労働時間は自分で決める
書こう、書こうと思いながら筆が乗らず、いつの間にか6月も半ばになってしまいました。
つい先日、本屋でぼーっと棚を眺めていたら「1日1時間労働」という文字が目に飛び込んできました。それは、作家の森博嗣さんが書いた「『やりがいのある仕事』という幻想」という本の著者紹介欄※だったわけですが、その文字を眺めながら、「えっ、それでいいのかなぁ」と思う自分と「うん、やっぱりそうだよなぁ」と思う自分が葛藤し始めたのでした。
それは、思い返せばもう半月ほど前のことで、今になって何となく頭の中で整理できてきたので、ようやく文章にしてみようという気になったのです。
フリーランスになるまでは、1日7時間や8時間の労働時間はごく普通のもので、まとまった時間があるからこそ、それなりの仕事が達成できるものだと根拠もなく信じ込んでいました。だから、フリーランスになったら、一体自分はどうなってしまうのだろうか、本当に今まで通りに、いやむしろこれまでとは違った働き方、仕事内容をうまくこなしていけるのだろうか、という不安が頭の片隅にずっとありました。
そして、4月になり、フリーランスとして活動するための準備を少しずつ進めている内に、仕事の依頼もぼちぼちと入るようになり、それに伴って書類を作成したり打ち合わせをしたりと、仕事にかかる時間が増えていきました。
ただ、これまでを振り返ってみると、1日に7時間も8時間も仕事をしているわけではなく、むしろ何もしていない時間、子どもと遊んでいる時間、家事をしている時間の方が圧倒的に長いことに気が付きました。それは、まだまだ仕事の依頼が少ないせいもありますが、それにしてもあまりに短すぎるような気がします。
3時半に起きてから、子どもが目覚めてくる5時半とか6時までには2時間以上あるとは言え、その時間は丸々仕事をしているわけではなく、半分くらいは洗濯、掃除、朝食の準備などの家事をしているんですね。そのあとも、末娘の遊び相手をしたり、食事の準備や洗濯物の片付け、長男と次男が幼稚園から帰ってきたら、風呂に入れたり歯磨きをしたりと、意外とやることはたくさんあります。
ということは、森さんのように1日1時間ということはないにしろ、もしかすると自分も平均して1日に3時間とか4時間くらいしか働いていないのではないだろうか、と思うのです。
自分の場合は、これから仕事が増えてきたら、なかなかその時間内に仕事を終わらせることはできなくなるのかもしれませんが、森さんはどうやら他の時間には全く仕事と関係のないことをしているし、仕事のことを頭の片隅で考えたりもしていないようなのです。はて、もしかするとそれくらいリラックスした状態の方が、いざスイッチが入ったときに身体のパフォーマンスが上がってくれるものなのでしょうか。
そんな仕事についての先々の不安は、今はとりあえず忘れることにしましょう。どうやら自分は、こうやってゆったりとした時間の流れ方をする生活の中で、子どもといつでも遊んであげられるぞという気持ちも持ちつつ暮らせることが、とても幸せだと感じているようなのです。意外と、子育て世代を支える、助ける仕組みというのは、育児休業制度や児童手当ばかりではなく、こういう精神的なところにヒントがあるのではないか、などと思ってしまうのです。
※〔後日修正〕この記事を書いた翌日、たまたま同じ本屋を訪れたら、本のタイトルと書かれていた場所が違っていることが判明しました。投稿の主旨は変わらないので、該当部分のみ修正してあります。
〔修正前〕「集中力はいらない」のオビ
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?