何が幸福なのか

相対的に幸せか

前回、『科学的な適職』という本について書いた。
仕事は、幸福度が最大化できるかで決めるという内容。

幸せかどうかは、相対的なものなので、なかなか難しい。
前と比べてどうかとか、他人と比べてどうかとか。
そこでやっぱり前の自分と比べては、いまがいいと思いたいというバイアスがかかってしまう。
脳のバグなんだろうけど、そう思わないとやっていられない。
転職して、給料は減った。
けれど、精神的には楽になった。
辞めたい一心で退職し、たまたまの出会いで転職を決めたことだけど。
そのときの選択は間違っていないと。

そして、他人との比較は常にしてしまう。
年下だけど、それなりに給料がいいんだろうなとか。
えっ、部長になったのかとか。
あいつは支店長かとか。
同じ年でもごろごろいる。

見て見ないふりをしているけれど、気にしないふりをしているけれど、気にはなる。
でも、いまの自分は自分に合っているはずだ。
自分にできることは限られている。
ここに自信をもつことができれば、それは絶対的幸福と言えるだろうが、その道は遠い。

こんなはずじゃなかった

それでもこんなはずじゃなかったと思う。
もっと余裕のある生活を送っているはずだった。
金銭的にも、精神的にも。
いい暮らしじゃなくても、こんなに切り詰めないといけないのかと毎日思っている。

目の前のことに気持ちが揺れる。
精神が安定しないので、心を落ち着かせるために、自分の気持ちをノートを開いてペンを走らせる。

こうして、noteに書いているのもその一種。
頭の中の記録でもある。
いわゆる自信のない人見知りは、こうして自分を安定させる。

絶対的自信のある人

先日、得意先の人に誘われて、ふたりで飲みにいった。
サッカーをやってたり、サーフィンをしていたり、いまはゴルフをしているらしい。
それでいて、いわゆる仕事ができる人。
絶対的自信のある人だ。
こういう人って実在するんだと前から思っている。

で、私に対して、仕事をふってくれるのはうれしいが、期待がしんどい。
いい提案してくれたら、仕事を出すと。
仕事だけど、一瞬、逃げたいと思った。

適当な居酒屋に入って、カウンターで飲んでいた。
自分の過去の仕事について雄弁に話す。
たしかにすごい人だとは思う。
たまに話をふってくるので、こっちも話すが、すぐに自分の話を始める。

人望のある感じもあるが、社内ではどう思われているのだろうか。
私は正直いって苦手だな。

飲むペースを合わせていたら結構飲んでしまったが、酔っていない。
駅で握手して分かれたのだが、かなりハズかった。

家に帰って、ひとりハイボールを2缶飲んだ。
この時間が幸せなのだ。

2024.05.10-GO1


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