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雨の日が、好きだった、好きだった

雨の日が好きだった。

そう、雨の日が好き「だった」。

雨が嫌いな人はたくさんいる。わたしだってずぶぬれになるのは決して好きではないし、あまり舗装のよろしくない道路で某テーマパークのアトラクションよろしくバッシャーンと遠慮なく全身に浴びせられる泥水は大っ嫌い。それは悲劇だ。

でも、いくつもの店をまわってやっと見つけたお気に入りの傘を差せるのはやはり雨の日だけだし、少しかび臭いような土臭いようなあのにおいだって雨の日にしか嗅げない。雨に濡れて帰宅して、急いで熱いシャワーを浴びるのだって悪くないもの。むしろ特別感がある。夜、雨の降る音に身体を預けていると不思議と癒やされるし、朝から雨ふりの休日の二度寝の幸福感はひとしおだ。土砂降りの雨とともに轟く雷は生命を脅かす恐怖感があるけれど、どうしたって興奮する。だから多分雷だって嫌いではないのだ。

もしかしたら、そんな「雨が好き」な自分が好きだったかもしれない、そこは否定できないのだけれど。

独特な魅力を持つの雨の日は変わってしまった。いや、変わったのはわたしだ。

あの日は、ニュースでも大騒ぎになったほどの激しい雷雨だった。近年はしょっちゅう異常天候だといわれるから実のところさして特異ではないと思われるかもしれないけれど、勢いは弱まらないままずっと雨が降り続いていたし、あれほどまでの長時間、近距離の連続した雷を経験したことはなかったと思う。そんな異常な日だった。

部屋を暗くしてもひっきりなしに明るくなるものだから、わたしは面白がって写真や動画を撮って彼に送信していた。少し離れたところに住む彼のところは晴天で、綺麗な半月の画像が送られてきた。そこから他愛のない雑談を続けていた時、ここ半年ほどで仲良くなった友人から送られてきた一通のメッセージ。

「あのね、いつか言わなきゃって思ってたんだけど。私、玲の彼を好きになっちゃって、一度だけ、しちゃったんだ」

それまで他の音をかき消していたざあっという雨が窓に吹き付ける音が遠くなって、自分の鼓動の音ばかりが聞こえた。うそ。なにを、いっているの。頭に血が上ったのか、逆に頭から血が一気に足元まで落ちていったのか、頭から肩に広がっていくじんじんとした痺れを感じていた。それでも既読をつけてしまったからにはすぐに返信しなければと妙に律儀な心が働いて、頭の中で降り注ぐ千切れた言葉を必死につなげる。頭に直接土砂降りを浴びているような感覚に陥りながらも、頭の右の隅のほうから、そっか、そういうことがおこっても、おかしくなかったんだと諦念をはらんだ自分の声が聞こえた。

彼はわたしを愛していると言ってくれていた。何度も何度も。わたしの容姿を褒め上げ、性格を褒め上げ、わたしとの将来を語ってくれていた。わたしの身体の癖をひとつひとつ確かめるように丹念に撫で上げ、愛でてくれた手は嘘を吐いてはいなかった。ただ、わたしは同じだけ返せてはいなかったと思う。心を決め切れず、曖昧に彼の愛を受け取っていただけだったのだ。だから、こういうことが起こっても、何もおかしいことはない。何より、わたし自身、既に彼を裏切っていたのだから。わたしに、彼を責める資格はない。資格はない。

こみ上げてくるものに耐えられずトイレに駆け込み、吐き出したものは赤みを帯びていた。それはそうだ、夕飯を食べてから、大分時間が経っているもの。それでも、わたしに彼を責める資格はない。

どうして、なんで、しりたくなかった、しらないのもいやだった、たくさんの言葉を飲み込んで、彼女には「そうなんだ」とだけ返し、彼にも「聞きたいことがあるんだけど」とメッセージを送る。この気持ちを彼女にぶつけても仕方がない。が、なるほど不倫された妻の怒りの矛先が夫よりも夫の恋人に向くのはこういうわけかと納得はする。「良い」「悪い」と単純に仕分けられるものではないとはわかっているけれども。

大雨の中飛び出していって雨に打たれれば頭も冷えるのか、雨に濡れて大風邪をこじらせたらそのまま死ねるのか、心が雨模様だなんてそんなぬるいものじゃないとか、くだらなくも悲しい考えで頭が埋め尽くされる。

彼はわたしが何の話をするのかわかっていたようだった。そのくせ、「今、玲を失うのが一番怖い」とのたまうのだ。そのメッセージを受け取った時、さぁっと、少し弱まった雨の音が聞こえてきた。嵐は収まりつつあるらしい。雷も少し遠くへ移動しているようだ。ずるい男。いや、ずるいのはきっとわたしだ。しとしとと静かに穏やかに降る雨のように、男が自分を癒してくれることを愛していたのだもの。


わたしは雨の日が好きだった。

今だって、雨の日は決して嫌いではない。服が濡れるのは困りものだけれど工夫をすれば快適に過ごせるし、くんくんとにおいを嗅ぎたくなる。雨の日の朝寝坊は相変わらず格別だ。

雨が降ると、ずるい自分を少しだけ許しながら、外を歩く。彼と一緒に、お気に入りの傘を差しながら。


#雨の日をたのしく

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