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三日坊主の私が思うこと

 私は昔から、何をしても三日坊主なところがある。人から言われてやらされていることでも、自分が好きでどハマりしたことでも三日坊主なのである。それに三日坊主と言ったが、たいてい三日も経たないうちに辞めてしまう。飽き性なのか、集中力がないのか、どちらも当てはまりそうだが何より継続する力が私には無い。唯一、年単位で継続できたことと言えば、中学、高校の部活動くらいだ。と言っても一年半経つ頃には退部してしまった。部活動に励むのは本気で楽しいと思っていたし、嫌いになったわけでもない。私自身とても不思議なのだが何の前触れもなく、【もっと他にやりたいことが私にはあるはずだ】と突然思い立ち、何がしたいのかを具体化する前にとりあえず辞めてしまう。【今度こそは一生やりがいを感じながら続けられる】と毎回新しいことに飛び込んではその繰り返しで結局続かない。ともかく、そんなこんなで長く継続したことが何一つとして無いのだ。

 しかし、それは仕事のことになると全く別のようだった。継続して以て一年半、という私だったが高校卒業後に就職した某アパレル会社には五年勤めていた。正直、繁忙期で休む暇もない時期は、『きついなぁ。』と思うこともあったし、疲弊しきって『行きたくない。』と思うことだってあった。けれど、『辞めよう。』と思うことは無かった。
どうやら、嫌になったから辞めるということは無いようだった。確かに、五年間務めた会社を辞める時も不満などの負の感情は何も無く、【今よりキャリアアップしたい】とか【自分の市場価値を知りたい】といつもの如く突然思い立ち、転職を考え退職した。(結果的に転職先でキャリアアップはできたが、かなりのブラック企業だったことはまた後日書けたら良いなと思う。)

 そして新年を迎えふと、【自分って何だろう】と考えることが増え、私という生き物を文字に残すことで何かヒントを見つけられる気がして、後先考えず、noteを始めた。

 

 文章力や語彙力に自信はないし、自分の想いを言語化することは私にとって想像以上の大変さで、毎日仕事もしてプラスアルファで投稿、と思うと正直継続できる気がしなかった。
だから、継続する為に【毎日投稿】を自分に課した。今もまだ、始めたばかりなのだが始めた当初は『何を書けばいいのだろう。』と悩み、何度も書いては消してを繰り返し書き直しの多すぎる執筆だった。それが最近になって、拙い文書であることに変わりはないが、書きたいことが自然と頭に浮かび楽しく執筆することが増えた。気付けば自分に課した【毎日投稿】が、当たり前となり楽しみになっている
プロのライターの方や編集者の方が私の執筆を目にすれば、『支離滅裂で何を伝えたいのか分からない。』だろうし『言葉の勉強からしてくれ。』と思われることに間違いないと思う。それでも今の私の拙い執筆に【スキ】をくださった方も数人だがいらっしゃる。数少ない【スキ】が、私を突き動かすのだ。

 三日坊主の私が、果たして執筆することをどこまで継続するのかは分からないけれど、【スキ】をいただいて強く思うことがある。【読んでくださる方々の心にワクワクする気持ちと温かい笑顔】をお届けできるよう、これから少しずつではあるが文章構成などの基本的なことから学ぼうと思う。そして、名も知らぬ遠いあなたの心に響く素敵な執筆をしていきたいと、三日坊主の私は思う。