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【小説技術考察】第一回 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

小説に使われている技術の考察に挑みます。
題材に使うのは宮沢賢治著「銀河鉄道の夜」です。
テキストとして、青空文庫に収められているものを使いました。
青空文庫 宮沢賢治 銀河鉄道の夜


小説全体の印象

全体の印象を考えると、まず頭に浮かぶのが「童話」の二文字です。
絵本を読みがたりしてもらっている感覚を、自分で読んでいるにも関わらず、思い起こしました。
また、擬音語が独創的で想像を促していました。この面白みは「童話」らしさを強くする効果を発しています。
また、テンポを気にかけて作られていました。同じ語尾を続ける。並ぶ段落でテンポを統一する。などの跡が見られました。

文の特徴

文の長さ

文(前の。から。までの文章)の長さは、文章のテンポに結びつきます。
銀河鉄道の夜では、かなり長い文が多く、テンポより情報量を重視しているようです。
心象描写が多い小説なので、文が長くなるのは仕方ないでしょう。

たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが、このごろはジョバンニはまるで毎日教室でも眠く、本を読む暇も読む本もないので、なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがするのでした。

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

伝えたい情報は、「なんだかどんなこともよくわからないという気持ちがする」の部分だけです。ここだけ使えば短い文にできます。しかし、そんな文は味気がないただの説明になってしまいます。
そこで、心象表現を加えてジョバンニの気持ちの描写文に変えているのです。もちろん、テンポが悪くなるデメリットを受け入れてでも、です。

一文一場面の構造

先程、文が長いという特徴を挙げました。ですが、むやみに文を長くしているわけではないようです。

それどこでなくカムパネルラは、その雑誌を読むと、すぐお父さんの書斎から巨きな本をもってきて、ぎんがというところをひろげ、真っ黒な頁いっぱいに白に点々のある美しい写真を二人でいつまでも見たのでした。

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

塊(前の、から、までの文章)ごとにカットが別れています。
カムパネルラの様子/雑誌を読む/本を持ってくる/本を開く/写真を見る。
というぐあいにです。
そして、これらは、写真を見るシーン、とまとめることもできます。
映画で考えてみます。まず、逃げるシーンがあるとしましょう。そのシーンは、走るカット、角を曲がるカット、隠れるカット、を並べて作ります。これを文章で行っているのです。

でした・ました調

でした・ました調の利用

学校で出される作文課題やレポートは、調を揃えるように教えられたのではないでしょうか。
調を具体的に言えば「です・ます調」と「だ・である調」の二つです。
一般に小説は「だ・である調」で書かれています。もちろん、なければならない決まりはありません。また、銀河鉄道の夜は「だ・である調」ではありません。
銀河鉄道の夜では「です・ます調」に、現在完了形を指す「た」を加えて、「でした・ました調」で書かれています。
この「でした・ました調」が童話っぽさを醸しています。
それは、この調が丁寧な表現として使われているからです。良く言えば、ソフトな表現です。悪く言えば、力のない表現です。
また、「でした・ました調」は日常会話には使いません。普段は「だ・である調」で喋ります。メイドも裏では「だ・である調」で話しているでしょう。
つまり、「でした・ました調」は手の加えられた言葉です。文章と読者の間に距離を置く表現なのです。

「のでした」の利用

この記事は「です・ます調」で書かれています。ここまでに「のです」と書かれている部分が三箇所ありました。探さなくても大丈夫です。
「のです」、銀河鉄道の夜の夜の調なら「のでした」は、強調の意味を持ちます。重要部分だとこの言葉で示しています。
しかし、銀河鉄道の夜では「のでした」を違う形で使っている部分が見受けられます。

 ジョバンニが学校の門を出るとき、同じ組の七八人は家へ帰らずカムパネルラをまん中にして校庭の隅すみの桜さくらの木のところに集まっていました。それはこんやの星祭に青いあかりをこしらえて川へ流す烏瓜からすうりを取りに行く相談らしかったのです
 けれどもジョバンニは手を大きく振ふってどしどし学校の門を出て来ました。すると町の家々ではこんやの銀河の祭りにいちいの葉の玉をつるしたりひのきの枝えだにあかりをつけたりいろいろ仕度したくをしているのでした

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

二段落のうち注目してほしいのは語尾です。
一段落目:ました/です
二段落目:ました/のでした
「のでした」が「です」の変形と見れば、一段落目と二段落目の語尾は統一されています。また、二段落目の「のでした」は、強調する意味も薄い文なので、「ました」を使って「いろいろしたくをしていました。」と書いたほうが自然です。
つまり、意図して「のでした」にしたのでしょう。
語尾を揃える表現は、文章にリズムを産みます。音楽のラップを思うかべてください。ラップのリズムは韻を踏んで作られています。韻を踏んで生まれたリズムは心地よさを与えるのです。

「ように」の連用

比喩の「ように」

銀河鉄道の夜では「ように(な)」が頻繁に使われています。
そのうち、比喩を意味する「ように(な)」について、ここでは扱います。
面白いことに、銀河鉄道の夜で使われている比喩を示す語は、全てと言っていいくらい「ように(な)」が使われています。二、三個「くらい」がある程度です。
小説を書く際に、語の重複は避けるのが一般的です。比喩は、特に重複を避ける意識を向ける語です。
比喩の語の例を出すと
ように/くらいに/みたいに/そっくりに
など、意外に多く、重複は避けやすい語でもあります。
だと言うのに、重複を気にせず「ように(な)」を使って書かれています。
理由の一つは、韻を踏む効果を狙って使った、でしょう。
重複させると文章に陳腐さがでます。しかし、重複はリズムを作り、強く印象づける効果もあります。
一番の例は布施明の「君は薔薇より美しい」の歌詞だと思います。

歩くほどに 踊るほどに
ふざけながら じらしながら
薔薇より美しい
ああ 君は変わった

作詞 ミッキー吉野 君は薔薇より美しい

「ように」ではないですが、繰り返しが気持ちいいのは歌を聞いてもらえればはっきりと分かります。この歌詞と同じ効果を狙ったのでしょう。

置き換えられる「ように」

「ように」の内、比喩にする意味が薄い場所でも使われている箇所があります。

ジョバンニは、ばっと胸むねがつめたくなり、そこらじゅうきいんと鳴るように思いました。

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

気にし過ぎな感もあります。しかし、僕が書くとしたら「と」を代わりに入れたくなります。
比喩は「〜と思った」と内部で思った/感じたありようを表現する技術だからです。
つまり、「ように思いました」は「と思いましたと思いました」に置き換えられます。これだと意味が二重になってくどいです。
しかし、宮沢賢治はそう使った。これも上述の「ように(な)」の連用と同じ効果を狙ったのでしょう。

特徴的な語

独創的な擬音語

宮沢賢治の文章といえば独創的な擬音語です。銀河鉄道の夜でも要所で擬音語を使っています。

その島しまの平たいらないただきに、立派りっぱな眼めもさめるような、白い十字架じゅうじかがたって、それはもう、凍こおった北極ほっきょくの雲で鋳いたといったらいいか、すきっとした金いろの円光をいただいて、しずかに永久えいきゅうに立っているのでした。

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

「すきっとした」が何を意味しているか、研究者ではないのでわかりません。しかし、語音が呼ぶ感覚から、谷を吹き抜ける風のような気持ちよさを想像できます。
擬音語は事を感覚的に表す語です。そのため、読者の心を動かす力が強いです。
例えば、硬い氷、と、カチコチの氷、と書かれていたとして、どちらがより状況がわかるでしょう。カチコチの氷は表面も凍った白い氷を思わせます。硬い氷は氷が硬い以上のイメージは産みません。
では、なぜ擬音語を独創的に作るのしょうか。
それは、より詳細なイメージを伝えられるからでしょう。
一方で、独創的な擬音語は凝りすぎると伝わらないリスクも持っています。
表現のバランスを取る技術に脱帽せざるをえません。
ただ、銀河鉄道の夜を読んでいると、独創的な擬音語の中に書き間違い、または、読み間違えではないかと疑える語がいくつか当たります。

とおもいながら、やっぱりぽくぽくそれをたべていました。

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

「ぽくぽく」はかなり怪しい言葉に見えます。「ぱくぱく」であればよくある表現です。しかし、「ぽくぽくと食べる」はなにか嬉しそうに食べている情景を思い起こさせます。
「ほくほく」+「ぱくぱく」=「ぽくぽく」である気さえします。
どちらが正しいのか、誰もわかりません。ただ、それを置いても独創的な擬音語を積極的に使われた文章が、銀河鉄道の夜の特徴となっています。

繰り返しを使った語

同じ語を繰り返して使われている文がいくつかありました。特に擬音語を重ねる場合が多いようですが、それ以外のところでも使われています。

そしてだんだん十字架じゅうじかは窓まどの正面しょうめんになり、あの苹果りんごの肉にくのような青じろい環わの雲も、ゆるやかにゆるやかに繞めぐっているのが見えました。

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

同じ語の繰り返しはその状態を強める表現です。「ゆるやかにゆるやかに」であれば止まって見えるくらいゆっくりな様を思い浮かべます。
また、語の繰り返しは書き言葉よりも話し言葉でより使われています。
童話の読み聞かせを思い起こす「銀河鉄道の夜」の書かれ方だかからこそ、同じ語の繰り返しが使えるのです。

!の登場

そのいちばん幸福こうふくなそのひとのために

宮沢賢治 銀河鉄道の夜

上で引いた文はラスト近くにあります。
あきらかに「銀河鉄道の夜」のテーマを表している文です。
なぜなら、「!」はここでしか使われていないからです。
さらに、「銀河鉄道の夜」には「?」すら出ていません。
小説のセオリーだと「!」や「?」は使いません。特に純文学は今でもこの慣例が続いています。ただ、最近は気にせず使う小説が主流になっています。
「銀河鉄道の夜」は使わない派の小説でした。しかし、その禁を破ってでもここに「!」を使いました。だからこそ、この文は大切なのです。胸を打つのです。


終わりに

「銀河鉄道の夜」は、童話を読み聞かせているような小説です。
これを自覚して、だから使える技術、で書かれている。私は考察をしているうちにこう思うようになりました。
そんな難しい書き方で小説を作った宮沢賢治には畏怖の念を抱かざるをえません。

ここまで読んでいただきありがとうございます。
プロの小説家でもない、ただのわなび小説家の考察がなにかの役にたてば光栄です。また、役に立たなくても笑って許してください。

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