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常盤木で育った3年間

高校3年間は、
これまでで、間違いなく1番辛かった日々なのに、
大好きで、大切で、
一生私の糧になってくれる存在なんだと確信を持って言えます。


決して、輝かしい3年間ではなかったけれど、辛くて、逃げ出したくなるような日も沢山あったけど、これなしには、私のサッカー人生語れないので、書きます。



海外に挑戦するって決めたことで、
たくさん「ひよりが!?」って驚かれた。


世間一般的に、
ある程度、サッカーに自信がある人、経歴がある人が行くイメージだと思う。

なんの経歴も実力もない私が、
海外でやるなんて言い出すから、
それはみんな驚くか。


高校3年間連続全国大会出場。
最高成績全国ベスト4。


この結果だけみたら、輝いている。

しかし、私はその全国のピッチでプレーしたことがない。



自分の気持ちを落ち着かせるために、


必死に怪我が多かったせいにしておいた。


その方が楽だったから。


確かに、怪我は多かった。

けど、本来の理由はそれじゃない。


レギュラーを取れる実力がなかったから。


結局は、これに尽きる。


私は、高校時代のサッカーの話をするのが、正直今でも好きじゃない。

高校、常盤木でした。って言うと決まって、

試合出てた?って聞かれる。


その度に、周りと比べて劣等感を感じるから。


常盤木でやってました。って胸を張って言えずに、

なんなら、隠したくなるような自分さえいる。


そんな私が、今でもサッカーが好きなのは、最高すぎる同期に囲まれていたから。


本当に、同期がいたから頑張れた。


18人の仲間に伝えたい。

「サッカーを続けさせてくれてありがとう」


常盤木での3年間は、

自分の中で勝手に美化しまくってる部分はあるけど、


幸せだった。


松島から利府まで歩いたり、
学校でマスク付けるの忘れて、全員でグランドまで走って行って謝ったり、
8時間練習でめちゃくちゃ坂走ったり、
コロナでインハイ辞退したり、
飲み歩きで1年間ゴミ拾いしたり、
バスで寝て怒られたり、


常盤木でしか味わえなかったことが沢山ある。



これも全部、サッカーがつくってくれた経験。

サッカーが繋いでくれた繋がり。




みんなのお陰で、今サッカーを楽しめてるし、
みんながいたから、乗り越えられた。
何よりみんなと一緒にできたから、
サッカーの魅力をたくさん知れた。


サッカーを、嫌いになりたくても、どうしても嫌いに慣れなかった。


辞めるって思ったのに、辞められなかった。


結局、サッカーが好きだから。


いま、サッカーが中心の毎日を過ごしてみて、


心の底から幸せって思ってます。



サッカーのために、
ジャンクフードはもちろん、お菓子だって食べないし、

見る動画はサッカーか勉強の動画にして、

規則正しい生活リズムを作る。

この生活が、私にとっては最高に幸せ。



高校3年間、

みんながいなかったら、サッカー辞めてたかもしれない。

夢を追って、海外まで来てなかったかもしれない。


みんなには、本当にたくさんのありがとうを伝えたい。

あのとき、

たくさん声かけてくれて、

寄り添ってくれて、

怒ってくれて、

自主練もたくさんしてくれて、

応援してくれて、

ありがとう。








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