をしていたタイプ。当時の時代性がよく分かる気がする。さて、それは誰か。




山口百恵だ。

馬鹿にしないでよ、そっちのせいよ。
とかさ。
雪解け 間近の 北の空に向かい 過ぎ去りし日々の夢を 叫ぶとき
とかね。

山口百恵の、ももえって部分に引きずられて可愛い系の声を連想したんだけど、声はめちゃくちゃ低くてかっこいいんだよね。どちらかというと演歌調。

番組内で言っていたのだけれど、彼女の歌は短調らしいんだ。戦後からの憂いが曲に混じっているのだと。共感を生むために、暗い方が合っていた時代。


その後、1980年(昭和55年)からは新時代の幕開けで松田聖子の長調の時代がくると。(内容は省きます)

あゝ私の恋は/心の岸辺に咲いた




そこからアイドル黄金期が来て、1982年。
昭和57年だ。
さて、名前が言えるか。




中森明菜

まっ逆さまに落ちて
とか。
出逢いは スローモーション
とか。

MVを見てみれば分かるんだけど、可愛いじゃなくてかっこいいんだよね。当時の不良文化の中の真紅なんじゃないかと思わされる。
当時、アイドル界にはすでに松田聖子がいたため、同じ『かわいい』路線は無理だった。『いい子』の松田聖子に対比させるように『不良』を演出したのだと。それが少女Aだったと言う。

特別じゃない どこにもいるわ
ワ・タ・シ 少女A

歌詞とかだけじゃなくて、歌い方とか態度とかもう反抗期全開の少女が等身大過ぎてね。受けたのがよく分かる。面白いよ。


個人的には、山口百恵は昭和の時代という大きなイメージのど真ん中という感覚で、中森明菜は今の時代にも続く女の子のかっこよく描かれた王道というイメージかな。ざっくりとした所感だけれどね。

そういう時代の波があったということ、今からでもちゃんと知っていきたい。


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