発信が怖い病、の話。
突然だけど、例えばあなたが学生で、美術の授業中に絵を描いていたとする。
なんとか一通り描き終えて、クラスメイトや先生に見せると、そこそこの反応が得られてほっとする。
ところが、後日廊下を歩いていたら、なんと壁に自分の絵が貼ってある!
しかも、
「デッサン狂いすぎww」
って書き入れてあったとしたらどうだろう。
…メンタルの弱い私なら、もう二度と絵は描けないかもしれない。
話は変わるけど、最近は「中小企業も情報発信すべき」と言われる。
だから、どの会社もWebサイトを作ったりブログやSNSをはじめたりしている。誰だって始める時はやる気マンマンなのだ。
ところがどっこい、「リニューアルしました」で更新が止まっているサイトの何と多いことか。
もちろんウチも似たようなもんで、サイトを作ったきりほとんど更新してない。
新着情報には、営業日のお知らせや年末年始の休業などの事務的な更新ばかりがずらりと並ぶ。
でも、本当は言いたいことがたくさんある。
出力屋をしているので「お客様にこんなデータの作り方をしてほしいとか」、「こんなことを注意してほしい」、「うちではこんなやり方してます」とか。
でも、つい二の足を踏んでしまう。
なぜか。
間違ったことを発信してしまうことが怖いからだ。
今日、こんなツイートを読んだ。
確かに、リアルで多少間違ったことを言ってしまっても、「すみませ~ん!まちがってました…」って謝れば済む。(済まないこともあるけど)
でもネットだと拡散された頃には時すでに遅し。
内容によっては一発退場だって珍しくない。
何より心理的なダメージが大きい。
せっかくがんばって書いたのに結果がこれだったらつらくてやらない方がマシ、なんて思ってしまう。
我が身を振り返るとどうだろう。
例えば、「デザインの敗北」と称しておもしろおかしくツッコミを入れてみたり…
技術的におかしいと思った記事をスクショして晒してみたり…
ちょっとイラっとしたことを相手がわかる書き方で投稿してみたり…
やっちゃってるなぁ…。(猛省)
相手にしてみれば、勝手に絵を廊下に貼られてボロカスに書かれてるのと同じじゃないか。しかも名前入りで!
そしてその行為は、自分にも跳ね返る。
絶対に、絶対に絶対に絶対に正しいと確信しないと書けないのだ。
…でも正しいことってそんなに書けない。
営業日案内や事務連絡は間違いのリスクがほぼゼロだから書ける。
でもそれ以外は正しさを追求するコストが大きすぎる。
恥ずかしながら知識も時間も足りない。
だから発信できないんじゃないだろうか?
「甘えるな。企業だから正しくて当たり前だろう」
それもある意味正しいと思う。
特に人命や人々の生活に大きな影響を与えること対しては、絶対に間違ってはいけないこともあるだろう。
でも、全部が全部そうなんだろうか?
間違いを恐れるあまり発信を避けていると、自分達が間違っていることに気づく機会を失い、独自のルールが社内に蔓延しがちだ。
そんな会社が多数になると、業界全体の発展が阻害されることにならないだろうか?
SNSで誰かの些細な失敗を、企業の多少の至らなさを、相手が特定できる形で発信していないだろうか?
それは、本人がいないところで悪口を垂れ流すことと同じじゃないだろうか?
それが本人に伝わった時、相手は前向きな気持ちになれるだろうか?
悪口を言えば言うほど、私も誰かに言われているのでは…と不安に襲われるのでないだろうか?
もしも、次にこんなことをしそうになったら、私はこっそり手紙を書いてあげたい。
「ここをこうすると、もっと良くなると思います」
手紙を読んでくれたなら、きっと相手はもっと美しい絵を描いてくれるんじゃないかな…なんて思う今日この頃でした。
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