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ハングリーを貫いた62年 女将をささえたもの

「ひとすじ」は、”50年以上ひとつの仕事を続けている”方々を、フィルムカメラを用いて写真におさめるプロジェクト。
個人が自由に仕事を選べるようになり、転職や職種転換も当たり前になった現代だからこそ、その人々の生きざまはよりシンプルに、そしてクリエイティブにうつります。
このnoteでは、撮影とともに行ったインタビューを記事にしてお届けします。

奥州三名湯こと鳴子温泉に佇む旅館大沼。女将の大沼安希子(おおぬま・あきこ)さん(85)は、今日もハングリーに、ひたむきに働いています。

唐突ですが、みなさん今の仕事を楽しんでいますか?

楽しいと心から思えた人、悲観的に思った方、パッと答えが浮かばない人。
人生いろいろ、働き方もいろいろだと思います。
そのいろいろを経験した人生の大先輩から教わるものは多いものです。


淡い芽吹き時

貸切露天風呂「母里の湯」

ーいい季節ですね。
安希子さん:今はね、本当に淡い彩の景色。緑も薄緑、若緑、桜色とかね。芽吹き時のような時期だから、水彩画に見えてくる。

ー色がたくさんある季節ですよね。
安希子さん:カラー手帳を持って歩いたことがあるの。自然の中はいろいろな色がありすぎて、だいたい同じ色はないから、途中で投げ出した。自然も忙しいなと思った。天気もすぐ変わるものね。

ー芽吹き時は春から夏にかけてですか?
安希子さん:そう、なんでも早くなってね。以前は4月末くらいからだったけど、今は1ヶ月前倒し。

ーかなり早まっていますね。
安希子さん:やっぱり天候の目安っていうのがあるじゃない。例えば、桜だったらこのくらいの時期に咲くとか。それが狂っていると思う。桜の木はハワイにもあるけど、咲かないらしい。咲くためには必ず冬眠する時間が必要で、ぐっと寒い時期がないといけないようね。

ー最近はもう夏かと驚くばかりです。
安希子さん:暑い、暑いってマスクしてね。マスク慣れをして外せない人もいるみたいね。

ーマスクをしているお客様の顔は覚えるのが大変じゃないですか?
安希子さん:そうね。わかんないよね。あなた方みたいにハッキリとした顔立ちなら覚えられるけど(笑)

女将、旅館に嫁ぐ

お客さんを見送る女将さん

ー旅館大沼にはいつ嫁がれたんですか?
安希子さん:23歳の時にそういった縁談があって、嫁ぎましたね。

ー生まれもこの近く?
安希子さん:この近く。適齢期になると仲人(なこうど)さんが、「あそこには働き者の娘がいたらしい」と。それが縁談に発展して嫁ぎました。そうやってここの社長さんと縁談が決まってね。

ー失礼ですが、今おいくつですか?
安希子さん:今、85歳だよ。

ー嫁いで62年!?ついつい計算しちゃいました(笑)。
安希子さん:そうなるね(笑)

ー1日のスケジュール教えてください。
安希子さん:みんなの食事作りから始まる。朝の5時に起きて、2時間で食事の準備して、お客さんに出して。お客さんが食べ終わるのが8時半から9時くらい。
そのあとは、お客さんが帰るから、間をみてご飯を済ませる。ご飯食べている時間も、お客さんの用事が飛び込めば、それに対応するでしょう。はっきりした自分たちの休憩時間っていうのがないから、お客さんを中心に、営業をしていた。そんな感じで暮らしてきました。昔はね。

ー夜も寝る時間が遅そうですね。
安希子さん:朝、目が覚めて、気づいたら仕事を終えるのが夜中の0時。とにかく毎日言うことが、「眠い」、「忙しい」。この言葉だけ、休みなかったね。これも私が中心となり働いていたころの話。

ー今はどう変わりましたか?
安希子さん:一日休みができてね。夜になるのを待ちかね、とにかく夜に自分だけの時間をとった。でも今はできない。夜は寝るためにある。

ー家出したいとか思ったことは?
安希子さん:家出のことなんて、考える暇もなかったね。仮に家出をしても、後が困る。お客さん商売っていうのはお客さんで持ち堪えているからね。今となれば、子どもを背負って仕事するなんかは、伝説よ。

30kgの米俵を運んで

ー嫁ぐ前はどのように過ごされていたんですか?
安希子さん:元気が良くて、とにかくじっとしていられなかった。配達を頼まれると、昔の運搬車に30kgくらいの米俵を乗せて、サーっと走ったりね。

ーどれくらいの距離を?
安希子さん:距離はわからないけど、街から街へ、移動手段として使っていたね。依頼があれば届けに行くの。運搬車だけだと重くないから、お米みたいな重いものを乗せると安定する。

ー当然、乗せれば乗せるほど重くなるわけですよね…
安希子さん:そうね、体幹があったから(笑)元気な人だったんですよ(笑)

営み、精一杯働くこと

お客さんにおもてなしとして出すお抹茶を立てている女将さん

ー旅館で働いていて楽しかったことはありますか?
安希子さん:楽しいと思ったことはあんまりないね。日々全うすることで精一杯よ。

ー仕事自体は好きですか?
安希子さん:好きと言うよりか、働かなければいけないと思ったから。これしかないと。

ー生きていくための仕事?
安希子さん:そうだね。これがなければみんな生きていけないからと。営みよ。勝手にやめられるものではないしね。

ーある程度は自分が就きたい職を目指せる今と、昔の職の選び方は違いますね。
安希子さん:みんな、「私は何がしたい」と自分の都合が言える。そんなことを言うのに、私は20年もかかった。特に初めは、旅館のことが何もわからなかったから、あっという間に時間が過ぎて行った。

詩〜poem〜

書いた詩は紙に印刷している

ー息抜きに何かされていましたか?
安希子さん:詩だね。他にはお習字やお花、お茶など。毎日仕事が終わってから何かをしていた。忙しかったのに不思議ね。とにかく何かをしていないと落ち着かないの。

ー詩はどのようなことを書かれるんですか?
安希子さん:疲れて眠りたいなぁとは思った。でも眠りたいと思ったって、寝かせてくれない。そのことを子守唄と題して、詩が生まれたこともある。そういう状態だったから詩がかけたのかもね。しんどいなと思ったら、このしんどい気持ちをどう表現すれば良いかなと、詩とかに置き換えた。
 

春の笛

吹き続ける
鳴子では
こよみの春が膨みきっても
もがり笛は
吹き続けるのだ

肩のあたりに
山を感じて暮らすこと久しい
顔をわずかに傾ければ
山なみがいる
うなじにまつわる
おくれ毛のように
もがり笛は
私に吹き鳴り悩ませた

ある年の暮
涼やかにピッコロを
吹き鳴らして去った
旅の人がいた
でも翌日から届く笛の音は
まぎれもなくもがり笛だったが
見渡す限りの白い朝に
そこだけが春の舞台のように
黄金(きん)色に輝く笛が届いていた
掌いっぱいだけの世界に咲いた
一鉢の福寿草だった
それを手にして
慌ててわたしの吹く笛を
探しはじめていた

詩集 『一条の光』  著:大沼安希子 より引用

不足の先に見えた

上段左:長男/現社長、上段右:次男/料理長、下段左:弟さん/スタッフ、下段中央:お客さんとして来ていたお姉さん

ー続けていてよかったなと思うことは?
安希子さん:しんどい中でも、とにかく詩を発表できたこと。作品が集まったことね。

ー感性が研ぎ澄まされた?
安希子さん:感性というか、書くことによって、一生懸命いかに表現するかを学んだ。時代によって子ども達のことを書いたこともあるし、自然やお客さんについて書いたこともある。街の移り変わりや駅の状態、荷物の運搬についてとかね。たくさん書きました。

ーそこまで書くことにこだわった理由は?
安希子さん:しがらみや、憎しみや恨みではなく、やはり言葉をみつけたくて書いたね。詩を書くことは大変だけど続けてこれたし、詩だけでなくエッセイも随分書きました。何冊も書き溜めたものを読み返すと当時の思い出が一杯。今も読み返すの。

ーそれが元気の秘訣かもしれませんね。
安希子さん:やっぱりハングリーでないと。何でも良いものは出てこないんですよ。満ち足りていたら、また違うと思います。だから、私は未だにハングリーです。

ー女将さん、このあとのご予定は?
安希子さん:これ終わったらね、山に散歩に行くよ。

ーえ、和服で?(笑)
安希子さん:ノーノー(笑)

取材後記

カメラマン中村に起こされた私は、ぼやっとした視界のまま鳴子御殿湯駅で下車。無人の改札を無言で抜けると、うっすらとしたピンク、若い緑、菜の花のような色が辺り一面に。どこかの印象派の絵をみているような、芽吹き時に誘われているかのような感覚を鮮明に覚えている。この頃の私は少し疲れていた。

商店街の通りを5分ほど歩くと、黒塗りの立派な旅館に着いた。旅館大沼だ。目的は、女将さんを取材すること。裏テーマは温泉に入って心から癒されること(笑) 早速、露天でひとっ風呂浴びた後、女将さんを取材させてもらった。

取材は、食事処を借りて約1時間。女将さんとは初対面だった。茶っぽい灰色に花柄のような着物、帯は白を基調に、青い蝶などが描かれていた。女将さんのエレガントなグレーヘアとの調和がなんとも美しい。「今日は張り切ってお化粧をした」と言って手で口を押さえながら、上品に笑う姿を見て、私まで照れてしまった。

女将さんの名前は、大沼安希子(おおぬま・あきこ)さん(85歳)。この旅館に嫁いで62年目になる。いわゆる"青春"が終わって、すぐに嫁いだ。

当時は、現代に比べると職種の選択肢が限られていたことは事実だろう。
今は便利な時代で、スマホ1つあれば職種を知れて、受けたい企業にエントリーができる。また、女性の働き方も今ほど寛容的な社会ではなかったと思われる。

一方、便利さ故に、文字を自分の手で書く力が衰えている傾向にあると思う。私もその一人。パソコンと向き合って、取材後記と格闘中。「便利というのは一理あって一害あるから表裏一体」という女将さんの言葉が頭をよぎる。 

取材中、女将さんは時折「楽しいと思ったことはない」と話をしていた。
当初、この言葉を聞いた私は、ネガティブ要素が強いと感じたが、改めて考えると、それは間違いだったことに気づいた。
女将さんにとって働くことは、生きるために続けるしかなかった。決して辞めたいとは言わずに、満たされることを恐れた。ひたむきに働き続けて、束の間の就寝前の時間を、詩の創作などに充てた。それをハングリーと表現した、あの時の女将さんは喜色満面だった。

翌日、一生懸命働いた後に創った詩集の一部を見せてもらった。詩集の表紙は赤く、左上には栞サイズの白い紙に達筆な文字で何年何月と記されていた。女将さんの創作の結晶が棚にびっしりと埋め尽くされていた。

女将さんはカラー手帳を持って山に行き、詩を創ったこともあったという。
カラー=「色」は、十人十色、才色兼備など四字熟語でも多く用いられている。
女将さんの最近の趣味は、歌舞伎の鑑賞や本で読んだ美術館や街に行くこと。奈良に行って毎日寺まわりした話を楽しそうにしてくれた。
私もいろんな色を見て、いろんな人を知って、学んで、職を全うしたいと思った。
女将さんのハングリーさ、ひたむきな姿を学びたい。

書き手:増田 亮央(ますだ りょお)

旅館大沼 店舗情報

旅館大沼
〒989-6811 宮城県大崎市鳴子温泉赤湯34
公式HP:https://www.ohnuma.co.jp/
電話:0229-83-3052

取材/ライター:増田 亮央
編集:新野 瑞貴
監修:後藤 花菜
撮影:中村 創

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