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年またぎチェコ・ポーランド旅行記_4_夜行列車_アウシュビッツ

2024年1月2日、プラハからポーランド・クラクフへ夜行列車で向かいました。今回はその夜行列車や目的地のクラクフでのアウシュビッツツアーの記録を行っていきます。


プラハからクラクフへの長距離移動

導入:夜行列車について

2日前のチェスキークルムロフ行きバスと同じREGIO JETの夜行列車に乗りました。プラハからの夜行列車はユーロナイトもあるみたいです。
🚃プラハ中央駅(定刻20:56実際は22:00)
→🚃クラクフ中央駅(4:43am)7hほど

Prague→Krakow
(https://www.eurail.com/ja/plan-your-trip/trip-ideas/trains-europe/night-trains/en-czech-republic-poland)
7400円/2人 安い! 

プラハ中央駅まで

まず私たちは駅から離れたバスターミナルに帰ってきました。ここからプラハ中央駅まで移動しないといけないわけです。結果的に雨の中20分ほど歩きPraha-Smíchovから一駅鉄道に乗りプラハ中央駅に着きました。
改札のようなものはなく、ポールを抜けてプラットフォームに入ったら、切符を機械に入れて打刻します。

反省は、トラム乗り場に券売機がなくてトラムに乗れなかったことです。当初トラムで中央駅に行こうとしていたのですが、失敗しました。。。もしトラムに乗る方がいれば、事前にチケットを買っておくことをおすすめします。

Praha-Smíchov 鉄道駅
プラハ中央駅
ホーム
多くの人がプラスαの1時間を待っていた

いざ乗車!

いざ!と思いきや、定刻の出発時間から1時間ほどホームで待たされました。時間通りに電車が来る日本で生きていることの弊害が出てしまいました。待ちきれん!!もちろん待ったんですが。
だいぶ遅れて到着でしたが、電車はゆっくり待ってくれず、一旦押し込まれました。自分たちの座席が分からず、端の車両から端の車両までキャリーケースを持って揺れる車内を歩きました。(これも私が違う車両に乗り込んでしまったため、、すまん、、)
ドアが固い場所で開けてくれて、キャリー運んでくれたお兄さんかっこよかった気がします。好き。ありがとうございます。

思ってたんとちがう席…

乗務員さんも取り合ってくれなかったり、ベソかいていましたが、なんやかんや、しばらく席を探して見つかりました。
もうすでにコンパートメントには4人。相席だったら息なんて合っちゃって、仲良くなっちゃうんじゃないの~~!とか思ってた自分がばかでした。冷たい目…
叔母様と乗務員さんが話し合って、わたしたちは隣のコンパートメントに行け(隣のコンパートメントにいた叔母様の親戚とチェンジ?)と言われました。そこにもすでに3人。ここで乗務員さんが水をくれました。
そこにいたまた別の叔母様が怖かった。。
コンパートメントに入ろうとしたときに、ドドドドと話されて。(一言も言葉聞き取れないし、何語だったんだろう?)

何も分からないけど、意思疎通を図ろうとしましたが、目をしっかり見ながら捲し立てられ、後退りしかできませんでした。
私は海外経験が乏しいため、今まで話した外国の方は英語話者ではなくても、簡単な英語で話してくれるとか、ジェスチャー使ってくれるとか、私の拙い英語を理解しようとしてくれるとか、この人は敵ではないんだ、意思疎通してくれるんだ、という雰囲気を感じさせてことばかりでした。
しかし、今回の叔母様は私が理解してるとかしてないとか何も関係なく、主張を強くしてきて、これが文化の違いか、と考えさられました。
叔母様からすると呟いてるだけかもしれないし、意思疎通を図ってくれようとしていたのかもしれないですが…。
結局、キャリーバッグを外に出したいとか、隣の席の仲間と~とかそういう事務的な話をしていたんだと思いこんでいます。

撮り忘れたけどイメージこんな感じ。
出典(https://trainyoutuber.com/detail.html&id=401#google_vignette)
狭いコンパートメントに不機嫌な私

2段目におばさんが1人ずつ寝て、私とさ~さんで1段目一列を分けて軽く横になりました。1段目の向かいはおじいさんが寝ていて、途中駅で若い女性が乗ってきました。

目はつぶってなんとか寝ようとしましたが、寝付けず。それでも7時間はあっという間にすぎて朝5時半にクラクフに着きました。あれ、寝てたのかな。

乗務員さんがパン2つを降りがけに渡してくれました。精神疲弊したけど、乗務員さん最後はいい笑顔でした。
クラクフで降りる人は少なかったです。

明朝のクラクフ本駅
クラクフ本駅

クラクフ本駅の有料トイレで洗面をした後、カフェに入りました。ここで食べたサラダが久しぶりの瑞々しい野菜で生き返りました。

命のサラダ

朝のクラクフ散策

さ~さんが駅にとても近いホテルを取ってくれていたので、荷物をおいてアウシュビッツツアーまで時間も2時間ほどあり朝の散歩に繰り出します。夜行列車明けでも元気に繰り出したので、まだまだ若いなと今感心しています。

ヴァヴェル城
町並み
駅前
中央広場。広場として中世から残るものとしては欧州最大級
中央広場、緑の屋根は聖ヴォイチェフ教会
織物会館と国民的詩人の像
バルバカン
聖ペテロ聖パウロ教会
日立

アウシュビッツへ

参加したツアーはこちらです。(https://www.veltra.com/jp/europe/poland/krakow/a/16602?cid=urtrip.jp&utm_source=urtrip.jp&utm_medium=asp
集合場所の近くで2回ほどツアーバスが来たので、毎回乗ろうとしてこのバスじゃないよと言われました。
その後、無事クラクフ駅付近から、ツアーバスに乗り込むことができ、20人ほどで出発しました。アジア系の人間は私達だけでした。そもそもアウシュビッツ、ビルケナウ見学にアジア人はかなり少なかったです。1組日本人家族を見たくらいでした。
土曜限定で日本人ガイドさんが案内してくださるそうなので、英語聞き取りがかなりできる方以外は、より深く理解するためにそちらをおすすめします。

アウシュビッツ博物館

軽い荷物検査のあと、アウシュビッツ博物館へ。すぐに屋外に出て、収容所の見学になります。ガイドのおっちゃんが立ち止まりながらマイクで話してくれます。

アウシュビッツ博物館チケット
「働けば自由になる」

これらのレンガのバラックに当時の人々の様子がうかがえる掲示物や惨状が伝わる展示物があります。

バラック

下の写真はガス室で使用されたチクロンBという劇薬の空缶です。
このように、収容された人々から押収した大量の荷物(靴、バッグ、衣服)や、髪の毛、などが展示されていました。

展示
大量の鍋
ガイドさん

ビルケナウ

バスで少し移動し、ビルケナウへ。当時は300棟以上のバラックが並び、アウシュビッツよりさらに大きな収容所だったとのこと。この地で百数十万人の命が奪われました。
2枚目の残骸は、ソ連軍が近づいてきて収容所やガス室をナチスが壊していった残骸のようです。

「死の門」

夜のクラクフ散策

この日が、一番歩いていました。27000歩わいわい。
アウシュビッツから帰ってきて念願の日本料理屋に向かいました。少し味は濃いめだけど久しぶりのお米美味しかったし、ローカライズされすぎない日本食でした。日本人のお兄さんが店員でした、dosukoi!

ポーランドにもチェコにも日本料理屋は多かったです。ポーランドは特に、クラクフにもワルシャワにも歩いていると日本料理屋がよく見当たりました。中華料理のほうがポピュラーだと思っていましたが、意外でした。

日本料理屋
織物会館
織物会館の中は観光客で賑わう
ポーランド食器たち
かわいい入れ物たち

まとめ

お読みいただきありがとうございました。
私自身、社会人になって日々喧騒にまみれ、日本で平和に生きていることが至極当たり前で、平和とか戦争とかそういった言葉がどこか自分ごとではないように感じてしまっていました。悲しい悲劇の起きた場所を目の前にして、人を殺してよいどんな合理的理由もこの世には存在しないと強く思いましたし、自分の国の歴史ももっと学び直していきたいと感じています。

パート5につづく~

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