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22.私にとっての”徳島”という時間軸①

私は2011年4月から2017年3月までを徳島で過ごしました。

たまたま今、難波のオフィスビルで勉強していて、ふと窓の外を見ると徳島向き(西側)だったこと、空が徳島時代に見ていた空に似ていたこと、さっき来週末徳島に行く往復のバスチケットを購入したことなどが重なり、この話をしようと思いました。

入学したときに私が大学生活を送るうえで決めていたことは、「必ずこの大学に何かの爪痕を残す」ということでした。色々な経験があり、たくさんの経験や友を得ましたが、徳島での6年間で私が手に入れた一番大きなものは”自信”だったなと思います。自意識過剰になったという意味でもなければ、「あなたは元から何かと自身があるタイプやったやん」と言われる方もいるかもしれませんが、そうではありません。

連戦連敗の前半戦

徳島での6年間を事細かに話すと本が書けてしまいそうな分量になるのでさらっとしか書きませんが、私の徳島時代の前半戦(1~3回生くらい)は”連戦連敗ではあるが、定期的に小さな成功をつかみ取っていた”ことです。告白しては振られ、サークルもうまくいったりうまくいかなかったり。特に軽音楽部での前半戦は、1年生の学園祭がピーク、そこから人間関係や私の技術不足でどんどんバンドがなくなり、退部直前にまでなっていました。そんな中での小さな成功とは”たまに出たライブで自分のパフォーマンスを承認してくれる人がいた”ことと、”学業はそつなく、上の下くらいを維持していた”ことです。

この2つの成功は、当時の私にとっては大きなことでした。私はこの時まで自分を”褒めたり認めてくれたりしてくれた人は、予備校時代のチューターの人だけだったから”です。承認してくれる人がたくさんいるという環境は、本当に衝撃的でした。(このことについては別で記事にしようと思います。)

もう一つ、”学業をそつなくこなせた”ということも、私には大きな出来事でした。大学からの私しか知らない人はご存じないとは思いますが、中学高校時代の私と言えば、ずーっと学年で下から数えて10番目くらいの人間だったのです。勉強も嫌いでしたし、できないと思っていました。する気もありませんでした。そんな私が予備校時代の転機から勉強できるようになったのですが、大学でもそれを続けることができたのです。冒頭で、たった今、この記事を書いているのは難波で勉強しているからと言いましたが、”勉強すれば自分の能力が高まる。そして私にはそれができる”と思えるようになったのは、間違いなく浪人時の受験勉強と大学時代のおかげです。

想像していた自分に近づけた後半戦

大学時代の後半戦(4~6回生)は、”自分はどう戦えばよいか分かり、大きな成功体験をたくさん経験した”という感じでした(もちろん、後半戦でもたくさん失敗はしましたが)。希望の研究室に入れたこと、就活で無双でき徳大で初めて関西の某私鉄不動産会社の総合職に入社できたこと、大学生協学生委員会での立ち回り、軽音部で表現できたことや残せたこと。ある意味、”入学したときにこんな自分になっていたいなと思った、その姿に近い自分になった”という感じです。

どう終わったか、が思い出を大きく左右する

過去は美化されがちです。逆もまた然りです。例えば中高時代は私にとっていい思い出ではなかったのですが、細かい事象を思い出せば友達もいたし成功体験も少しはあった。決して最悪ではなかったのですが、トータルしてはいい思い出ではありません。逆に大学時代は今書いたように美化されまくりですが、6年間を通して、失敗、嫌な思い、怒られたこと、思い出したくもないようなこと等の経験がたくさんあります。ただ両者の大きな違いは、終わるときにどう自分が感じていたか、だと思います。

私がなぜタイトルを、「私にとっての”徳島”という時間軸」という名前にしたかというと、”時間”とは”場所”だと思っているからです。説明すれば長くなるのですが、1つの解釈の仕方として間違ってはいないと思っています(これもいつか記事にします)。あの時、あの時間にあの場所にいたから、今の私があるわけです。私にとってたくさんのものを与えてくれた第二の故郷、徳島に感謝です。今はなかなか帰徳できていませんが、コロナが落ち着けば、定期的に帰りたい、そんな私にとってかけがえのない時間を過ごした場所の話でした。

自分語りが多い記事になってしまいましたが、なにか役立てられるものがあれば幸いです。

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