おじいちゃんのガチャポン
近所のクレジットカードの使えない文房具店の前には、100円でスライムが買えるような古びたガチャポンがまだ置いてある。新宿ではこんなおもちゃにはもう子供は見向きもしないのだろう。カプセルの山が減らないのを毎日出勤時に確認してしまう。そして世界で一番優しいおじいちゃんのことを思い出す。それは祈りに近い。
今思えば、お母さんがたのおじいちゃんおばあちゃんの家は大学生向けの学生寮をしていた。(子供の頃は理解していなかった)
だから二階にはたくさんの部屋があったしお風呂も、食堂も2つあった。
いつも使わない方の食堂のレンジにグラタンがはいっていたことがある。いい匂いのグラタンが温まるのをじっと見つめていたら後ろにしらない男の人が立って困った顔をしていた。それに気がついたおばあちゃんは「ごめんなさいね」と言って男の人も笑っていた。
お風呂が湧いたことを知らせる放送をするためのマイクもあった。
一度祖父母の代わりに”オフロガワキマシタ”をしたことがある。
祖父母の言葉を真似してキャッキャと笑っていたけれど、それになんの意味があるかもわかっていなかった。
”ダイガクのガクセイリョウ”というものがどんなものかもわかってなかったけれど、たくさんの部屋があって変な構造をしてるおばあちゃんの家にいくのがとにかく楽しみだった。
おばあちゃんはとにかく明るくて私達を大げさに褒めてくれた。
おじいちゃんは眉毛がふさふさで困ってるみたいな顔で笑っていた。
出てくる唐揚げは味が濃くてすごく美味しい。家の前には坂があってそこを自転車で滑る。横にある田んぼにはタニシとカエルがたくさんいて、捕まえ放題。天気の良い日、川では亀が日なたぼっこしていた。
太くて大きい木があったので、使命感に似た気持ちでお母さんを連れて蝉取りに行くのが夏の決まりだった。
木緑色のプラスチックでできた虫かごにぎゅうぎゅうになるまでセミをつめて満足していた。
カエルをたくさん捕まえて縁側でたくさんスープ
(バケツに水とカエルをいれたもの、もちろん逃げる)
を真剣に作った。
どの遊びをする時も、プラスチックでできた保温効果の全くないケロッピーの水筒がお気に入りでいつもそばに置いていた。
そんな遊びかたが選び放題な中でも毎回欠かさないルーティーン、そして一番のたのしみがおじいちゃんとのガチャポンだった。
朝起きて朝ごはんを食べると財布を持ったおじいちゃんは私と妹と弟時々いとこを連れてスーパーに向かう。
おじいちゃんは私たちよりもだいぶゆっくりと歩くので、合わせるために
近くの工業排水の流れるオレンジ色の水路を観察しながら歩いた。
変な匂いの変な色をした水路は毎回微妙に色が違う。
おじいちゃんはの背中はいつも曲がっていて、足は引きずるみたいにして歩いていた。
多分15分位の道すがら、ずっとどのガチャポンにするか、それともガチャポンを我慢してお菓子にするか真剣に考える。
(ガチャポンを引く代わりに同じ値段だけのお菓子を買ってもらうこともできた)
一等が豪華な200円するガチャポンには、スカがたくさんあることを学んだのもこのときだ。
トランシーバーは結局一度も当たらなかった。
スーパーにつくと店の外にあるガチャポンの前にしゃがんで、じっくりと全ての機械を眺めた後にどのガチャポンにするか、それともお菓子にするかどうかを決める。
今思うと、あの時間、おじいちゃんは何をして待ってたんだろう。
急かされた記憶は一度もない。
そうして頭を使うスーパーでの任務が終わったあとは、向かいのケーキ屋さんに向かう。
ここでおいしいアイス(コンビニには売っていないやつ)を買ってもらって
帰りながら食べたりしていた。時々はケーキも買ってくれた。
甘いものが大好きなおじいちゃんは必ず自分の分も買う。
そして優しいおじいちゃんは、お母さんの分もおばちゃんの分も買う。
お母さんとおばちゃんがおじいちゃんの娘だということをわかっているようで理解はしていなかった。
アイスとガチャポンを手に入れて達成感に満たされたほくほくの帰り道だった。
ガチャポンにお菓子にアイスにケーキに、それがおばあちゃんの家での一大イベントだった。
あのアイスはものすごく美味しかったし、あのガチャポンは特別だったのだ。
今では考えられないくらい早く起きて、毎朝いつ行くのかなとそわそわして
おじいちゃんがゆっくりと腰をあげるのを待っていた。
私が高校を卒業する頃、おばあちゃんたちは
もう少し小さな家に引っ越してしまってその儀式は終わってしまった。
最後にいったのはいつだったんだろう。
ただほんのり、帰り道におじいちゃんが、小さくなった気がしたことだけ覚えている。
記憶の中のおじいちゃんは甘いものをいつも食べている。
おじいちゃんは縁側のある部屋でテレビを見ていたことがあった。
私はファミリーパックのぱぴこを食べだす。チョコレート味のはずだ。
おじいちゃんは食べている私に気がつくと、一口頂戴といった。
私は躊躇いなく渡す。
そして、おじいちゃんが本当に一口だけ食べて、戻ってきたぱぴこのプラスチックの細くなるところに、よだれがいっぱいついているのが見えた。
”汚いなあ”
と思った。
そしてハッとした。
”今私は確かにおじいちゃんに汚いって思った。”
私たちが帰るときはいつも車が見えなくなるまで、坂の上から手を振る優しいおじいちゃんのことを。
その事実に打ちのめされて泣きそうになりながら全部食べた。
涙はこらえた。大好きなおじいちゃんがテレビを見ている背中が見える。
味はわからなくなった。
あの気持ちをどう表現したらいいのかまだ私にはわからない。
おじいちゃんがもう私を私とわからなくなってしまったとき
おばあちゃんがいった。
”おじいちゃんね、100円玉ばっかりためてたんよ、小銭入れに。
あやちゃんたちとガチャポンするために。
三万円くらいあったと思う”
当たり前のように渡されていた100円玉の意味。
おじいちゃんの小銭入れには、あと100回以上のわたしたちとの未来があった。使わずにおじいちゃんは亡くなってしまった。
私は優しいおじいちゃんが大好きだった。
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