つぶやき

「変わっている」
それが昔からわたしについて回る言葉。
本人の自覚は無いけれど
きっとわたしは個性的なのだろう。
きっとどこか一般的な人が落ち着く範囲では落ち着けないのだろう。

自分の普通が他の人とは違う。
そんなの当たり前のことだ。

だから変わっているからと言って
それがどうしたが実は本音だったりする。

けれど変わっているという一言ではじかれてしまうこともある。
それはやっぱり寂しかったりする。
だからといって自分の個性を変えてしまうことはできない。
いや、わたしにはできなかった。
たとえ
「あなたの考えていることがわからない」と言われても・・・。


遠い昔の暗い話しだ。
家でも学校でもわたしは居場所がない子供だった。そんな気がする。
そして未だに居場所を探している。
けれどそんなわたしに
「あなたらしい。」と言って接してくれる友人がいる。
言葉足らずなわたしの言葉から友人なりに納得をしてくれる。
自分でもよくわからないそのままの自分を受け入れられる。
これほど心地の良い安心感はないと思う。
闇の中に落ちてしまったわたしの心は
そんな友人を得て少しだけ自信を取り戻した。

受け入れられる。

そう感じることは生きる為に必要なこと。
それは家族じゃなくてもいい
それは恋人じゃなくてもいい
それは友達じゃなくてもいい
誰でもいい一人だけでいい
わたしの場合は友人だった。
だから
彼らに誇れるように生きたいと強く思う。

明媚的月光ー2007.5.5

一学年、一クラス、クラス人数は多くて25人ぐらいの田舎で育ったわたしは、高校進学の際に、故郷を一人離れ、一学年、10クラス、クラス人数は40数人のマンモス校に通い、カルチャーショックを受けた。そして、持ち前の個性が目立ちすぎたのか、ある時、突然、それまで普通に話していたクラスメイトから無視をされ、ありもしない噂話を吹聴され、1日、誰とも話すことがない日が日常となるなんとも寂しい高校生活を送っていた。
それまでどんな荒波にも負けずに生きていくぞ!と息巻いていたわたしの自信はなくなり、余計に自分の世界に閉じ籠るようになった。
学校行事は目立たぬように、時々、サボっては、ミニシアターで映画を観たり、レンタルビデオを借りては朝まで観ていたり…
当時は誰にもそんなことは言えなかった。
言いたくもなかった。
話し相手も、遊び相手もいなかったなんて格好が悪すぎる。だから1人でやり過ごしていた。今みたいにSNS のない時代。よく頑張ったものだ。何だかんだと高校を卒業して、大学生になり、自分のいた世界がミジンコみたいに狭い世界だったと実感して、わたしはようやく、自由になった。
不思議と彼女には何でも話せた。
そう、彼女はいつも「それでいいんだよ」といってくれているようにわたしを受け入れてくれた。そっと背中を押してくれた。
叱ってくれたこともある。
お互いに、離れてしまったときもある。
けれど、再会をして、お互いに家庭をもって悩みもつきない。でも、想いを素直に打ち明けるとそれでいいと言ってくれる。
そして、一人じゃないんだと気づかせてくれる。
受け入れられる。なんとなくくすぐったい優しい気持ち。
わたしも随分、成長したものだ。と自分で自分を誉めてみる。

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