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自分自身の声を聴く

私の仕事は、「日常を語り、応答する場を運営し、拡げること」

はじめに

長崎市スタートアップ支援事業「コッコデショ!2023」エントリー中の看護師ひよこです。2年半前までの仕事は看護師でした。いまは、新しい仕事を創り出そうとしています。屋号は「対話のNukadoko」。

「対話」をキーワードに集った人々がそれぞれのあるがままを出し合って発酵し続けると、人は本当の自由を手に入れることができるのかということに興味があります。


看護師時代

看護師をしていたのは結婚するまでの5年間と、20年のブランク後(専業主婦16年・大学在学4年)の11年間なので大した経験はありません。だけど看護師になってよかったのは一日に何度も感謝のことばを頂けることでした。

父親の暴力により自分の声を抑圧されていた子ども時代。親の敷くレールから逃れたくて自分の意志で看護師になりました。生まれて初めて自分の選択した道を歩き始めたという嬉しさと誇らしさでいっぱいでした。そして、自由を手に入れたと思っていたのです。

医師の指示の下で働く。先輩看護師の指示を飲み込む。

私は自分の声(想い)の90%以上を言葉にして表現することができていたので、独身時代も復帰した後もあるがままの自分として仕事ができていました。だけどいろんな想いを抱えたまま心の中に閉まって働くことが美徳とされるような雰囲気があり、多くの看護師は従順に働いていたのではないかと感じています。(気心の知れた人たちの中ではいろんな声を聞くことができていたから)

患者さんの声(想い)をどれくらいくみ上げていたか?

病院の中で、患者さんと医療者との関係性において、力関係が平等ではなかったのではないか?入院期間中は特に、集団生活によるルールのなかで「こうあるべき」という医療者からの圧が大きいように思えます。

患者さんが望むような退院支援に努めていましたが、実際のやりとりを思い返してみたら、患者さんの「ほんとうの願い」を聴くことができていたか疑問に思います。医療者視点での正しさを押しつけてはいなかったか・・・。

新人指導・後輩指導時に「こうあるべき」を押しつけていた

命に関わる現場なので、ひとりでケアや処置を行えるようになるまでの指導は時間をかけて、丁寧かつ厳しく行われます。だけどひとりひとりの声を丁寧に聴くことができていたかというと・・・。

ケアをする看護師自体が自分の声を聴けていない状況

「患者さんのため」「患者さん優先」の姿勢で仕事をしているけれど、肝心の自分自身の声を聴けていない状況で仕事をするとどんなことがおこるかというと、バーンアウトするか、逆に他人に「こうあるべき」を押しつけてしまうのではないかと思います。心を柔らかく保つためには自分自身の声を聴くことを優先にしなければならなかったのでは?と感じています。

「日常を語り、応答する場」を運営し、拡げる

だれもがありのまま生きられる社会ではないように感じています。ありのまま生きると「叩かれる」。それぞれの「こうあるべき」と「こうあるべき」が対立して摩擦が起きていますよね。

ほんとうはなにを願って生きているのでしょう。
生存本能が脅かされない世界ではどんなことを表現したいでしょう?

「王様の耳はロバの耳・・・」と表現する場があったらどんなに楽だろうかと思いませんか?実際にそういう場はあります!!

日常にある出来事を語り、それを聴いていた他者が「あなたが願っていることは○○のようなことですか?」と応答してくださる。自分の心の中で感じていることを他者の言葉で表現してもらって再度自分の体内を巡る。

たったこれだけの事なのですが、人は他者の力を借りなければ自分の声を聴けないのだなぁと実感しています。だから私はそんな場(対話の実践道場)を開きたいのです。この心地よさを届けたいと思っています。

だけど、ビジネスにすることには難航しています。どうやって価値を届けるか、どうやって小さく始められるか、模索中です。

願いが実現できるように、自分自身の声を聴き続けます!!


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