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ショートヘアとあの夏の後悔

久しぶりに髪を切った。
理由は特にない。
なんとなく気分転換したかった。
ただ、それだけ。

カットする手がヒラヒラと蝶のようによく動く美容師さんだった。
サクサクと髪を切り落としていく。
初めての美容室だったので話すこともなく
わたしはぼんやり鏡を見つめた。

随分と年をとったようだ。
重力に負けてきている。
色々と時間をとられて疲れているのだろう。
体調もよくないし…
鏡の自分に伝えた。
あんた疲れてるよ。
少し休んだら?

鏡のわたしは無言だった。

このショートのスタイルはいつからだろう?
髪型は変わらない。
けれど鏡の中の自分は変わっていった。
少し、この鏡の中の自分の時間を戻してみようとふと思い付いた。
30代のころ、20代のころ、10代のころ。
若い。肌がイキイキとしている。
うらやましい。楽しかったよね。
毎日、何かしらドキドキしていたね。

「キスしよっか?」
懐かしい声が聞こえてきた。
そこは古くなったブランコがある公園だった。
子供の数が少なく、広場はゲートボール場になっていた。
すぐ横に町の体育館があり、
学校のない日の溜まり場だった。
よく集まるメンバーが約束もせずなんとなく集まる。
誰かが持ってきたバレーボールで円陣を組んでワイワイ言いながら遊ぶ。
田舎だから遊びにいく場所なんてない。
健全に有り余った若さを発散していた。

中学生になってわたしはバレー部に入り
部活のメンバーとそこで遊んでいた。
そこに野球部の先輩が乱入してきた。
その中にわたしは好きな先輩がいた。
けれど、その先輩は他の子が好きだった。
お付き合いをしているのを知っていた。
今、思えば、なかなかのプレーボーイじゃないかと思うのだけれど
わたしはわたしで先輩と一緒にいられるから
それはそれで良かった。
2歳年上とは言っても田舎なので小さい頃から顔馴染みで、先輩のお父さんとわたしの母が同級生だったのでよく知った仲だった。

思春期のど真ん中で異性を意識し始めたときに、少女漫画のような出来事があればそれは好きになってしまうものだ。

急に熱を出し、部活を早退し、帰り支度をしていたらいきなりやって来て
「顔、赤いぞ、大丈夫か?」と言うなりわたしの前髪をかきあげおでこを付けてきたり、
雨の日に1人で帰っていたら後ろから走ってきてわたしの傘に潜り込み「助かった~。」と無邪気に笑ったり、まさに青春ラブストーリー的なことを悪びれもなくやってのける人だった。

何を話していたのか、どうしてそんなに仲良くできていたのか、気がついたらそんな仲でわたしは先輩が好きになっていた。

でも、
先輩の好きな人はわたしのことを親友と呼びいつも一緒にいた子だった。
その子はわたしの気持ちを知っていた。
それで彼と付き合っていた。
で、それを内緒にしていた。
先輩が彼女に告白したらしい。

わたしはその事にずっと気づかない振りをしていた。
仮にわたしが先輩と付き合ったところで状況は今と変わらない。
学校でちょっと話して時々、一緒に帰って、遊ぶだけ。
中学生なのだ。好きな人とどうこうというよりは好きな人がいることでもう満足だった。

あの日もそうだった。
先輩がいるかなというかすかな期待でわたしは公園へ行った。
バレーボールをしていたら先輩が来た。
どうしてかは訊くこともできないままなので今になってもわからないけれど
先輩はわたしと彼女がいるといつもわたしに話しかけてわたしをからかった。
この時の円陣バレーでもいつの間にか
彼女はどこに行ってしまい、他の人たちも別な遊びを始め出し、わたしと先輩だけになってしまった。
監督と選手な呈で暫くラリーは続いたのだが、ボールがそれてふたりの時間は終わった。
ここでどんな話をしたのかは思い出せないのだけれど、
なぜかその日はそれで終わらなかった。

わたしと先輩は二人だけでジュースを買いに行った。
「好きな人いるの?」
「いるよ。」
「それって俺の知ってる人?」
「そうだったら?」
「どうもしないと言うか、俺、彼女いるからなぁ。」
「自分のことだと思ってるの?」
「違うの?」
「もし、そうだったら、ほんとにどうする?」
中学1年の夏だった。
とても好きだとは言えなかった。
告白するなんてことは考えてもいなかった。
けれど、恋心は意地悪で
近くに居るほど、相手の気持ちが知りたくなってしまう。
精一杯の背伸びをした。
そんな瞬間だった。
先輩は暫く黙ってわたしと並んで歩いた。
自販機の前にくると唐突に先輩は言ったのだった。
「キスしよっか?」
状況が理解できていないわたしの肩に先輩の手が伸びてくる。
「目、閉じて。」
メガネを外された。
わたしはこの時、目を閉じたのかさえ覚えてない。
どらくらいの長さだったのか、何が起きようとしていたのかさえも記憶にない。
覚えているのは
頭のてっぺんを軽く撫でられ
「ごめんな。」
そう言って去っていく先輩の後ろ姿だけ。

あの日、もし、思い切って先輩にキスしていたら状況は変わったんだろうか?
先輩は卒業まで変わらずにわたしをからかっていた。
わたしの気持ちは知っていたから確信犯だったはずだ。
わたしはわたしでずっと先輩が好きだった。
先輩が修学旅行のお土産にくれたシャープペンシルは壊れてしまったけれど今でも捨てられずにいる。
全てが甘酸っぱい恋の思い出。
先輩は今、どうしているだろう?
すっかりおじさんになっているに違いない。

ふと自分の顔が飛び込んできた。
鏡にはキレイにカットされたショートヘアのわたしがいた。
そういえば先輩は「髪の短い人が好き。」と
わたしに言っていた。
わたしは小学生の頃からショートヘアだった。そんなわたしの真似をしてショートヘアにしたのが彼女だった。
先輩が本当に好きだった子は誰だったんだろう。
あの時、キスしておけばよかった。
少しくらいはわたしも先輩を惑わしてみてもよかったんじゃないか。

随分と昔を思い出してしまった。
別に美容師さんが先輩に似ていたわけではない。
ただ、ここの鏡が大きくて
自分の顔がよく見えたから。

先輩が見つめたわたしの顔はいったいどんな感じだったのだろう。

さっぱりとしてわたしは美容室をあとにした。
北風が首回りを冷たく撫でていく。
まだ春には遠いようだ。

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