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ワタシは何者か

「初めまして。ひよこです。出身は〇〇、◇◇大学に通っています」

自己紹介のテンプレ。

自己紹介をする機会、私はいつも考えてしまいます。

私は何者なんだろう。

私は日本人で、女性で、大学生で…あとは?

そう、私には特別なことが何ひとつないということに気が付いてしまったのです。

人間は一人きりで生きていくには弱すぎる生き物だから、みんな無意識に「よりどころ」を求めます。帰属意識とでもいうのでしょうか。

それはきっと本当に人それぞれで、自分だけが知っていればいいものかもしれない。周りに誇示したいものかもしれない。

良くも悪くも、現代社会はSNSアカウントというたくさんの視線に晒されていますから、自分はこれこれこういうものです、と発信する機会が増えているのではないかと思います。


「特別」な人間は良いかもしれません。

ほかの人と「違う」ということを語ればそれがそのまま「何者か」を語ってくれる。


では、凡人はどうしたら良いのでしょう。

私はそれなりに勉強をしてきて、それなりの大学に在籍していますが、この学校には学生が万単位でいて。もっと難しい大学もあって。「勉強が普通よりちょっとできる」程度ではだめだったのです。

他にいままで頑張ったことは部活…じゃあ今は?

確かに、頑張っていたけれど、それは部活の範疇を出ない。『ハイキュー‼』の月島くんの言葉を借りるなら、「たかが部活」。

私がいままでやってきたこと、それは無駄とまではいわないけれど中途半端で。

そのツケが回ってきて、今こんなにも苦しいのか、と思います。

いままで努力してきたことを否定する気はないし、むしろよく頑張った、と自分を褒めたたえたい。


でも目指すべき夢や目標のない私にとって、この世界はあまりにも生きずらい。


大人は昔からことあるごとに「夢は?」「何が目標なの?」と子どもに聞いて回ります。

才能がない。やりたいこともない。

そんな人間には自分が「何者か」なんて語らせてくれなくて。

優秀なあの子の語る「未来」が眩しすぎて。

私はどうしたら良いのだろう、と、夜中に考えて寝られなくなる。


私はどこからきて、どこに行くのか。なぜ、私はこの世界に生まれたのか。

考えても仕方のない問いかもしれません。


でも、凡人のワタシが唯一できることは「考えること」。


考えて、悩んで、喜んで、悲しんで。

答えが出るまで醜く生きよう。


そう思えるようになったのはいつのことだろう。

きっと答えなんてないのでしょう。


10年後にはきっと誰かのお嫁さん。

15年後にはお母さんかもしれない。

生きていく中で「何者か」は刻々と変化してしまいます。


ワタシは、今を生きている。


「何者」でもないなら、きっと「何者」にでもなれる。

だったらなってみよう、と思います。


今しかなれない、「何者か」に。

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