佐々木俊尚さん「広く弱くつながって生きる」の読書感想文。

所属しているコミュニティsusonoの8月は、夏休みの読書感想文を書くことになりました。
課題図書の1冊を早速読みました!

家族や会社などの強いつながりを持つコミュニティが、核家族化や終身雇用が継続できなくなったことで、崩壊しつつある現代において、どのように生きていくのか。佐々木さんの優しい提案の本でした。
全体を通した読了感としては「はい。私の常々感じてること、これです」でした。

最近感じている私の違和感については↓こちらをどうぞ。

この本はなんだか息苦しさを感じる息苦しさの大半は「人間関係」にあるんじゃないかな、と感じた佐々木さんの「人とのつながりのあり方を見直し、構築していくため」の優しい本。

どんな人とのつながりかというと、「はじめに」にこんな記載があります。

もっと気楽で居心地が良くて、でも持続性があって「きっと誰かが助けてくれる」と思えるような人間関係

これを佐々木さんは「弱いつながり」と表現しています。
そして、弱いつながりをどう育ててきたか、それがどうやって仕事になっているのか、という佐々木さんの実践内容が沢山盛り込まれていました。

個人的に一番印象に残っているのは、苦手な人と出会ったときの佐々木さんの対応について。

私は「ニコニコしながら手をふりつつ、だんだん遠ざかる」という作戦を取っています。

ここ、思わず笑ってしまいました!
このイメージがありありと浮かんでしまって・・・笑

佐々木さんとお話していると、いつもにこにこされててふうわり、というなんともいえない柔らかい言葉がぴったりです。
(私は超のつく内向型なので、なかなか自分から話しかけられないにもかかわらず、覚えてくださってたりしていて感動しか無いです・・・><)

つながりを作るSNS

さて、佐々木さんはどんなふうに、つながりを作り、お仕事へつながっているのでしょうか?

その一つが、SNS。
佐々木さんは、SNS(FB・twitter)をかなり活用をされています。

多くの人はプライバシーをオープンにすることを怖がります。しかし、クレジットカード番号でもなければ、じつはさほど実害はないはずです。名前、生年月日、顔写真などを公開したところで、重大な問題が起きるとは思えません。

私も基本同じ考え方なのですが、公開に対してはちょっとした心理的ハードルはあります。それは「所属」を明らかにすること。所属を明らかにしてしまうと、その所属先に迷惑かけたらどうしよう?ってなります。この辺はフリーランスの方だとクリアでちょっとうらやましかったりします・・・。

そして佐々木さんは、SNSでつながったら「会いたい人に会いに行く」
このフットワークの軽さ!流石だなーと思います。

自分に置き換えると、自分の「内向型」の資質が色んな所で邪魔してるのは明らかです。直接つながること、さらにつながりを維持していくこと、については結構なエネルギーを必要としてしまいます。

とはいえ、無理しすぎてエネルギー枯渇すると、「わーん」ってなってしまい、バッサリ人間関係を切りたくなってしまうので、無理しない、が私のスタンスです。

とはいえ、つながっていく、となると「規模」と「頻度」が大事かな、と。

1回のイベント、大人数の場所では、私は基本つながりを作ろうとはしないのです。いるとしても、一人でボーッとしていることが多くて、いたたまれないなぁと思ったら、サクッと帰ってしまいます(笑)

少人数で(大体多くて20名くらい)定期的に会うような環境があると、流石に自然とつながっていくことができます。この流れに乗れない場合は諦める、ということにしています。

あと、自分からメッセージ送るとかは、それ相応の理由が必要だったりするので、私から積極的に連絡しないと繋がれない人は仕方ない、と思うことにしています。

「個」とはなにか?

プライバシーの開示を怖がるのは人が「自分=個」を守りたいから。
でも、個って本当は他者との相互作用のなかから生まれ得るものではないかと佐々木さんはおっしゃいます。であれば、個を高めることは、他者との相互作用をより良くすることを考えることが大切ではないかと。

じつは個という存在はさほどのものではなく、すべては相互作用(多様な価値観の接触)から生まれるものなのではないでしょうか。他者との関係性の中で個のパーソナリティは決まるものであり、生来的な個の要素は大きな意味を持たないということです。

個を高めたいのであれば、他者との相互作用をより良くする方法を考えることが一番大切だと思います。(中略)そういう弱いつながりが、個を鍛えることにもなるのではないでしょうか。

これも、私は完全に同意する部分です。
自分以外の人・モノがあるからこそ「自分」が認識できると気がついて以来、「確固たる自分」にある意味信頼を置けなくなっています。

自分に信頼を置けないというのは、土台が無くてふわふわしているようにも捉えられがちですが、私にとっては「自分の考えが絶対ではない」という価値観の源泉でもあり、自分の物事の捉え方をいつも内省できるという、いい面も強く感じています。

そうやって自分の考えを常にアップデートすることで、個が強くなっている面はあるかも知れません。(ただ私はアウトプットが苦手で遅いので、強さまで変換しきれていない気がしますけども。)

つながりから生活へ。

弱いつながりはどの様に生活と結びついていくのでしょう?
特に、生活のベースである「仕事」。

佐々木さんのようにどこにも帰属せず、フリーランスとして、ゆるくつながりながら生きていくのは、どこか不安を感じる人も多いのではと思います。

しかし、佐々木さんは、「不安と不安定はまったくの別物」といいます。
会社員でもいつ会社がなくなるかわからないような、不安定になる可能性の高い現代において、たくさんの関係性がある意味セーフティーネットのように機能する安心を築いてみては、と提案されます。

そもそも、本にもありましたが、10年後にどんな仕事をしているか?なんて、誰にも予想がつかない時代になってきました。
確かに、不安定ではあるけれど、安心であるという状態は作れるように思います。不安定=不安になってしまうと、これから起こる変化にはついていけない可能性のほうが高いのかも知れません。

くり返しますが、その時に必要なのはスキルではありません。あるスキルでは食べられないような状態になった場合でも、「こっちにおいでよ」と別のに誘ってくれる友人や知人がいるかどうかの方が、むしろ大切なのです。

高みを目指すか、ゴールの無いプロセスを楽しむか。

私が最近感じている違和感の大きなものは、なるべきもの・向かうべきものがあるという空気感によるものが大きいと感じるのですが、佐々木さんは、高みを目指す生き方から、今の生活へシフトをしています。

そういう弱肉強食の世界に、私自身が疲れてしまいました。そうではない世界で暮らしたくなり、高みを目指す生き方からシフトしたと言えるでしょう。

今、自分の気持ちとしては「成長したい」というより「成長しなければ」という思いに苛まれています。
日々自分ができていないことばかりが目に付き、様々な人の成功を聞いて、羨ましく思い、こうなりたい、と願う自分がいます。

かといってそれに邁進する意味を感じられない自分もいます。

こんなちゅうぶらりんな状態で、さらに、人とのつながりを自分から積極的に作ることがとても苦手な私が、不安定が実際にやってきた時にやっていけるのかな?、と不安になってしまうところがどうしてもあります。

ただ、最後の第5章にある言葉たちは、そんな私の不安や違和感を少し救い、深呼吸をさせてくれるような言葉たちに感じます。

・ゴールのない旅を続けることがとにかく魅力的なのです。
・人生は偽ピークの連続である
・プラスや高みがすべてではない
・貯蓄で安心感を得るのは難しい
・達成が楽しいのは達成した瞬間だけ

多分、今感じている不安を消すことは難しいでしょう。
でも、実際に不安定がやって来た時には、なんとかするだろうとも思っています。
どちらも、100%ではないから、完全に思うことはできませんが。

これから何が起こるのか、プロセスを見つめながら、佐々木さんの言葉のように、やさしく、静かに生きていけたらと思ってやみません。

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