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映画「異人たち」と過去と両親

兄が亡くなってから、いろいろと用事があって、一緒に住んでいない両親といる時間が増えた。
両親ともに後期高齢者となって、身体はそれなりに弱っている。
特に母親は、長男を亡くして、気持ちも弱っていた。

ふと、今年見た映画「異人たち」を思い出す。

ロンドンのタワーマンションにひとりで住んでいる主人公アダム。
そこに同じタワマンに住んでいる男性ハリーが突然ウイスキーをもって訪れるという話。
脚本家のアダムは、30年前に両親を交通事故で亡くしたことを題材に作品を書いていた。
昔の写真を見ていると、懐かしく感じたのか、ロンドン郊外にある実家に行くことにした。
するとその家には、30年前の姿のまま両親が住んでしたという展開。

ゴーストストーリーなのだが、とてもいい作品だった。
とにかく、なんども両親に会って、そのとき言えなかったこと、言ってほしかったことなど語り合う。
そして、ずっと孤独だったアダムは、ゲイ(クィア)だったことをカミングアウトする。
これは、監督自身がゲイ(クィア)であり、両親にカミングアウトした事実をもりこんでいる。
アダムにとっては、過去なのだが、両親にとっては現在でもある。

タワマンでは、隣人のハリーとパートナーの関係になっていた。
このタワマンには、ふたりしか住んでいないというのも孤独につながる(実際には、ふたりではないのだが)。

両親と会って、それなりの時間を過ごしていた私は、この「異人たち」を思い出し、いろいろ考えさせられる。

もちろん両親は、健在なのでちゃんと老けている。
私もカミングアウトしたということではない。

次男で育ったせいもあり、両親のこと、実家のことは、あまり考えないでいた。
田舎の不便な生活も嫌で、いま住んでいる大阪市内の便利な生活に慣れすぎて、実家に帰る気はない。
でも、確実に老いていく両親はいまは元気でも、いつまでこのままの生活を続けられるのだろうかと。
気持ちの中では頼っていた兄はもういない。

自分の郷愁は、実家のまわりの風景にある。
最寄りの駅から実家までの距離と田んぼだらけの風景。
廃校になった高校の校舎。
圧倒的に広い空。
いま住んでいる大阪にはない。

映画「異人たち」を見て、郷愁にかられた。

映画は、悲しい結末ではあるが、過去にけじめをつけたアダムのポジティブな作品に感じられた。
孤独でいた自分。
告白できたこと。
会って話すことが大切なんだと。

家族だってコミュニケーションをとることが、幸せにつながるのだ。
話すことが大切だ。
聞いてくれる家族がいることが幸せだ。
家族の話は聞く時間をつくらないと。

山田太一の『異人たちとの夏』を題材に、アンドリュー・ヘイ監督が個人的な物語として語り直し、そしてそれを見た人がそれぞれの個人的な過去と向き合う。

そんな作品に感じられた。

2024.08.08

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