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小説「遊のガサガサ冒険記」その18

 その18、
 川砂が、噴火直後の活火山の噴煙のように水中で激しく舞っている。湧水の仕業だ。降り注いだ雨や雪は地下に浸透し、地層でろ過され、地表に噴出する。
 清冽な湧水を満々とたたえた水路が山々に囲まれた田園の中を流れ、漂う水草の間に小魚の群れが見え隠れしている。
「こりゃ、たまらんな。わしにとっちゃ理想郷じゃよ」
 亀吉は用水路の土手から、うっとりと流れを覗き込んだ。
「本当だね、昔の川はこんなにきれいだったんだ」
 これが日本の原風景の一つなのか。遊は普段、目にする現代の河川の姿を思い浮かべ、嘆息した。
 河川や農業水路の多くがコンクリートで護岸され、工場排水、生活雑排水が流れ込み、臭いを発し、空き缶、ペットボトル、ビニール袋などのゴミが投げ捨てられている。まさに隔世の感だった。
 90年前、正確には昭和9(1934)年に、遊と亀吉は時代を遡っている。場所は兵庫県丹後市氷上町地内。EW調査最後の対象動物ミナミトミヨの調査に訪れている。今回の調査に、遊は亀吉のみを同行させた。
 調査前の打ち合わせ会議で、こんなやり取りがあった。
「これまでの調査ではニホンオオカミのケン、キタタキの与作、佐那夫婦とも巡り合えることができて感謝しています。みんな、本当にありがとう」
 遊は心の底からメンバーの働きを労い、
「次は最後のミナミトミヨの調査になります。何としても接触し、彼ら彼女らの訴えを聞き、報告書にまとめなければなりません」
 と、決意を口にした。
 次いで遊が最終調査の予定を伝えた。
「今回の調査には亀吉だけ同行して……」
 遊が池の石の上にいた亀吉を指し示すと、
「亀吉だけだって、俺らを連れて行かないのか」
 遊の話を遮って、お座りしていた疾風が立ちあがった。
「どうして」
「何でだ」
 と、普段おとなしい磨墨も、池の畔のケヤキの枝から見下ろしていた雷鷲も不満の声を上げた。
「ごめん、ちょっと誤解しないでくれ。次は水路にいる魚なんだ。しかも捜索範囲は極めて狭い。それに人里で目立つところだから、みんなを連れて行ったら大騒ぎになっちゃうじゃないか」
「そりゃそうかもしれんが、何か手伝えることもあるだろうが」
 言い出しっぺの疾風は振り上げた拳の落としどころに困惑した。
「みんなの気持ち、本当に有難い。でも調査が無事終了しても、自制の神の元に行く重要な任務が残っているじゃないか。きっと邪悪な欲望の悪魔マモンがあの手この手で攻撃してくるに違いない。その決戦のためにも、疾風、雷鷲、磨墨、君たちには少しでも英気を養っておいて欲しいんだ」
 遊の熱のこもった説得に、疾風らはようやく頷いた。
「テッペンカケタカ、テッペンカケタカ」
 梅雨空から薄日が差し、山間地にホトトギスの甲高い鳴き声が響いている。托卵先のヒナは無事育っているのだろうか。自分の子供と勘違いして餌を与えるウグイスはすこし哀れだ。
「巣作りする魚といったな、ミナミトミヨは。恥ずかしい話なんじゃが、わしゃ、これまでに、そういうトゲウオの仲間には出会ったことがなくてのう」
「主に北方系の魚で、もともと生息地は全国的にも限定的だからね。特にミナミトミヨはここと、京都でしか確認されていないし」
氷上回廊ひかみかいろうが関係しておるんじゃろ。高い山脈に邪魔されず、日本海側と瀬戸内海側が南北に低地帯でつながっておる特殊な地域だからのう。もともとミナミトミヨは日本海側から入り込んできたともいわれておる」
「東日本や日本海側に生息するヤマメも西日本のアマゴと混生しているし。降水が日本海と太平洋に分かれる中央分水界が本州一低い、わずか標高95㍍にあるんだから、生き物も行き来しやすいし、自然が豊かなんだろうね」
「だがな、ミナミトミヨはもうごくわずかなんじゃろう。さっきから川の中を見ておるが、それらしいものはおらんのう。さてと、わしは探しにいかんと」
 亀吉は土手をのそのそと歩き、
「待っておれ。必ず見つけて来る」
 と、言い残して、水の中に消えた。
 ミナミトミヨは体長4~5㌢、トゲのような背ビレが特徴だ。地元では「カツオ」と呼ばれていた。
 今回、タイムスリップした時点から19年前の大正4(1915)年、地元の旧制柏原かいばら中学2年の田中弥三郎、芦田富治が同氷上町成松の葛野川で採集し、魚類学者・田中茂穂の元に持ち込まれ、新種として発表された。当時はたくさん生息していたようだが、約20年後の昭和10(1935)年頃から姿を消したという。京都では1960年代まで生息していたらしいが、遊と亀吉は命名の地で最後の1匹にこだわった。
 学名「ピゴステウス・カイバラエ」。田中、芦田の在籍した旧柏原中学の名の一部が入っている。
 ーー老いも若きも関係ありゃせん。熱い心を持つ者が世の中を動かすんじゃ。とにかく動くことじゃ、動かにゃ何も始まらん
 遊は、渡良瀬川で会った謎の老人の言った言葉を噛み締める。13、4歳の少年2人が捕らえた小魚に疑問を持ち、関係機関に働きかけたことで新種となっている。小学4年の身の上に突然、降りかかった難しいミッションだが、彼は亀吉ら仲間を信じてやり遂げようと改めて誓った。
「遊はよく考え事をしておるのう」
 いつの間にか、亀吉が水面に顔を出している。
「ごめん。それで見つかったの」
「ああ、会ったぞ、仲の良い夫婦にな。雄は子育て中で忙しいから、雌のトメさんが取材に応じるそうだ。ちなみに旦那は太助さんというそうだ」
 トミヨは水中に水草で巣を作り、雌の産卵後、雄は受精させた卵を外敵から守るため、餌も食べず、つきっきりで世話をする。手を離せないのは無理もない。
「ほら、やって来ておる。とりあえず、挨拶せんか」
 遊は水面に顔を近づけて、右手を振った。
 水草の中からトメが姿を現し、胸や尾ヒレを盛んに動かして、愛嬌を振りまくようにホバリングしている。
「亭主の太助さんも心配するじゃろう。早速、話を聞いてくる」
 亀吉は水中に潜って行った。
 水中で遊は同席できないため、事前の打ち合わせで仲間の様子、生息環境、不満や心配事など一通り聞き、不足部分があればその都度、質問することにした。既にニホンオオカミ、キタタキの取材経験があり、亀吉も取材には自信を深めている。
 亀吉は水底に腰を落ち着け、その周りをトメはホバリングを繰り返しながら、受け答えをしている。
 90年前に遡り、故郷・足利から遠く離れた兵庫県内の中山間地にやって来て、足元の水中で二ホンイシガメが絶滅間近いミナミトミヨと話し込んでいるのを眺めている。何とも奇妙で不可思議で超現実的な光景だ。今回課せられたミッションの特殊性、重大性を遊は改めて感じた。
 しばらくして、亀吉が水中から浮上し、岸辺に上がった。口を引き締め、黒目がちな両目で遊を見据えている。瞳の奥には怒りの炎がちらついている。
「人間は本当、自分勝手で罪作りじゃのう」
 ニホンオオカミ、キタタキの訴えも矛先は人間に向けられていた。自然淘汰でない以上、生き物の絶滅に人間が直接的、間接的に関わっている。ミナミトミヨも予想通り同じ状況だった。
「要は住処がなくなっておるんじゃ、どうも圃場整備や工場建設の影響らしい。水路が付け替えられたり、地下水の汲み上げで湧き水が枯渇しているようじゃ。仲間はめっきり減って、縄張り争いさえめったにないそうだ」
 長閑な山村にも重く暗い世情が降りかかっている。
 時代は昭和初期。世界恐慌に端を発した昭和農業恐慌、満州事変に五・一五事件と軍靴の響きが高まる中、生息環境は人間の都合で破壊され、地元の名を冠した貴重な魚は見捨てられ、絶滅の縁に立たされていた。
「全部とはいわん、せめて湧水池の1つや2つ、水路の1、2本残せてあげられんもんかのう」
 亀吉はトメの心情を推し量って呟いた。
 例えば農産物の生産性向上を狙いとする圃場整備も時代が下れば、コメ余りにつながり、後継者不足で耕作放棄地につながっていないだろうか。ミナミトミヨの生息地を残せる余地が皆無だっとは到底、思えない。
「亀吉、すまないが、夫の太助さんからも一言もらってきてくれ。言いたいことはいっぱいあると思う」
 亀吉はトメの後を追って水草に潜り込んだ。
 人間に対する恨み辛み、非難、中傷は覚悟しなければならない。耳が痛いだろうが、弱者、被害者の生の声だけが世直しの一歩となる、と信じたい。
「まったく、この調査は泣かせるのう」
 亀吉は水面から顔を見せるなり、表情を曇らせた。
「太助さんは何て言ってたの。厳しいこと言ってたでしょう」
 遊は腰を屈めた。
「寡黙で不平、不満は一切、口にせんかったわ。だがな、最後の子育てと悟っておった。水源の枯渇だか汚染だか分らんが、身の回りの環境が差し迫っているのは気付いているようだ」
「でも何か言ったでしょう。何て言ってた、太助さんは」
「懸命に口やヒレで卵に水を送っておってな。本当に健気で」
「亀吉、だから、太助さんは何か訴えたでしょ」
 亀吉は首を上に逸らせてから、泣き出しそうに口を歪めて吐き出した。
「せめて、この子らだけは巣立ちさせてくれんかと、男泣きしておったわ」
                         その19、に続く。
その19:小説「遊のガサガサ冒険記」その19|磨知 亨/Machi Akira (note.com)


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