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「もう好きが違っとうですよ。」海の上で生きる、78歳現役漁師

 「ひとすじ」は、”50年以上ひとつの仕事を続けている”方々を、フィルムカメラを用いて写真におさめるプロジェクト。
個人が自由に仕事を選べるようになり、転職や職種転換も当たり前になった現代だからこそ、その人々の生きざまはよりシンプルに、そしてクリエイティブにうつります。
このnoteでは、撮影とともに行ったインタビューを記事にしてお届けします。
2024年10月11日よりクラウドファンディング実施。
2024年11月22日-24日の3日間、東京原宿のSPACE&CAFE BANKSIAにて写真展開催。記事だけでなく、支援と来訪心よりお待ちしております。

長崎県の五島列島のひとつ、福江島の西端に位置する玉之浦町。玉之浦で定置網漁業に従事する柿森 強さん、御年78歳は漁師歴62年だ。我々は、会ってそのまま柿森さんの船、「恵美丸(えみまる)」に同船し、5時間漁の様子をみさせてもらった。幸運なことに、1,000匹ものブリ大漁の瞬間に立ち会うことができた。

そのまま、柿森さんご夫婦の民宿「たまのうら」(現在は営業休止中)に特別に滞在させてもらい、恵美子さんがその日の漁で採れたお魚を贅沢に振る舞ってくれた。初めて食べる、皮つきの石鯛の刺身やアジフライなど、最高の晩餐をいただきながら、柿森さんの釣り人生を聞いた。


好きで好きでたまらない魚釣り

ー とっても美味しいごはん、本当にありがとうございます。柿森さんは漁師をいつから始められたのですか?
柿森さん:中学校を卒業してからすぐ。15歳の時から10年くらいは漁師として釣りをやったけんね。当時は中学卒業してから、ほとんどが集団就職をする時代で。私や5人兄弟の一番上の兄貴は集団就職に行かずに、父親がやっている漁を手伝った。

ー お兄さんも漁師さんなんですね。
柿森さん:そう。だけど兄貴は漁が好かんって言って、すぐに辞めて郵便局に就職。それで次男の私が親の後を継いだんです。私は釣りが好きやったけ。子どもの時からとにかく漁が好きで好きで、小学校の時から親について行って、よく手伝いをしよった。

ー 釣りをされていた10年はいろいろなところに行ってたっておっしゃってましたよね。
柿森さん:県から研修に行かないかって声がかかるんよ。千葉で鯛釣りの研修をしたり、種子島や韓国でカジキ突きの研修をして。今みたいに天気もわからないから、韓国では船が裂けた事故もあったんですよ。

ー 大自然の中でのお仕事ですもんね。それでも釣り好きは変わらなかったんですか?
柿森さん:変わらない。もう好きで好きで。自分の身体を動かした分だけ、何かが獲れるっちゅうのが楽しい。動かなかったらもうダメ。みんなびっくりしとるけど、今でも遊びとして行くんです。カツオ釣りなんか雪が降るときに。

釣りから定置網に


ー 現在の漁法に変えられたのはいつからですか?
柿森さん:26歳で嫁と結婚してから釣りではなくて、定置網を構えたんです。中学生の時に、漁協の船長さんが私を人員として呼んだんですよ。今みたいに、網の巻き上げをドラム式のローラーではなく人力で行ってたから、ひとりでも人間が多い方がよかった。だから中学生の自分が定置網の応援に行ったんですけど、今日のようなもんじゃないんです。当時はもっとわーっとたくさんの魚が獲れて。それがずっと頭に残ってたんです。あの光景を見て、漁をするならこれがいいと。

ー 網でも釣りの楽しさは変わらないですか?
柿森さん:網の方が感激すっとですよ。今日でブリ1,000本くらいですけど、最高で1万本獲れた時もあった。定置網は、こうしている間も働いてくれている、それが釣りとの違いですね。

ー 1万本!?船に乗りきらないじゃないですか。
柿森さん:応援で別の船を呼んで。でも、定置網を始めた時は嫁とふたりでやってたんですよ。今日のふたり(一緒に漁に出た中村さん・古川さん)も若い時の嫁には負けますよ。

恵美丸(えみまる)奥さま、恵美子(えみこ)さんのお名前から。
だいたいの船の名前は女性の名前からとるらしい

ー 恵美子さんも漁に出られてたんですか!?
柿森さん:人力で巻き上げてた時代にふたりでやってました。それで、嫁と新しい網を作ったんです。今は網屋さんに図面を持っていけば作ってくれるけれど、昔は網を自分で編みよったんです。網についているファスナーも、佐賀にあったYKKというファスナーの会社に漁業用を作らせて。

ー 開発されたんですね。
柿森さん:当時は銅か真鍮で、ファスナーも小さかったんですよ。だけどそんなんじゃ巻き上げた網のどこがファスナーかわからなくて困るでしょ。それを7〜8年かけてどんどん大きくして。

陸に上がったら何もしないですけ

ー 今日の漁の姿を見て、柿森さん、中村さん、古川さんのお三方が阿吽の呼吸で無駄なく動かれているなと感じました。
柿森さん:何も話さずにやるでしょ?今は全部機械やけ、応援も携帯で呼べばすぐ来るし、3人だけでやってます。

ー そう考えると、あんな重いものを恵美子さんとおふたりで引き上げていたなんて想像もつかないです。
柿森さん:一回一回引き上げるのも、網を撒くのも手順がある。あの網を考案したけん、去年の春に、黄綬褒章(※1)をいただいたんですよ。古川が案内してくれて。皇居に初めて行きました。東京も18と20くらいの時に行ったぶりで。

(※1)黄綬褒章:農業、商業、工業などの業務に精励し、他の模範となるような技術や事績を有する人に授与される褒章。柿森さんは令和5年(2023年)の春に漁業の業務精励で受賞された。

ー どうでしたか?久しぶりの東京は。
柿森さん:いやー、あの皇居の二重橋の鯉を見に行きたかったんですよ。

ー本当に魚がお好きなんですね。漁を始めた時はこんなに長く続けられると思ってましたか?
柿森さん:好きだから一生やる。もう好きが違っとうですよ。私の好きは。

ー 趣味はなんですかと聞かれても釣りですか?
柿森さん:釣り。漁師だけ。陸に上がったら何もしないですけ。魚ひとつ料理しない。釣りの道具を作ったり、網仕立ては好きです。

ー それは大きな枠で括ったら漁ですもんね(笑)。漁は何歳まで続けたいですか?
柿森さん:身体が続く限りする。もう邪魔になると言われるよ。そろそろ。

好きだから頑張ったけん、今がある

今回特別に滞在させてもらった民宿「たまのうら」

ー 民宿はいつから始められたんですか?
柿森さん:ちょうど平成元年(1989年)。最近までやってたんですけどね。嫁はもうお金はいらんって辞めたんです。働くなって言って、怒りよっと。

ー 漁をしている柿森さんのパワフルな姿を見ていてびっくりしていました。体力勝負のお仕事ですよね。
柿森さん:人力の頃と比べたら今は全然体力仕事じゃない。ただ、この島の小学校に通うために片道3時間かけて、道にもなってない獣道を一生懸命駆けてたんです。冬なんて朝8時に学校に着くために、外がまだ真っ暗な中を、竹に灯油を入れて灯を灯しながら通って。足腰は誰にも負けんという感じやった。

ー 片道3時間の通学路、根本の体力がだいぶ鍛えられそうです。今は週に何日漁にでられるんですか?
柿森さん:365日休みなし。というか、適当に休むんです。他の漁を助ける時とかに。でも私のところが一番休みない。

ー やっぱりパワフルです。
柿森さん:中学生の時に始めてみた定置網は一番優秀な船長さんの船に乗せてもらえたんですよ。理屈はみんな語れるけれど、ちゃんと釣れる人と釣れない人はどこか違う。いい人と出会えたんです。その時の船長さんに、「休む時は夜寝る時、昼は働け」って言われて、他の人が休憩している時も働いたんです。そしたら徐々にできるようになっていって。みんな休憩って言ってタバコを吸うけれど、タバコも吸わないし。厳しかったですよ。でも、釣りが好きだから一生懸命覚えましたね。そんなこと今の若い人には言えないけれど。

ー 夜、帰ってきたらなにかで気分転換されますか?
柿森さん:テレビくらいかな。お酒も一滴も飲まない。ビールやお酒が美味しいと思ったことが一回もないから。飲みの席の雰囲気は好きだから、お茶とかジュースを飲みながら混ざることはありますけど。

ー偏見ですけれど、私がイメージしていた漁師さんと違います。
柿森さん:「この変わり者が」とは言われるね。若い時は荒っぽかったんです。下についた従業員が3日で辞めることもあったんですよ。私がお酒もタバコもしないから、遠慮しよるのか、下も休憩しないし。でも頑張りがあったけん、今があるんですよ。

同じ海を共有する仲間たち

ー 同船している中村さんや古川さんなど、下の世代の人たちに教えることは楽しいですか?
柿森さん:仕事は覚えるもんです。好きやったら覚える。好きじゃなかったら伸びない。

ー 背中見て覚えろスタイルですね。「埼玉(古川さんの地元)に帰れ」って言われたことがあるって古川さんから聞きました。
柿森さん:言った言った。でもあの子は好きだから帰らない。釣りもだけど、魚を食べるのも好き。埼玉は海がないから、東京まで3時間半かけて自転車漕いで海釣りをしてたんだって。好きだから応援する。

ー 明日は何時から漁に出られるんですか?
柿森さん:毎朝6時半ごろからここら辺の漁師の仲間が十何人この民宿に集まる。同じ海やけん、みんなで協力するんですよ。こんなに仲良くやってるのはなかなか日本でもないらしいそうですよ。それからだいたい8時くらいから仕事をして。潮の流れを見て、今日はどこの網を採りに行くかを決めるんです。

編集後記

福江島を囲う海は、綺麗な割にはリゾート地の海のように、観光者向けで、リラックスすることを押しつけてくるような圧もなければ、港のような磯臭さもなく、日常に溶け込む気持ちのよい海だ。

そんな海の上で仕事をする柿森さんは、本人が語るように、今まで取材してきた中でも特に、心から好きなことを仕事にしていると感じた人だった。漁に出ている時の、柿森さん、中村さん、古川さんが言葉少なく遠くを見つめるまなざしも印象的だ。同じ海を見ていても、風や潮の流れから読み取れるものは圧倒的に多いだろうその姿は、壮大な海との一体感があった。

海の表情が変わるように、1,000匹のブリが大漁に揚がった時、3人の雰囲気は若干の高揚感と緊張感が走り、20回以上網の引き上げを繰り返していた。
正直、海漁を見たのも、釣り上げられてすぐの魚を触るのも初めて、浮袋を潰してから生簀に入れるということも、網を引き上げる時だけ集まってくるミサゴのことすら知らなかった私からすると、漁師3人が阿吽の呼吸で動く様子や息遣いにただただ感動していた。

船を降りてから、その大漁に立ち会えたことを「いい時にきたよ。ついてるってことは、普段の行いがいいけんと違うか」とあまり表情を変えない柿森さんが笑って言った。柿森さんの漁や海への深い愛情と生き様に「かっこいい」のひとことだ。

初めて食べた皮つき石鯛の刺身もまた、忘れられないほど美味しかった。福江のスーパーは、東京のスーパーとは比べ物にならない。鮮魚コーナーには石鯛をはじめ、種類豊富でお買い得な魚介類が並ぶ。この島の海の心地よさと、この鮮魚コーナーだけでもこの島に移住したくなってしまうくらいだ。
海やその恵みと、その海を生きる人々の姿にたくさんパワーをもらった取材だった。

書き手:新野 瑞貴

取材時に獲れた魚と、恵美子さんが捌いてくれた刺身

柿森水産
〒853-0411 長崎県五島市玉之浦町玉之浦734-7

撮影:中村 創
編集/取材/ライター:新野 瑞貴
監修:後藤 花菜

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