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僅かに文豪的な夜<2>

 タオルはホテルが貸してくれるので、ほとんど手ぶらで家から歩いて来た。水月ホテル鴎外荘のエントランスで大浴場の説明を聞いてから、私達はホテル内を目を輝かせながら歩いた。

 ホテルは少し入り組んでいて、建物と建物の間に通路があり、森鴎外が最初の妻の赤松登志子と新婚時代を過ごし、代表作「舞姫」「於母影」などを執筆した旧邸を右手に見る事が出来る。温かみのあるその木造建築は、釘を使わない伝統工法で建てられているそうだ。絵に描いたような日本庭園もいい。こんな家で過ごせたらいいなと長年思っている憧れの形がそこにあった。

 出だしからなんだかしっぽりしているが、まずは温泉だ。温泉のある2階へ向かう。ここには大理石風呂(福乃湯)と古代檜漆塗り風呂(檜乃湯)があって、男湯と女湯は日毎入れ替わる。奇数日の今日は大理石風呂が男性風呂なので、私は檜乃湯の日。檜が良かった夫と「休憩処さくらで、またね」とそれぞれの温泉へ入った。

 鴎外温泉とは言え、温泉にゆっくり浸かる習慣の無い夫婦には30分が限度であったのだけど(夫は15分くらいかも)、私は大満足。お湯の温かさに包まれて身体の疲れが癒えていくなんて、若い頃は気づけなかった。しみじみと温まる。澄んだお湯の水面が揺れるのを見ていると、優しい気持ちになった。お湯さん、ありがとう。鴎外温泉さん、ありがとう。

 脱衣所のクーラーで少し涼んでから休憩処さくらへ行くと、とっくに温泉を出てハイボールを飲んでいた夫が、「おう、遅かったな」とすっかり和室に馴染んでいた。