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がんばらない修行
なにかになろうとしなくていい、と思いながら、なにかになりたかった。絶対的な、自分しかなれないなにかに。
直属の上司に時間をいただき、ランチに行って、これからのことを話した。休職するのか、退職を選ぶのか。
答えは出ない。いまの自分には答えを出せない、少し時間が欲しい旨をようやく話せた。付き合いの長い上司は、それをきちんと受け止めてくれた。受け止めてもらえたことがわかったとたん、つかえていたものがぐぐっと流れ出したのがわかった。
話したかったんだ、だれかに。
会社で、死んだ魚みたいな目して働く。すれ違う社内の人たちも同じ目をしている。死にかけばかりの魚群のなかをきゅうきゅうと息を潜めて泳ぐ。息の仕方を忘れそうになる。栓の締め方がわからないままちょっとずつエネルギーを垂れ流していて、気がつけばエンプティ状態。余力を使ってやっとの思いで帰宅電車に乗る。
毎日窒息しそうだった。そんなことないのに、いまはそう見える世界。それがやっと、客観的に見えるようになってきた。
大変でいいから、生きてる新鮮な状態で働きたい。
スナック勤めのいいところは、毎日、生々しい人間のお客さんに会えることだ。酔っ払っていてだらしなくても、すけべ根性丸出しでも、生き生きと感情を表すひとたち。見ていると安心する。
誰でもない自分を使って、何の役に立てるのか。何の役にも立てていないコンプレックス。
一旦ぜんぶ置いて、深呼吸する時間をとろう。習慣的にがんばろうとしてしまうけど、頑張り方がわからないうちは、ゆるめておいてあげよう。
いつもありがとう私の心と身体よ。
しばらく、ゆっくりしよう。
平日の純喫茶って幸福だ。大好き。アイリッシュコーヒーでほろ酔い。
いままでも、これからも、いろんな時期があるけど、生きることだけはあきらめない。
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