見出し画像

「片思いなんてない」 サウナの聖地で愛し愛されて

 「ひとすじ」は、”50年以上ひとつの仕事を続けている”方々を、フィルムカメラを用いて写真におさめるプロジェクト。 個人が自由に仕事を選べるようになり、転職や職種転換も当たり前になった現代だからこそ、その人々の生きざまはよりシンプルに、そしてクリエイティブにうつります。 このnoteでは、撮影とともに行ったインタビューを記事にしてお届けします。

岐阜県大垣市には、知る人ぞ知るサウナの聖地がある。その名も「大垣サウナ」。1966年の創業以来、地元の名士から日本各地のサウナ愛好家まで、時代を超えて愛されて続けている。

いったい何がここを聖地たらしめているのか。水の都として知られる大垣市の豊富な地下水を汲み上げた水風呂は「奇跡の水風呂」の異名を持つ。また、その佇まいから内装に至るまで昭和のレトロな面影が残っている同館は「岐阜最古のサウナ」とも呼ばれる。

しかしそれだけではない。なんと言っても大垣サウナには御年82歳を迎える名物女将、岡田昌子(おかだ・まさこ)さんの存在が欠かせない。

「ママ」の愛称で親しまれる岡田さんは、23歳で嫁いでからというもの先代社長の正国(まさくに)さんと共に、半世紀以上もサウナを営んできた。2012年に正国さんが癌で他界した後も、現役でフロントに立つ。

今回は、サウナと共に歩み続けた岡田さんの生き様をお聞きしました。


結婚と同時に始まったサウナ人生

朝11時からフロントでお客さんを迎える岡田さん

ー大垣サウナはどういう経緯で始められたのでしょうか?
岡田さん:もともと先代社長の主人が昭和41年(1966年)にここの隣でサウナを始めたの。名古屋の産業会館で開催されてたサウナの展示を見て、ピンときたんやって。私が嫁いだ時には、もう半年くらい自分でサウナをやってたんかな。

ー嫁いだのはおいくつの時?
岡田さん:23くらいだったかな。うちにいたお手伝いさんが取り持って、正国(先代社長のご主人)と私を結婚させたの。

若き日の先代社長の正国さんと岡田さん

ー結婚はお見合いだったんですね。
岡田さん:そうなんです。その時、全然結婚する気なんてなくて。でも兄弟もいるし、その頃はみんな順番に結婚するって流れやったから。それでお嫁に行くことになったの。

ーそれが突然サウナをやることになったんですね。
岡田さん:そうです。仕事があるっていうことは楽しいから、頑張ってみようかなって思ったんじゃない?結婚してみたら正国さんもいい人やったし、たぶん手伝ってくれるお嫁さんが欲しかったんやろうと思うよ。だから、正国さんと結婚したのか、サウナと結婚したのかわかんない(笑)

できる限りを尽くす。誕生した男性のオアシス

昭和41年(1966年)から営業を続ける大垣サウナ

ー当時サウナ施設って少なかったんじゃないですか?
岡田さん:サウナ専門ってところはなかったね。岐阜はもちろんやけど、このへんで初めてのお店だったから。お客さんもサウナの入り方を知らないでしょ?最初のお店では、正国が一人ひとりに説明して、入ってもらったの。
ー本当に先駆的な存在だったんですね。しばらくして今の施設に移ったんですか?
岡田さん:そう。最初は隣にあった木造の平屋建てでやってたんだけど、この店を建てたのは昭和53年(1978年)。こっちを建ててる間に駐車場も整備して、一週間で引き継ぎを済ませて、すぐ営業し始めたの。
ーすごいスピード感!新しく施設を作るにあたって、設計の参考にした場所はあったんですか?
岡田さん:大阪や東京のサウナを見に行ったんだけど、大阪の「ニュージャパン」ってところなんて、入口のフロアだけでうちの全館よりも広かった(笑)びっくりしたよ、だって道の一角全部だもん。
ー参考にならないですね(笑)
岡田さん:それで「うちはうちのスペースでできる限りのことを尽くそう」って開き直ったの。それから夜な夜な設計士の方と正国と私で間取りを考えた。


ーどんなところにこだわったんでしょうか?
岡田さん:シンプル・イズ・ベスト。それだけしか出来なかったから。うちは露天風呂とかもないけど、これでいいっていうお客さんだけ来てもらおうって。サウナ一つ、湯船と水風呂1つずつ。今だと男性も女性も入れるとこが多いけど、設計士の方と相談して「ここは男性のオアシスにしよう」って決めたの。

肩書きを脱げる場所

サウナ室に加えて、水風呂と通常の浴槽が一つずつのシンプルなつくり

ー建て替えてからは、最初からお客さんは多かったんですか?
岡田さん:建ててすぐの頃は、今よりお客さん多かったよ。満員の時でも、グループのお客さんがいらっしゃると、「ロッカーはひとつでいいから入れてくれ」って言って。一つのロッカーを三人とか四人で使ってた。

ーええ!大人気ですね。
岡田さん:一番最初にきてくれた人が地域のライオンズのメンバーの方で。あくる日からライオンズのメンバーをみなさん誘って来てくれたんで、口コミでどんどん広がった。地域では、「大垣サウナは地元の名士ばかり集まる」って言われたり。

ーいいお客さんに恵まれたんですね。
岡田さん:「近くに勤めてるけど、社長が通ってるから、自分たちは行きたくない」っておっしゃるいう方もいたけど、「社長もあんたも一緒の料金やで、来や」って言って、みんな来てもらった(笑)

ー地域の憩いの場ですね。
岡田さん:スーツ脱いだら肩書きも何も関係ないから社長の方も、社員さんたちに見られたくないから新聞被って顔隠したり(笑)みんなおもしろかったよ。

受け継がれ続ける先代正国さんの意志

タオルはロッカーの上に綺麗に並べられている。隅々まで掃除が行き届いている証拠。

ー館内は綺麗で居心地がいいですよね。ロッカーの上に並んでるタオルが印象的でした。
岡田さん:先代の正国が本当に綺麗好きでね。お客さんに服脱いでもらう場所だから、清潔が絶対大事っていう考えやったから。机の裏まで綺麗に拭いたりね。今も清掃の人にばっちり受け継がれて、いつも完璧に掃除してくれとるよ。

ーこだわりが受け継がれてるんですね。正国さんもよくサウナに入ってたんですか?
岡田さん:もちろん。お店始まる前に入って、サウナと浴槽の温度をチェックするでしょう。お客さんが入ると散らかるから、夕方にまたお風呂入って片付けて。寝る前にも入ってた。1日に3回くらい入っとったんやない?

ータオルとか館内着も、常に最新の状態にしておくのは結構大変ですよね?
岡田さん:そうそう。畳んでも畳んでも新しいお客さんがいらっしゃるから、キリがないよね。これをやったら終わりっていう仕事じゃないし。うちは休みもないから、帳簿も毎日溜まるでしょう。今日綺麗に片付けたと思ったら、今日の分が明日溜まる。結構追われるよ。

ーそれが毎日ですもんね。
岡田さん:元旦以外休みもないし、起きたら寝るまでずっと働いとったけど、あまり苦労って思ったことないっていうか、まあこんなもんかって思っちゃう。一回ね、お正月にすごい雪が降って。こんな日にお客さんは見えへんやろって思っていたら、雪の中でもお客さんがいっぱい来られて。だから雪が降っても雨が降ってもお店は閉めれん。ありがたい話よね。

二人三脚で続けてきた正国さんとの別れ

水の都大垣の地下水を汲み上げた通称「奇跡の水風呂」

ー正国さんの闘病中はどんな生活だったんですか?
岡田さん:正国が胃癌を患ってから6年間闘病したけど、名古屋の癌センターの個室が空かないと絶対入院しなかったの。個室があると私も寝れるやろ?病院の先生も親切に部屋を空けてくれて。入院する度に私も一緒に入院して、絶対独りになることはなかった。こっちで宴会がある日は、朝帰って段取りして、仕事終わってまた名古屋まで行って。64、5才の頃かな。まだ若かったんやね。

ー闘病中もサウナを休むことはなかったんですね。
岡田さん:正国が「俺の生き死にとサウナのお客さんはまったく関係ないから、店は休んだらあかん」って言って。2012年に亡くなったけど、その日もお店は開けた。6年間の闘病は毎日必死やったから、お別れする心構えとかできるもんやないよね。

ー岡田さんにとって、正国さんってどんな方でしたか?
岡田さん:愛想もないし、イケメンでもないけど。何事にも一生懸命ですごく誠実な人。うちの子どもが「お母さんはお父さんにお姫様みたいに大事にされとるね」って言っとった。

ー素敵な人だったんですね。
岡田さん:本当に大事にしてくれたと思うよ、幸せやなあ。お風呂屋さんにお嫁に来たのに、私には風呂掃除一回もさせんかったもん。私はフロントに立ってこうやってお客さんとお話してる間も、正国の方はゴソゴソとなんでも片付けて仕事して。他のお客さんに「あの人いつもここにいるよね」って常連だと間違えられたくらい(笑)そりゃそうだよね。あの人がここのオーナーやもん

支えられて、続けられる

フロントに立つ岡田さん

ー大垣サウナはもうすぐ60周年を迎えるんですね。こんなに長く続くと思ってましたか?
岡田さん:全然思ってなかった。60年も大垣にいるとも思っとらんかったし。不思議だねえ。正国がいないから、いつやめてもいいって思っとったのに、まだ頑張っとる。

ー今や全国から大垣サウナ目当てに来る人もいますもんね。さっき新潟から来たっていう方がいましたよ。
岡田さん:サウナブームでね。いろんな人にYouTubeにも上げてもらったり、『サウナを愛でたい』っていう番組にも取り上げていただいたりね。それを見てお客さんも来てくださるんで、やめるにやめれんよね。

ーこれまでいろんなお客さんと接し続けた中で、どんなことを大事にしてきましたか?
岡田さん:「私の好きな人は相手も好き」って昔はよく聞いたけど。片想いってないと思ってるの。人のことを好きだなと思うと、相手もちゃんと私のことを快く思ってくださったりする。そんなもんなのよ、だいたい。

ーそんな気がしますね。
岡田さん:たまにはこれだけのお客さんいたら、苦手な人もおるかもしれんけど、心掛けてお付き合いすると、ちゃんと相手も心開いてくださるから。そういう心って大事よね。人のことを好きって思えること、そう思える健康な体があること。それが幸せやなあ。

ー大切なことですね。みなさん岡田さんのそういう人柄に惹かれてるんだと思います。
岡田さん:ありがたいよねえ。サウナって端で見るほど楽な仕事じゃないけど、今はスタッフが部署ごとにやってくれてるからやっていける。従業員も30年越えの選手ばっかりだから、せっかく仕事覚えたんやし、ここが営業できるうちは一日でも長く頑張りたいなと思ってます。

ー従業員さんも家族みたいものですね。
岡田さん:サウナのメンテナンスの業者さんも先代が亡くなって、今は息子さんが来てくれるけど、電話したらすぐ来てくれる。付き合いが長いから「サウナは待ったなし」ってことをよく知ってくださるから、ありがたいなと思うよね。

ーいろんな人が支えてきたサウナなんですね。
岡田さん:サウナの温度とか水だって、計算してできるものじゃなくて、全部与えてもらってるものやないかなと思う。そういうの全部含めて、正国がお店を大事にしてきたから、私もこのお店を大事にしたいよね。

ー大垣サウナが愛される理由が少しわかった気がします。また、60周年に遊びにきます!今日はお話を聞かせてくださり、ありがとうございました。とっても楽しい時間でした。
岡田さん:今日は、一日遊んでくれてありがとうね。

ー 僕らが遊んでもらった感じです。両思いということですね。
岡田さん:片思いはなしということでね。

取材後記

取材を終えて、お昼までご馳走になり、「ゆっくりサウナ入ってきてね」というママの言葉に甘えることにした。サウナ室に入ると正国さんがかなりのサウナ好きだったと一瞬でわかった。柔らかい背もたれ、水風呂までの動線、快適なサウナパンツ。全部がこだわり抜かれている。常に新鮮な地下水を供給する水風呂は、これまでに体験したことがないほど、軟らかく心地良かった。
館内着でエントランスの外に出て外気を浴びると、完璧なととのいがやってきた。正国さんもこのととのいの中で、時を経ても変わらないものに想いを馳せたのだろうか。彼が作り上げ、今に残したものの中に自分はいる。そう思うとやっぱり奇跡的だった。
館内に戻る時、フロントにいたママに「完璧にととのいました」と言うと、「私はととのうが何やわからん」と言って笑った。ママ自身は大のサウナ好きというわけではないらしい。一瞬意外に思ったが、それもそうか。考えてみればここは朝から晩まで休みなしの男性用サウナだ。
風呂場に戻り、ラックにふと目をやると、いつのまにか新しいタオルが当たり前みたいに補充されていた。振り返ると古いタオルを抱えた年配の女性スタッフの背中が見えた。水風呂の浴槽からは、絶えず地下から汲み上げられる新しい水を受け入れる音がした。
ととのって頭が冴えたのか、些細なものが目についた。変わらないものは、変わり続けるものによって保たれる。雨が降り、山が蓄え、川から海に流れる。また蒸発して雨を降らす。循環する水みたいだ。大垣サウナの”奇跡”は働く人たちに守られ続けている。例え当人が自らが守るものの恩恵にあずかれなかったとしてもだ。
正国さんから受け継いだそれぞれの手順は型となり、単純にも思える一連の流れの繰り返しが”奇跡”を作り上げる。まるでととのいそのものだな、などとぼんやり思いながら着替えを終えると、ママが「桜見に行く?」と声を掛けてくれた。「ドライブスルーだけどね」と付け足したママは子どもみたいに笑った。
ママの運転で大垣市内を廻った。大垣は松尾芭蕉の「奥の細道」の結びの地だと教えてくれた。その日の大垣は桜は満開で、僕にとっては初めての、ママにとっては58回目の桜だった。ママはこうやって巡る月日を重ねながら、行き交う人を迎え、そして送り出してきたんだろう。
この当たり前は当たり前じゃない。フロントガラスに高速で流れる桜を眺めながら、僕はずっと思っていたことを言った。「あの、やっぱり止まって桜見たいです」
するとママは「また来年きたらね」と言って、また子どもみたいに笑った。

書き手:勝俣 泰斗

大垣サウナ

株式会社大垣サウナ
〒503-0808 岐阜県大垣市三塚町1222
営業時間:午前11時~深夜12時(土曜日オールナイト)
※年中無休
TEL:0584-78-4000
HP:https://www.ogaki-sauna.com/

取材/ライター:勝俣 泰斗
編集:新野 瑞貴
撮影:中村 創
監修:後藤 花菜

50年1つの仕事を続けた方のポートレートや仕事風景をフィルムカメラで撮影した写真集「ひとすじ」製作中!最新情報はこちらからご覧ください。▷instagram @hitosuji_pj

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?