一寸先も雪
いくつめかの長いトンネルを抜けると、窓の外は真っ白な雪景色に変わる。別世界へ飛び込んだようなその感覚はいつでも新鮮で、帰省は可能な限り昼間の時間帯を選ぶようにしている。
実家にいるあいだ、軽いホームシックを味わった。私をかたちづくったベースは確かにここであるはずなのに、自分が居場所と認識しているのは、いつのまにか東京の住まいの方になっていた。家族に対して若干後ろめたく思いつつ、久しぶりの団欒を味わった。
実家は、あいかわらず実家らしかった。不格好ながら丹精されている植木鉢には卵のカラがさしてあったり、書けないペンがペン立てにめちゃくちゃつまってたり、和室にワンダーコアが置かれていたり、ブルガリアヨーグルトが冷蔵庫の1段を占めていたり、家中ごちゃごちゃしているくせに、廊下という廊下はきれいに磨き上げられていたり。もはやある種の作品のように思えてくる。
時間はたくさんあるのに、やろうと思っていたことに何ひとつ手をつけられないことに驚いた。東京にいるあいだのアグレッシブさを置いてきてしまったようだ。心もとなさのなかで、改めて実家という場所について考えた。
私という人間が無条件で受け入れられ、今さら拒絶される心配がなく、とことん甘えられる唯一の場所。そうして、きっとそう遠くなく無くなってしまうだろう居場所。
休んでいる場合じゃない、早く戻って働きたいと焦る気持ちがあったことに気づく。傲慢さは、いつのまにかくっついて回っているものだ。後から気づくのでは遅い、大切なものがたくさんあるのに、ないものにばかり目がいくように仕組まれている。
自分ひとりで頑張っているような思い込みは持たないようにして生きたい。家族が元気でいてくれるからこそ、私が好きに生きていられるのだ。
隙間風が外気と同じくらい寒くても、外が猛吹雪で物音がうるさくても、なんでもいい。家族がいる実家は有り難くあたたかい。