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November - エッセイ

また11月がきてしまった。
カレンダーをめくっても、「もう8月か、早いな」と、時のうつろいをおざなりに感じるばかりだが、11月は違う。わずかに特別な感慨が含まれるのだ。

23回目の誕生月を迎えてしまった。
ハロウィンで盛り上がる10月と、クリスマスや年の瀬といった大きな催しがある12月に挟まれ、11月はどこかアイデンティティーが薄いように思える。

事実、11月は秋か冬かも曖昧だ。
中学校のとき、新しいクラスで親睦を深めようとフルーツバスケットをした際、
「秋生まれの人!」で、すっと立って急いで席を移動し、「冬生まれの人!」で、
(いや、やっぱり11月は冬なのかな…)と、ぎこちなく席を立って、こいつはどっちなんだと周りに思われたりと、今ひとつ、11月がどの季節に属するのかわかりかねていた。今もそうである。雪国生まれだからかもしれない。11月は秋の涼しさを通り越して、もうストーブを出す季節であった。だが、雪が降るにはもう少し待たなければならない季節でもあった。

このように、11月はとかく一言で表しづらい。
もし、11月が誕生月でなければ、「早くクリスマスになれ」と失礼にも次の月を待ち遠しく思っていただろうし、「November」というタイトルで11月に思いを馳せた雑文を書くことなど百歩譲ってもなかったはずだ。

だが、大切な誕生月を擁護せずに終わるわけにはいかない。
いくらアイデンティティーの薄い月といえど、この控えめで絶妙な存在感が無ければ、12ヶ月ひと回りの一年は成り立つだろうか。

夏と冬を接合するのが秋なのだとしたら、秋と冬のわずかな隙間を埋めるのが11月ではないだろうか。実りの季節の息の根を容赦なく止め、長い死の季節へとつなげるのが11月の役目ではないだろうか。
10月の紅葉は綺麗だ。きのこも山菜もいっぱい取れるし、秋風は涼しい。そして、10月31日のあとは、12月1日。そしたら、どうだ。たちまち雪がちらつき、あっという間に銀世界。これではさすがに変化が急すぎる。

変化が急で何がダメなのか。
それでは、秋の終わりと冬の始まりをしみじみと思うひとときがなくなってしまうからだ。
季節は、風物詩を享受するだけではない。
「夏の終わり」
これだけで何遍も小説が書けてしまうように、季節は終わってしまう哀愁があってこそ成り立ち、季節として完成するものなのだ。

綺麗だった紅葉が無惨に道端に落ち、掃き捨てられていく。
涼しかった秋の風が、だんだんと肌を刺すような木枯らしに変わる。
抜けるような快晴の空が、どんよりとした曇り空に変わる。

11月が連れてくる気の滅入るような変化がなければ、冬も新年も訪れないし、
春にもつながっていかない。

11月は1年で一番大好きで大切な月だ。
後からくる12月ほど派手ではないけれど、
季節と季節をつなぐ大事な役目を担っている。

11月のような人。
それはたいそうな褒め言葉である。

P.S. ヒトリエの「November」はものすごく良いです。



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