見出し画像

自殺について考える(今一度)

タイトルから重くてごめんなさい。でも、語らせてください。

今さっきですね、シンガーソングライターの「あいみょん」さんの“生きていたんだよな“っていう曲を思い出し聞きたくなってYoutubeでMVを見たんですよ。

僕は動画と一緒に賛否を見たり、コメントを見て視聴者の民度を図るのが好きなのでいつものようにスクロールを下げました。

するとそこには「あいみょん」さんの書く歌詞に共感をした人や自殺未遂者に溢れかえっていました。

僕はコメントを残しませんでしたが、自殺未遂者の一人であることは確かです。

中学時代に左手の動脈に彫刻刀を立てようとしたところを親に止められました。そうなった経緯をかんたんに説明すれば虐めですね。

教師に助けを求めたこともありましたが最悪なときは教師からも虐めをうけていました。

内容を語ると本題からズルズル遠ざかるのでここまで。

んで、コメント欄ですよ。

読んでるだけで辛くなるような体験談がズラリ。

僕がそんな中で気になったコメントが、

「人の死を迷惑だなんて最低ですね」

このコメントは前に「自殺って迷惑だよな」的なコメントに対する返信でした。

その最低だと言ったコメントに賛同する人は僕にはよくわかりません。

ここで一つ読者のあなたに問わせてください。

「あなたは人の死をしっかり第三者としての受け止め方ができていますか?」

僕から言わせれば迷惑だと感じる方が正しいと思います。

たとえばあの時僕が、動脈を刺し死んでいたら、

父等は悲しんでくれるかもしれません。

しかし、その飛んだ血や動かなくなった僕の処理、遺品の整理するのは誰ですか?

少なからず家族以外の人にも迷惑がかかる。

駅から飛べばダイヤが狂い、多くの人の予定に影響する。

街のビルから飛べば警察が周囲に規制をかけ街が混乱する。

首をつれば見つけてくれた人が警察に通報する手間をかけられ、特殊清掃員の方々が部屋を片付けなくてはいけない。

辛いのはあんただけじゃない。

そんな簡単なことを僕は父に止められてから聞かされ知りました。

今死のうとしてるあなたが辛く僕の言ってることを理解できないのもわかります。

でも一個だけ覚えておいてください。

死ぬほど○○い。という表現があります。辛い、楽しい、強い、弱い、かわいい。なんでも当てはまりますが、どれ一つとして釣り合ってはいません。

つまり死というのが最上級の感覚表現とされているのです。

ですが僕は唯一「死」に釣り合う感覚を知っています。

生(セイ)です。

生きていれば死にはしません。

ですから、死ぬほど生きたいと思えたこともないのに自ら死ぬのはもったいないと思いませんか。

僕があの日から一度も死にたいと思えないのは死ぬほど生きたいと、まだ思えてないからです。

終活をテーマに描いた映画が多々ありますが、そこに出てくる登場人物たちの多くはやり残したことを一つずつ終わらせていきます。

きっと彼らはやり残したことを終えるまでは「死ぬほど生きたい」と思ってるのではないでしょうか。

つまり、あなたは今迷惑と体をおいて逃げようとしているだけで責任を軽んじているということです。

自分が警察なら、特殊清掃員なら、隣人なら、駅員なら、目撃者なら、家族なら

きっと少なからずの迷惑を被るでしょう。

自殺なんて何も生まない、そんなに死にたくば生ききってからにしろ。

知らない人だっていいのさ相談するのは

目の前で死なれるぐらいなら多くの人が相談にのるというだろう。

環境が悪いならどこかに逃げてしまえ、

DV、虐待に苦しんでるなら家以外のとこに逃げろ

タメのいじめに苦しんでるなら学校、会社を辞めろ

金が無いなら金のあるやつに働かしてくれとすがれ

そんな甘い考えじゃ生きていけないって?やってもないことを否定し諦めるな。

逃げ道はないんじゃない、あなたが知らないだけだ。



ながながと失礼しました。

自殺をしようとした僕だからこそ言える点も多いと思い今回書かせていただきました。

一人でも多くの人が「生きたい」と思えれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?