はじめに
前回長くなってしまったので、途中で切りました、産女の2回目になります。
前回↓
まず、今回確認する柳田國男「橋姫」の範囲を、改めて挙げます。
10.産女について(後篇)
26.『和漢三才圖會』
『和漢三才図会』は、江戸時代の正徳から享保年間(1711-1736)にかけて、寺島良安が編んだ図入りの百科事典です。明の王圻『三才図会』を模したもので、全105巻81冊あります。
大巧寺に産女の宝塔と言うのがあります。これは、日棟上人のところに産女の幽霊がやってきて、死者の冥福を祈る読経を希望するので、してやったところ、金をくれたので、その金で建てた塔であると言います。
26.『新編鎌倉志』
『新編鎌倉志』は、延宝年間(1673-1681)に徳川光圀が臣下に命じて編纂させた鎌倉に関する地誌です。
内容は『和漢三才図会』と全く同じです。むしろこの『新編鎌倉志』の内容をもとに簡略にまとめたものが『和漢三才図会』なのではないかと思ってしまう程です。
図会では書かれていませんが、『新編鎌倉志』には池と橋柱跡があったと言います。産女の話ですが、橋姫的要素も含んでいますね。
27.『日本宗敎風俗志』
『日本宗教風俗志』は、仏教学者の加藤咄堂が、全国の習俗・行事などを収集したもので、明治35(1902)年に刊行されました。
『日本近代文学大事典』によると「学術的には問題であるが注目すべき労作である」(杉崎俊夫)と評されており、ちょっと面白いです。
この項目は長いので、適宜改行を入れて、それとなく整理してみました。
本題は▼のところなのですが、せっかくなので前後も引用しています。
岩窟崇拝、石崇拝、植物崇拝について、それぞれ簡略に列挙されています。
産の玉の話は、石崇拝のところですね。
児を抱いたところ「重きこと石の如く冷かなること水の如く」と、急に風林火山みたいな言い回しになるのも面白いです。
28.
国男は、実は謝礼をくれるために出てきたようなもので、仏法の功徳も後付けだと言います。
私としては、読経してもらい、成仏するために出てくるというのが、お能によくある流れなので、その影響も考えたくなります。
「赤沼黑沼の姫神の話」は10『雪の出羽路』のことです。
この話では、手紙を届けたことで、結果として金を手に入れています。
悪いところがなく、素直に幸福を得ている点で、確かによく似ていると思います。
國玉の橋姫が後に子持ちとなつて現はれたのは、07「甲斐口碑傳説」のことです。
国男は「小説にしては乳呑兒を抱けと言つたなどが、餘りに唐突で尤もらしくない」と評していましたが、産女と橋姫が同様のものとなり、要素が合流するのは自然だと言うのでしょう。
おわりに
今回は好意的な産女の話を確認しました。
乳呑児や橋柱の跡など、これまで確認してきた橋姫と共通する要素がありましたね。
橋姫を理解する要素の一つとしての産女でした。
次回は、謡をうたうことについてです。