小説「遊のガサガサ冒険記」その17
その17、
ーー森の守り手、フンババを撃ち殺せ。粉々にして抹殺せよ
ギルガメシュ王は友のエンキドゥに命令した。エンキドゥに内臓をえぐられ、フンババは断末魔の叫び声を上げ絶命した。森の守り手を討伐し、ギルガメッシュ王は豊かなレバノン杉の森を伐り尽くした。
ギルガメシュ王による森の征服は、古代メソポタミア文明の終わりの始まりだった。
遊はギルガメッシュ叙事詩を閉じ、思いを巡らせた。
ーー歴史を学ぶんじゃ。森を失い、文明は一体どうなった
亀吉の指摘に、遊は目から鱗が落ちた。文明とは人間が創出した高度な文化、社会だという。森林伐採が動植物を追い詰め、人間の生活に影響を与えるだけでなく、人類が営々と築いた文明にも暗い影を落としていたとは思い至らなかった。
タイムスリップして現代に戻ると、遊は父・イリエスに電話を入れ、率直に尋ねた。
「森を失ったことで、文明が滅びたことってあるの?」
「うん……」
イリエスは予想もしない唐突な問いかけに、言葉を詰まらせた
「森と文明か。びっくりしたな、遊の口からそんな高度で難しい質問が出るなんて。外来種や絶滅した動物の勉強をしているとばっかり思っていたから」
「どうしても知りたいし、勉強したいんだ」
「分かった。それじゃ、本屋さんに行って参考になる本を早速送るから。そうだ、映画『もののけ姫』は覚えているか」
「何度も見て、知っているよ。いい映画だけど、どうして」
「1冊どうしても読んでほしい本を思い出したんだ。その本はちょっと難しいけど、もののけ姫のストーリーををイメージすると理解しやすいから」
イリエス一押しの本が、子供向けに解説の入ったギルガメシュ叙事詩だった。
広大なレバノン杉の原生林は人の手で建材や船材として伐り尽くされた。丸裸になった山肌は太陽光線や風雨に浸食され、やがて流れ出た土砂で灌漑用の水路が埋まり、岩石に含まれる塩分で農地は荒廃。文明崩壊につながった。
中近東一体を覆っていたレバノン杉は現在、レバノンの一部に残るだけだ。ギルガメッシュ叙事詩が誕生したのは約5000年前。太古から人間は森林を過度に痛めつけ、その報復を受けていた。
ーーまだ大丈夫、まだ大丈夫と柱を抜き続け、ついに家は崩壊してしまった
人間の飽くなき欲望と、過去を学ばない愚かさに、遊は唖然とした。
「古代ギリシャやローマなども同じじゃなかったかな。日本だって飛鳥時代には法隆寺などの相次ぐ寺院建築のためにヒノキが伐られ、山が崩壊し、伐採禁止令さえ出さざるを得なかったんだ」
「日本でも、そんな昔から」
父の指摘に遊は、森と文明の歴史が長く、身近なのを再認識した。
ふと気づくと、華が大きな両目を見開き、怪訝そうに覗き込んでいる。
「どうしてたの、遊君、大丈夫?何か、真剣な表情で考え込んでたみたいだけど」
昼休み、教室には女子児童6、7人が雑談に興じ、遊を除く男子児童全員は直也の号令でいつも通り、校庭に飛び出して行った。仲間外れにされた遊はEW調査の勉強、華も図書館から本を借り、読書で過ごす日々が続いている。
「ちょっと話したいことがあるんだけど」
華は居残っている女子児童を見て、遊に外に出るよう促した。彼女は教室を出て、階段の踊り場まで彼を連れ出した。
「私、考えがあるの。このままじゃ多勢に無勢だから、直也らクラスの仲間を切り崩そうと考えたの」
華は茶間っけたっぷりに右目でウインクした。
華の話によると、先日の相合傘の一件で傍観者の間に不協和音が出ているという。直也に唆され、いじめを仕掛けた洋一に対する同情するよりも、いじめのエスカレートで自分にいじめの矛先が向くのを恐れているという。
「さっき、直美とトイレで会ったら、彼女が私に何か、話したそうだったのよ。私は無視したけどね。前は仲良かったし、彼女は気が弱いから、やり方次第で引き込めるわ。それに明日香、有美もどうにかなると思う」
「クラス内でそんな声が出ているなら千載一遇かもね。でも男子はどうする?」
「遊にできる?男子って意外と度胸ないからね。いいんじゃない男子は今回、外して。傍観者の一角を崩せばいいんだから。タイミングは次のいじめの時、遊と私のほかに傍観者の1人でも2人でも反旗を翻せるよう仕向けるから」
「僕はどうしたらいい」
「遊は責任重大。いじめられるのは遊だから、大声上げて対決姿勢を見せないとね。分かった、絶対、怯んじゃだめだから」
「大丈夫、任せて。みんなの応援を裏切る訳いかないから」
「よし。それじゃ、計画が漏れるのが一番やばいから、できるだけ早く女子に接触して仲間を増やさなくちゃ。早速、直美を探そうっと。じゃあ、またね」
華は小走りで廊下を駆け上がった。
華は機転が利くし、姉御肌で度胸もある。いじめ問題はどうにか片付けたい。喉に突き刺さった骨を抜き、EW調査に専念したい。遊の正直な胸の内だった。
遊が教室のドアを開けようとすると、弘樹が飛び出してきて、あわや正面衝突しそうになった。弘樹は驚いた表情で、廊下を走り去った。
遊の姿を見て、教室内にいた女子児童らが一斉に顔を背け、男子で唯一室内にいた洋一が泣き出しそうに唇を噛み締めている。
柱時計は午後1時13分を指している。昼休みはまだ7分残っている。
遊は引き出しに手を入れた。
(おかしい、ない)
慌てて引き出しを覗き込んで、中に入っているものを机の上に出した。五時限目に使う国語の教科書、漢字のワークシート、鉛筆箱……。父の送ってくれた大切なギルガメッシュ叙事詩の本が見当たらない。
「何してんの、どうしたの」
教室に戻ってきた華が心配そうに駆け寄ってきた。
「さっき読んでた本がないんだ。確かに引き出しに入れたんだけど」
「本って、私が話しかけた時に読んでた本」
「うん。戻ってきて、まだ時間があるから続きを読もうと思ったら、どこにもないんだ」
「ちょっとおかしいわね。もしかすると……。いや、きっとそうに違いない」
華が得心したように大きく頷いた。
「遊君、本当にどこにも見当たらないんだね」
「大切な本だし、読み終わったところに栞を入れてしまったから間違いないんだ」
「分かった。じゃあ、先生に知らせよう」
「だって、先生にはこういうことは言わないって」
華は遊を遮るように、
「ダメ、予定変更。勝手に他人の引き出しを漁って、持ち出すんだから、盗みじゃない。それにお父さんに買ってもらった大事な本なんでしょ」
と、遊の決断を促した。
遊は両頬を膨らまし、困惑の色を滲ませた。想定以上のいじめのエスカレートに気が動転し、華の示したアドバイスを即座に消化しきれない。
(華ちゃんの言う通り。でも、先生の所に行ったら、これまでのことをどう話そう?)
昼休みも残りわずかとなり、クラスメートが戻り始めた。教室に入った途端、緊迫した雰囲気にざわめきが途絶える。傍観者の視線が冷たく、あざ笑うように遊には感じられた。
「だめ、逃げない、游君、ねっ」
華の励ましが遊の胸にストンと落ちた。
「よし、職員室に行って、臼井先生に話してくる」
遊が急いで後ろのドアに向かうと、洋一が通路を塞いだ。洋一はうつむき加減に、
「あの、あそこに……」
と、教室後方の窓際の隅の屑箱を指さした。
その18、に続く。
その18:小説「遊のガサガサ冒険記」その18|磨知 亨/Machi Akira (note.com)
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