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弱小ダンス部が全国大会に出場するまでの話①〜復讐精神〜

タイトルででっかいこと言ってますが
これは未来の話!

私は今、某高校で弱小ダンス部の顧問をしています。
ですがあと5年以内にこのダンス部を

全国大会に連れて行きます!

うわー!言っちゃったーーー🤭
でも絶対連れていくんです!
私の人生での決定事項なんです!
これからそのストーリーを皆さんにお届けして行きたいと思っています。

今回は①と言うことで、なぜ私がそんなでかいことを言ってるのか、そう思うようになったか、
過去を振り返り、お話して行きたいと思います。

少し長いですが、我ながらドラマみたいな話です。笑
最後まで読んでくれると嬉しいです!

ひよこ中学3年生

時は遡り、9年前。
私は普通の中学3年生。

家系的にバレエ一家だった為、2歳からバレエを習っていた私はダンスが大好き!
だけど中学にダンス部がなかった為、
女バスに所属していました。

運動オンチながら、必死に辛い練習に耐え、

高校は強豪校で青春をダンスにかける!

そんな憧れを持って中学生活をおくっていました。

しかしその前に当たり前ですが受験があります…。
中学2年あたりから色んな高校を見て周り、
ダンスの強い高校を探して居ました。

そこで気づいたことは、ダンスの強豪校は私立か、
偏差値の高い公立。
親から私立はダメと言われたので、偏差値60の公立を第一志望校にし、
滑り止めは家から1番近い母の母校である私立に決めました。

第一志望校のダンス部は、文化祭を見に行きましたがとてもキラキラしてて、全員が楽しそうで、ダンスがものすごく揃ってて、まさに私が目指して居た空間でした。

「ここでなら私は青春楽しめる!」
「もう通ってる自分が想像できる!」

そんなことばかり言って居た気がします笑

そこから必死に受験勉強をしました。
憧れのJKを目指し、両親に頭を下げ、塾に通わせてもらい、毎日夜遅くまで勉強をしました。

しかし結果は「不合格」
公立には入れず、全く知らない私立の高校に入学が決まりました。

あまり裕福な家庭ではなかった為、金銭面について家族会議が開かれるあの雰囲気。
思い出しただけで泣けてきます笑

だけどポジティブすぎる私!
泣いたのは1週間くらい!
(ポジティブ=アホ だと思ってこれから読んでください笑)
すぐに立ち直って入学が決まった高校について調べました。

ダンス部あんじゃん!!!
それだけで私はワクワクしてきて、

「ここで思いっきり青春してやろう!」
「得意なダンスができるんだからそれでいい!」

最強の空元気を胸に、中学を卒業しました。

ひよこ絶望の高校一年生

「私は楽しむんだ!」
「ここでダンスを思いっきりするんだ!」

必死に自分に言い聞かせて始まった憧れのJK。
しかし待って居たのは悲惨すぎる現実でした。

・ダンス部ではなく、2、3年あわせて7人の
 同好会だった。
・顧問はいるようで居ない、コーチもいない。
・制服はダサ過ぎて、中学よりスカート長い。
・少し頭が良かった私は”特進”という違うコース。

入学式に特進の担任から、
「皆さん、入学おめでとう!今日から大学受験に向けて、頑張りましょう!」

さすがのポジティブ思考の私でも萎えました笑

普通クラスは12クラスあるマンモス高ですが、その中の特進はたったの2クラス。
クラスの8割がメガネの変わった人達。
自己紹介がもはやお葬式。

だけど、それでも!!
希望の光はありました!

ひよこ、モテ期到来

全くモテて来なかった私が、なぜかモテモテ♡
今思うと調子に乗って居たと思います。笑
だけどこんな出来事、誰しも浮かれるんじゃないでしょうか。笑

彼氏もでき(現在の彼氏笑)
ダンス部にも沢山勧誘して1年生10人入部し、
先輩も凄くいい先輩ばかり!

「ダンス部、楽しめるかもしれない!」
「高校生活も思ってたより100倍楽しい!」

ポジティブ(アホ)ひよこ復活です🐥

ですがこれが、わたしの不幸の始まりだったのです。
この時は全くそんなこと思って居なかった私に、
喝を入れてやりたい!!笑

ダンス同好会をダンス部へ

本格的に部活動が始まり、私のやる気はピークに達します。

なぜなら、この高校、どこの部活も強すぎるからです!!
野球は甲子園いくの当たり前、吹部は毎回金賞、
他の部活も全部、全国大会行かないと褒められない、と言う高校なんです。

その中ダンスは入賞なんて夢のまた夢、同好会です笑

「まずは部活にしないといけない。」

そう思った私は先輩と仲良くすることに専念しました。
中学の女バスは死ぬほど先輩が怖く、上下関係を学んでいた私はすぐに仲良くなることが出来ました。

「先輩!!部活に変えましょうよ!」
「大会で優勝しましょうよ!」

ダメ元で熱いことを言ってみました。
すると、

「今年一年生が10人入ってきてくれたから、丁度私達もその話で盛り上がってたところ!!」

思ってもいなかった返答に、なぜか涙したのを覚えています笑

そこから部活にするための作戦が始まります。

まずは校則を完璧に守る!
簡単なようで、思春期の高校生がスカートを上げない、第一ボタンを開けない等々、これって意外と本気じゃないと出来ないんですよ笑
実際今も生徒への注意が止まりません笑

そして、基礎からダンスを練習し、大会に向かって本気で取り組む!
このために、先輩が通っていたダンススクールの先生にコーチとして入って頂きました。

コーチが振り付けをする高校が多いですが、私達のダンス部は生徒主体です。
そのためみんなで作品を作り上げて行きます。
自分たちの想いを乗せられるのがメリットなんです。

先輩が振りを作り、1年生は習って覚える。
大会となると、構成なども凝らないといけません。

仲の良かった先輩たちは何度もぶつかり、泣きながらいつも喧嘩していました。
私達もその先輩達の想いに応えようと、必死で練習します。
全学年で何度もミーティングを開き、全員で案を出し合ったり、時には先輩達に怒られたり、
必死にもがいていました。
大会で絶対優勝する!
当時は辛かったけど、今思うと、まさに青春でした。

そして迎えた大会当日。
ダンスは公式的な大会がなく、色々な大会があります。
この年に出た大会は、20チーム程しか出ない小さな大会でした。
ですが地区のだいたいの高校がエントリーする大事な大会です。

会場に入ると本気の他校。
圧倒されました。
中には、通りすがりに

「〇〇高校は大丈夫、余裕で私達勝てるよ」

なんて言う奴らもいました!笑
完全に舐められていたんです!

弱気になるな!と全員で声を掛け合い、本番寸前まで確認作業をしました。

1年間かけて練習してきても、本番はたったの5分間。
でも、あの時の5分間は鮮明に覚えています。
曲がスローに聞こえ、体力が全く減らず、全力で踊れたのです。
まさにゾーンってやつですね。笑

踊り終わって舞台袖にはけた時、全員の目から大量の涙が溢れていました。
みんなで抱き合い、笑いながら泣いて、

「いける!いけるよ!絶対賞とれるよ!!」

待ちに待った結果発表。
全員で手を繋ぎ、目を瞑って祈ります。

結果は「準優勝」

優勝ではなかったけれど、無名のチームが、
この地区で一目置かれたあの瞬間。
これでもかってほど叫んでジャンプしながら泣いて抱き合いました。笑

そして3位は、なんと私が憧れていた、あの第一志望校。
私が行きたかった高校に、勝ったんです!
こんなことってあるんですね。
その時心から、
「ここのダンス同好会に入って良かった」
と思えました。

この結果と日々の部員の素行は認められ、
晴れてダンス同好会は

「ダンス部」

となりました😊

大好きな文化祭

ダンス部となった私たちはすぐ、文化祭が待っています。
文化祭のダンス部って、みんなが見にきてくれて、名前を呼んでくれて、もはや学校のアイドルになった気分なんです。笑
ほんっとに楽しいんですよ!!

目立ちたがりで楽しすぎちゃった
私の文化祭中の口癖、
「今なら羽ばたける!!!!」
バカですねー笑

そして、当日モテ期だったひよこはまさに、大人気✨

ラグビー部だった彼氏が部員全員呼んできて、客席最前列を陣取って”ひよこコール”笑

文化祭中歩いていると、
「写真撮ってください!」
と長蛇の列ができたり。

ごめんなさい、アホほど嬉しかったです。笑
アホほど調子乗ってました。笑
過去にも未来にもあんな日は来ないと思います。笑

そんな文化祭で大好きな先輩達は引退です。
最後の公演は泣きながら踊って、
サプライズでステージの上で先輩達に手紙を読みました。
先輩達には本当に感謝しています。
今でもダンス部のレジェンドです!

代替わり、そしていじめ

ついに私達の代がやって来ます。
ここでも私はやる気に燃えていました。

「今度こそ優勝!」
「先輩達に負けない作品を作るぞ!」

ダンス経験者の私は本気で振り付けを考えました。
そして皆んなに振り起こし、同級生も沢山褒めてくれました。

しかしここで問題発生。
全部で三曲の作品で、二曲目を私が担当しました。
そして三曲目の振り起こしに入った時、みんなの中に不満が募ります。

「この振りダサすぎない?」
「大会の振りじゃないでしょこれ。」

たしかに私もそう思いました。
勝てない振りだったんです。

担当した子がいない所でみんなが陰口を叩いていました。
私あの空気がすごく嫌で…。

「明日、あたしが言うよ!」
「上手く言って、私も振り作り手伝うから、裏で言うのやめようよ!」

そうして次の日の練習、私は少し遅刻してしまいました。
すると、同級生がみんなで話していて、そこに入ろうとした瞬間、バッ!っとみんなが散りました。

「え?なにどしたの!?」

すると振り付け担当の子が、

「三曲目振り変えるね。」

と一言言われました。
みんなが言ったんだ!よかった!と思いました。

ですがこの時、本当は

「ひよこが〇〇ちゃんの振りダサいって文句言ってたよー、変えたほうがいいかも…。」

と、言っていたそうです。。

そんなことも知らずに次の日も部活に行くと、
同級生の女子だけのミーティングが開かれました。
なんの話し合いか知らずについて行くといきなり

「ちょっと振り付け褒められたからって調子に乗ってんじゃねーよ。」
「ダンスがちょっと上手いからなに?」
「気持ち悪い、死ねよ、男好き」

こんな言葉の数々を浴びせられました。
頭が真っ白になった私は、クラスも同じで親友だと思っていた友達に助けを求めようとその友達をみると、
まさかの大爆笑していました。

泣きそうになった私は、適当な理由を付けてこの日は帰りました。
体に倦怠感を覚えた私は家で熱を測ると38度。
その日から三日間ショックで寝込みました。

寝込みながら考えてみると、時々同級生に違和感を感じていたことを思い出しました。

・先輩と仲良くなった時、少し冷たかったこと。
・文化祭で写真撮っている時、待ってくれなかったこと。
・気づいたら文化祭1人でまわっていたこと。
・彼氏と喧嘩した時、別れなよと全員から言われたこと。

色んな点と点が線でつながり、私は高校1年生からいじめられていたことに気づきました。笑
バカですねー。鈍感にも程がある!笑
知らぬが仏って私のこと!?笑

そして罵倒されてから4日目、重たい腰を上げて部活に行きました。
すると大会前だと言うのに、twiceの完コピを同級生が踊っていました。
私達の代は10人、twiceは9人。
そう、わたしが入る隙はどこにもありませんでした。

そこで私は、ダンス部を辞めることを決意します。


その日、顧問の先生のところに行き、辞める旨を伝えました。
あっさり承諾してくれると思ったのですが、

「先輩達から言われてることがある。それはひよこを辞めさせちゃいけないと言うこと。ひよこは特進だし、受験で辞めるって言ってくるかもしれない。だけどひよこを辞めさせたらダンス部はまた弱小同好会の雰囲気に戻ってしまう。なにか困ったらひよこに言えば解決してくれる。だから先生、ひよこが辞めたいと言った時は全力で止めてください。って先輩にいわれてるんだよ。」

それを聞いた時、ずっと堪えていた悔し涙が止まりませんでした。
職員室で、人目を気にせず、声を上げて泣きました。
こんなに大好きなダンスを、どうして辞めなきゃならないの、私なにも悪いことしてない…。
そんな気持ちが溢れて来ました。

だけど一度決めたら変えられないのも私の性格。
それでも辞めると言い切り、先生と3時間くらい話しました。
すると最後に先生から

「立派な人になりなさい。いつかダンス部の皆んなが、あなたを辞めさせたことを後悔するような人になりなさい。」

「はい!必ずなります。私、教員になってここに戻って来て、この部活の顧問になります!」

気づいたらそんな言葉が出ていました。
考えたこともなかったのに。
何言ってんだ!と思う反面、それありだなってすこし思ったのを覚えています。

そして部活を辞め、私が優勝を目指していた大会を見に行くと、結果は3位。
審査員からのコメントは、

「二曲目とてもいいのに、三曲目もったいない。」

こんなスカッとするコメントありますか?笑

最後の文化祭でも楽しそうに皆んなが踊ってるのを横目にまっずいポテトをやけ食いしました。笑

将来の夢

この一件から、私は

「あいつらを見返してやる。」

そんなことばかり考えていました。
そう、ブラックひよこ誕生です。笑
復讐精神が芽生えてしまったのです。

何をしたら復讐できるのか。
ずっと考えて出た答えは

・小さい頃の夢だったディズニーダンサーになって、
  あいつらが遊びに来た時に思い切り手を振る。
・得意な理科で大学に行き、教職をとって、
 ダンス部の顧問として戻ってくる。

この2択に決まりました。笑
単純だけど、この復讐精神を原動力に、
大学受験、毎日12時間勉強しました。

そして第一志望だった大学に無事合格し、
大学時代もダンスとバレエを続けながら、教職をとりました。
そして今、母校に戻り、ダンス部の顧問をしています。

なんだかドラマみたいな話ですよね。笑
我ながらよくできたストーリーだと思ってます。笑

だから私はこの部活を強くしたいんです。
あいつらが無視できぬ程の、強い部活に!

今はもう、そんなこと忘れて生徒のために必死で試行錯誤する毎日ですが、原動力はそこにあります。

最後に

人間、頑張るためには原動力が必要だと思うんです。
それが復讐であれ、お金であれ、恋であれ、なんでもいいと思います。

だからあの時、調子に乗っていた私をいじめくれたあいつらに、今はとても感謝しています。

どんなに辛いことがあっても、最後に笑えれば、それでオールOK!
でもそこで落ち込むのも、笑いに変えるのも、全ては自分次第。

辛くてどうしようもない時は、魔法の言葉があります。

「ナンクルナイサ」

沖縄の方言で、なんとかなるさ!って意味です。
生きていれば辛いこと、悲しいこと、沢山ありますよね。
でも、10年経ったら笑い話です!
なんとかなります!

少しでも私の話しを読んで、幸せになれる人がいたら嬉しく思います😊

ここまで読んで頂き、ありがとうございます!


P.S.  ディズニーダンサーも本気で目指しました!
   この話も長くなりますので、またの機会に!

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