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「りんごは自分の子ども。」やさしい味の秘密とは?

「ひとすじ」は、”50年以上ひとつの仕事を続けている”方々を、フィルムカメラを用いて写真におさめるプロジェクト。
個人が自由に仕事を選べるようになり、転職や職種転換も当たり前になった現代だからこそ、その人々の生きざまはよりシンプルに、そしてクリエイティブにうつります。
このnoteでは、撮影とともに行ったインタビューを記事にしてお届けします。

宮城県気仙沼市。
カツオやサメの水揚げが日本一、昔から漁業のまちとして知られています。

漁港から車で20分弱、太平洋に面した唐桑半島には、58年前は麦畑だった場所に、100本の木を植えたりんご農家があります。

宮城県の農林水産大臣賞を3回も受賞したりんごを作っているのは、戸羽貫の千葉貫三さん、89才。

「長年りんご農家をやっていると、りんごの気持ちがわかるようになる」と語る大ベテランに、なぜ宮城県でりんごを始めたのか、農家として仕事をしていて大変だったこと、りんごの気持ちがわかるってどういうこと?など、率直な疑問をぶつけました。

自然で優しい甘さのフジりんご。この味の秘密は、千葉さんのこれまでの人生に濃縮されていました。


「わかめ」に「しいたけ」に「ニワトリ」に。

ー りんご農家は学校卒業してから、すぐ始められたんですか?
千葉さん:いや。りんご農家1本に絞るまで、いろいろな仕事を兼業してた。

ー例えばどんな仕事をされてましたか?
千葉さん:気仙沼だと海が近いから、わかめの養殖はしたね。あとはしいたけ栽培とか。

ー海の幸に、山の幸に。幅広いですね。
千葉さん:ニワトリを飼ってたこともあったね。産卵鶏。中流くらいの収入を上げるには、なんぼ飼えばいいかなと思って計算したらさ、ニワトリ1羽から1円しか儲けねえんだ。

ー 安い...。目標収入を達成するには、何羽買う必要があるんですか?
千葉さん:1日で3,000円の日当がないと、中流にならない。だから3,000羽飼った。

ー え!3000羽?この場所で飼ってたんですか?
千葉さん:うん。ここの場所でね。餌やんねえと「ヤーヤーヤー」鳴いて、生活がニワトリ中心だったな。周りの飼ってた人たちも、ニワトリに財産食われてしまってさ(笑)。結局20年くらい飼育してたんだけど、りんごがうまくいき始めてスパッとやめた。

ー りんご1本と決めたのは始めてから何年後でしたか?
千葉さん:始めてから25年ぐらい経ってからでねえかな。昭和62年、平成10年、平成22年の3回、宮城県の品評会で農林大臣賞を取った。

ーすごい!なかなか3回も受賞されてる方はいないのでは。
千葉さん:そうだね。あんま聞かねえな。1回目は周りから「まぐれ当たりだろう」と言われたけど、その後2回目でまぐれじゃなくなり、3回目の受賞で宮城県でも一目置かれる存在になったね。明治神宮の新嘗祭にも招待されて、天皇陛下にもお会いした。

100本の木から始めたりんご農園

ー 複数のお仕事を同時にやられてたと思うのですが、りんごを始めた最初のきっかけはなんだったんですか?
千葉さん:元々ここは麦畑だった。麦の収穫後に豆を育てる連作をする農家だったのさ。他になんかいい作物ねえか探してたんだよ。最初は花農家をやっかなと思って。

ーなるほど。最初は花農家を始めようとしたと。
千葉さん:宮城県の仙台にカーネーションを栽培してるところがあるんですよ。そこに行って視察したけど、当時はビニール温室じゃなくて、ガラス温室で費用が高い。さすがに高くてやってられねえとなった。

ー 結局、花農家にはならなかった。
千葉さん:次は酪農やろうかなって、視察に行ったら、その酪農農家さんにりんごの方がいいんじゃねえのって教えられたのさ。「近くでりんご栽培やってるとこあるから、見に行ってこい」って言われて見に行った。それで、今から58年前の昭和40年にりんごにしようと決めたな。

ー 千葉さんは元々りんごが好きだったんですか?
千葉さん:それほど好きではなかったね。ただその当時、岩手県から気仙沼にりんごを売りに来てる人がいて、うちの麦と物々交換したのよ。こっちは麦をどっさりやったのに、りんごはちょっとしかもらえないの。りんごってのは値段がいい作物だなと思ってたんだよ。あと、りんごは品種によって収穫時期をずらせる。いろんな仕事やってるからスケジュール的にも都合が良かった。

ー そうしてりんご農家を始めるわけですね。最初からどのくらいの規模感で始めましたか?
千葉さん:最初は100本植えたんだ。今は800本くらいあるんじゃねえかな。いろんなりんごの品種があるけど、今収穫してるのはフジりんご。当時はデリシャスって品種がメインだったけど一気にフジに変わったタイミングがあった。フジ以外にも、つがるやジョナゴールド、王林、はるかとか複数種類のりんごを育ててる。

6割りんごがダメになる台風との戦い

ー りんご農家をやっていて、ここだけは譲れないものはありますか?
千葉さん:やっぱり、おいしいりんごを作るのには努力が必要だな。りんごも人間も同じで、食べ物がよくねえと健康な身体にならねえんだ。だから撒く肥料にこだわってる。有機質肥料がたっぷり入った肥料。

ーりんごに優しい肥料を使うと、そうするとやっぱり味も優しくなるんですか。
千葉さん:なる。あとは畑が海の近くだからさ、太平洋からのミネラルっていうか、そういうものもあんのかもしらんね。

ー そのこだわりがあるから優しい味になるんですね。逆に大変なことは何がありますか?
千葉さん:台風だね。5年に1回くらいの頻度でくる。育てたりんごが8割まではいかないけども6割くらい落ちちゃうね。売れないし大変。でもりんごに救われたこともある。

ーそのお話聞きたいです。
千葉さん:りんごを作り始めてから15年、昭和55年に大冷害があったのさ。その当時はまだ田んぼもやってたのさ。でも寒くて、お米が1つも取れねっちゃ。まるっきりダメ。

ー 寒すぎてお米が育たなかったわけですね。でも当時は田んぼも生計を立てるひとつですもんね。
千葉さん:でもりんごは寒いところで育つから、リンゴには影響はないのさ。米はダメだったけど、むしろりんごは豊作だった。

ー りんごはやっぱり寒い方がいいんですか?
千葉さん:いいね。寒いと実が締まって、色が出るのさ。今年(取材当時、2023年)のような暑い年じゃダメだね。

りんごの気持ち、わかるよ。

ー 千葉さんが長年りんご農家やってたことで起こった変化を教えてください。
千葉さん:りんごの気持ちがわかるようになる。りんごの唄って知ってるか?

ー すみません。聞いたことないです。
千葉さん:ちょっと調べてみてけろ。

赤いリンゴにくちびる寄せて
だまって見ている 青い空
リンゴは何にもいわないけれど
リンゴの気持ちはよくわかる
リンゴ可愛いや 可愛いやリンゴ

リンゴの唄 / 並木路子


ー まさに歌詞の通りリンゴの気持ちがわかるようになったわけですね。
千葉さん:もう少し丁寧に扱ってけろとか、喉乾いたとかさ。

ー それは、晴れの日が続いて、水が少ないとりんごが「喉乾いた」と言ってると。
千葉さん:そうそう。りんごは自分の子どもみたいなもんだ。子どもを育ててる感覚。

ー 素敵ですね。そうやって丁寧に育てられてるってことですね。
千葉さん:うん。私の座右の銘は「足音が何よりの肥やし」。おいしく育てるために、いかに自分の足音を多くして、りんごの世話をするかってことだ。

お客さんからの「おいしい」が何よりの励み

ー りんご農家として働いてきて、嬉しかったことは何ですか?
千葉さん:お客さんにおいしいりんごだって語られるのが何よりの励みでさ。

ーそれは生産者冥利につきますね。直接言われることも多いですか?
千葉さん:そうだね。リピーターもあるし、気仙沼港に寄港する船に売ったり。売るには事欠かねえんだ。

ー 気仙沼港にくる船ですか?
千葉さん:そう。宮崎県だの、高知県からカツオの一本釣り船がくるっちゃ。ほいで、お土産に買ってもらう。

ー 宮崎とか高知だとりんごは育ててないですもんね。
千葉さん:最初は宮崎の船に2箱積んでやったのさ。9月とか11月くらいに気仙沼に寄港するから、その時にこのりんごを食べて、うまかったら来年から注文してけろって。

ー お試し的に食べてもらったと。
千葉さん:そしたら、今年のりんごはうめえなってなったらしくてさ。なんでそんなうめえんだって聞かれたな。

ー 実際他の農家さんと違う育て方をしてるんですか?
千葉さん:うちのりんごは袋をつけない。無袋にすると甘くなるんだ。袋をつけると虫よけになるし、綺麗にピンクに色づくんだけど、袋をかけないで育てると糖度が1度甘くなる。

ー だから船員も驚く味になったと。
千葉さん:それで次の年から、一気に注文がきた。それがいまだに続いてて、今年も60箱積んでやった。

ー 2箱が60箱に!生まれ変わってもりんご農家をまたやりたいですか?
千葉さん:やっぱりまだりんご農家だな。おいしいって言ってもらえるのが一番嬉しいしな。

取材後記

仙台から車で走らせること1時間30分。気仙沼の海を横目に、クネクネとした道の途中に戸羽貫はある。その日は雲ひとつない完璧な秋晴れの日だった。
りんご収穫は息子さんが、千葉さんはりんごの仕分けを担当する。足音と鳥の囀りが響き、空気は澄んでいる。そんな心地よい空間が仕事場だ。

気仙沼にはプライベートで何度か訪れたことがあるが、海のまちとしての認識だった。東京ではなかなか出てこないであろう海の幸を満喫し、復興後に新しくできた居心地のよい施設で仕事をしたことを覚えている。
りんごといえば青森や岩手だし、気仙沼といえば漁師、海の街と思っていた僕からすると、50年続くりんご農家があるのは驚きだった。
今回の縁は、僕が日頃からお仕事でお世話になっている方のお父様が繋いでくださった。実際に戸羽貫さんに取材するまでには3名の方の協力があってこそ実現した。ほんとうにありがたい。
りんごのおいしさの秘訣はいろいろあった。まずは肥料にこだわり、海のミネラルを含んだ土壌がある。袋はかけずに育てることで甘さが増す。
帰り際にご好意でりんごを1袋いただき、取材終わりにいただいた。シャリシャリとして、みずみずしい。身体に染みる自然の甘さ。とてもおいしかった。でも何より優しい味だった。この優しい味はりんごの気持ちがわかり、子どものように愛を持って千葉さんが育てているからなんだろうなと口福を感じながら思いを馳せた。

書き手:中村 創

取材/ライター/撮影:中村 創
編集:新野 瑞貴
監修:後藤 花菜

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