見出し画像

4回目の結婚記念日。

全然noteの記事が更新できないまま、1年が過ぎていった。

どのくらい更新が疎かかというと、2つ前の記事が「3回目の結婚記念日。」、よもやよもやだ。

去年の7月に生まれ、9ヶ月になる末娘は、粗大な四肢運動が活発化、足で周りを蹴り飛ばすし、モノを掴んでは振り回すし、大きな音や声にビックリすると泣くし、母(ワタシ)がいないことに気がつくと泣くし、知らない人に抱っこされると泣くし、じっと見つめている人から見つめ返されると泣く。

5月で3歳になる上の娘は、絶賛イヤイヤ期を謳歌しすぎて、ことあるごとに「イヤ!」を唱える。...話のついでだが、オランダに嫁いだ友人のところに、新婚旅行がてら遊びにいったとき、当時2歳間近の息子くん(激カワハーフ)がいて、オランダ語で「ノー(No)」は「ネイ(Niet)」というのだけど、まーそれはそれはネイネイネイネイ言っていて、ネイネイ期真っ盛り。

2歳児界隈で巻き起こるそれは、全世界共通の現象であることを文字通り実感した。

ノーと言えない日本人は、2歳児をお手本にしてみるといいかもしれない。(おすすめはしない)

noteは最近、専ら読むばかりで、書き綴る時間は中々捻出できずにいたのだけど、人様の記事を読んでいるうちに、自分の奥の方にある扉がノックされるような感覚が度々ある。

*

4回目の結婚記念日、我が家には訪問者が滞在していた。

訪問者は私の兄一家4人と、普段一緒に暮らしていない娘(旦那の元妻に引き取られた子)1人の計5人。

私と旦那さんとのなれそめ的なものは、その2つ前の記事に少し書いてあるので割愛するが、私たちは「4」に縁のある日に入籍した。それは、「4」に縁のある日に生まれた私の兄にも関係しているので、その日はケーキでかるーくお祝いした。

「はい!(4に該当する)みんなおめでとーう!」
(拍手!パチパチパチパチ)

終了!!

...その直後、絶賛イヤイヤ期中で、やりたいことはなんでも自分がやりたい娘がロウソクに火をつけろと言い、見事に自分で吹き消した。

それでこそ2歳。

みならいたい。(おすすめはしない)

兄の子供2人はものすごくワンパクで、声は大きいし、よく食べる。汗だくで駆け回り、ずっと叫んでいる。うちの2歳の娘もそれに追随し、転んでは泣き、ぶつけては泣く。

対して、旦那の連れ子である長男と、連れられていった娘は、声は小さく、食は細く、静かに室内で過ごし、落ち着いている。ワンパクたちから遊ぼうと誘われれば遊んでくれる優しさも持ち合わせている。

とはいえ長男くんは今年から中学生。だいぶ食べるようになったので、食は細くなくなってきたけれど、全然太らない。元妻さんの遺伝子の兼ね合いもあるのか、2人とも色白すぎて透き通りそうなレベル。

鍼灸師としては、顔が青白いとつい胃腸が悪いのではないか、肝臓は大丈夫か、などと心配してしまうのだけど、まぁ子供は外で元気に遊べば治るとも思っている。(外で遊ばないから白いんだけども)

対照的な2組の兄妹(姉弟)を前に、改めて人というのは多様だなと思う。

当たり前だけど、親子で似ている部分もあれば、全く理解に苦しむ部分もあるのに、他人様のことまで考えたら、ヒトというフォルムに共通点は多いものの、中身は宇宙人だとしても分からないのではないだろうか。

...というくらい違う。

みんな違って みんないい。

いい、
もちろんそれでいい。

けど、やはり似ていれば話は早いし、違えば時間がかかる。それこそ何年かけても、何十年かけても分かりあえない人もいる。

結婚って、育ってきた環境も、境遇も、価値観も、経験も、何もかもほとんど違う2人が、何かのご縁で一緒に暮らし、それが生涯続くという代物だ。

「違う」は当たり前、「似てる」は幸運、「同じ」は奇跡。

まぁそんなこと言ったって、違和感を不快感として抱えながら寄り添いあって暮らしていくのは困難だから、世の中の3組のうちの1組のカップルは離婚してしまうのだ。

なぜ人というのは、
結婚前はお互いに共通点をみつけようとしたり、相手に合わせようと努力したり、必死で「私とこの人をつなぐ運命のようなもの」を探そうとするのに、

結婚したとたん、違う部分ばかりが目につくのだろうか。そしてそれを排除しようとして喧嘩をしたり、それをのみ込んで我慢して、我慢しきれず爆発したりするのだろうか。

(※ちなみにそれなりに年齢を重ねた私は結婚に憧れは抱いてなかったし、自分と違う部分がある旦那さんだからいい!と思って結婚したので、違いに遭遇しても、そうだよね、としか思わないので楽である。晩婚も良きかな。)

暮らしというものは、同じ生活環境を共にしていく上にある。暮らすというのは、日が暮れるまで時間を過ごす、というのが根底にある言葉だ。

違う2人が、朝から晩まで時間を共にして、忙しい日も余裕のない日も、病めるときも健やかなるときも、まぁとにかく生理前で体調と気分が最低なときだって、「それが私で、それがあなた」であることを認め合うしかない。

自分の理想はおいといて、まず目の前のその人を確認する。

違いは個性、同じじゃなくたって別にかまわない。

私はこの結婚が何となく具体的になった頃から、旦那、義両親、息子くん、で暮らしている家にフワッと参加しはじめた。当たり前だけど、私とは全員血のつながりはなく、育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めなくて、セロリなんてみんな好きじゃなさそうな感じだった。パクチーなんてクサイと一蹴された。私は大好きだけど、そんなことは言ってられない。

さらに、まだ当時旦那さんは離婚から丸1年経ったくらいの頃で、なんというか、その、きっとものすごく大変だった感じのする結婚生活の燃えかすのようなもの、悪くいうと呪いがまだとけきれてないような負の空気感みたいなものが、家の中に残っていて、プスプスと焦げ跡が音をたてているように感じることもあった。

重たい。

何か結婚というものを喜びとして受け入れられてなさそうな予感もする。

アウェー感がすごい。

ま、知らんがな。私は初婚だし、何か複雑な事情はまだ真の意味では分かってないような気がするけど、とりあえず結婚するって決めたから、ここが家になるんだし、みんなよろしくー。ってな具合で、少しずつ一緒に暮らしはじめた。

前の離婚で少なからずダメージをおっていた旦那さんは、当時、「自分にとって大切な人ランキング」を発表し、結婚しようとしている私の順位を、堂々と6位だと言った。

1位から5位までは、血縁で占められていた。

え、この人、私を6位って言った。婚約者を堂々と6位って言いのけるってどんなに正直っていうか、他人への不信感がすごいっていうか、私、大丈夫?ここで生きていける?

...って思った。結構ひいた。

今考えると、旦那の兄弟を含め、よそから来た嫁たちに結構な深傷を負わされたこの一家は、間違いなく傷ついていた。

一般的にモラハラとか同居の大変さとか聞くと、旦那の方に問題があるケースって多いと思うけど、まぁ、そうじゃないケースだって存在する。

私の旦那さんの元妻エピソードは、旦那側の話がベースになってるとはいえ、10人に話せば10人が、そんな人いるの?となったし、再婚相手の私と旦那さんの友達や、小学校の同級生の親までもが、口をそろえて「ほんと(再婚して)良かったね、前のアノ人は...」と、誰1人として元妻を擁護する人はおらず、こんなに誰からの評判も良くない人って存在するのかと不思議な気持ちになり、興味本位ではあるものの「良いところはなかったの?」と聞くと、

旦那「うーん。強いて言えば、出掛けたときにお土産をたくさん買ってきたところ?」

義母「えー思いつかないけど。。。字がキレイだったかな。職業的に当たり前かもしれないけど」

ふむ。
参考になりません。

とはいえ、子どもに対してはものすごくやさしかったようで、息子くんがその産みの母を失ってしまった哀しみというのは海よりも深かっただろうと思う。

ぼんやりとテレビを見ている子どもたちの口にせっせと食べ物を運んであげたり、お菓子を大量にストックして大量に与えたりしていたことなど元妻のエピソードは事欠かないが、子どもにしてみたら最高の母である。最高峰である。

早々にして、
私には越えられそうもありません、その山は。
...となった。

ごめん、息子くん。
私は愛情とともに躾もしたいのです。
躾って身につけるまで時間がかかるけど、大事なんです。
厳しすぎるのは違うと思うけど、社会生活をあきらめたくなければ、最低限は身につけておいて欲しいのです。

和裁でいう仕付けって、「あらかじめ目安になるような縫い取り」のこと。目安を知ることで、自分を大切にしたり、人を大切にしたりできるようになったりもするんです。

そして、正しく縫われた着物は美しくて長持ちするんです。

しつけの程度はね、個人的にはゆるくても良いと思う。
そしてしつけのことなんか気にせず着れる服も必要。

だけど、知っていた方がいい。知らないよりもきっと。

君を産んだ母親以外の家族が、口うるさいのは、君のことが嫌いなのではないよ。かけがえのない存在である君のことを考えない日はないのです。

でもやっぱり甘い砂糖と甘い母には中毒性があるよね。

そこはもう仕方ない。

私も大人になって、子どもだった自分がどれだけ横柄で横着だったかを考えて、私の母の思いを考えると申し訳なくなるけど、過去は変えられない。しつけをしてもらって身に付いている部分は自分の扱いやすい「良さ」になっているし、身に付かなかったことは今でも自分の「不足」として付きまとっている気がする。少しずつマシにはなったような、あきらめがついたような。

そこはもう仕方ない。つきあっていこう。

4回目の結婚記念日にその場にいた十人十色のメンバーは、それぞれに色々な思いを抱えてそこにいた。

これから先もきっとそんな感じだろう。

元妻さんに引き取られている娘ちゃんは、小学校高学年になる。成績優秀、運動もできて、習い事を5つしている。落ち着いていて、声が小さくて、白くて、食が細い。

でも彼女は楽しそうに笑うし、話を聞けば答えてくれる。

色々習い事してるけど、将来なりたいものはある?とたずねたら、うーん...と少し考えて、小さい声で

「ケーキ屋さん」

と答えた。

習い事の中にそれに直接関連するようなものはなかったし、おそらくお家で台所はほとんど触らせてもらえてないと思うけど、応援したい。

明日から中学校に入学する息子くんも、心の底から応援してる。
どんなに反抗期になっても大丈夫。

大丈夫じゃなくても大丈夫と思える家族って、血は関係なく、一緒に暮らす長さがつくってくれるはず。そうじゃなきゃ、やっていけません。

だけど離れていても家族、一緒にいても家族。
血がつながってても、そうじゃなくても家族。

えーとそうするとどうなるんだ。

家族と思えれば家族か。

自分の気持ちの問題か。

結婚してすぐに、私は旦那の例のランキングの2位になりました。あれ?3位だったかな?

まぁどっちでも。笑

そんなこんなで文章が長くなり、オチもなく、結婚記念日はだいぶ過ぎてしまったけど、おいしいものを食べに行きたいです。行けるといいな、いつ行けるかな。



いただいたサポートは、子供たちが喜ぶことに使いたいです。そしていただいたサポートの一部は、子育ての合間に何かを作り出す時間を増やしていくための資金として大切に使わせていただきます。