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 中沢啓治(1939~2012)作。反戦マンガの金字塔とされる。フィクションではあるが作者自身の被爆体験が元になっており自伝的要素が強い。
 1972年に週刊少年ジャンプで連載開始。ジャンプではいったん終了した後、『市民』→『文化評論』→『教育評論』(日本教職員組合の機関紙)と掲載誌を転々とし、1985年に完結。

 なお最後のコマには「第一部完」とあり、第二部の構想もあったが作者の白内障により断念(描かれた2話32ページ分の下書きは大村克己『「はだしのゲン」創作の真実』中央公論新社に写真掲載されている)。

 初期の原爆投下時の描写が非常に凄惨なことでは定評があり、苦情を受けることはしばしばあった。ただ、作者の自伝『はだしのゲン わたしの遺書』によると、あれでも描写を抑えていたとのことである。
 また意外にも、右翼団体等による抗議活動などは連載当時にはなかった。右翼によるバッシングが始まるのは2010年代に入ってのことのようである。

『はだしのゲン』は、被爆のシーンがリアルだとよく言われますが、本当は、もっともっとリアルにかきたかったのです。けれど、回を追うごとに読者から「気持ち悪い」という声が出だし、ぼくは本当は心外なんだけど、読者にそっぽを向かれては意味がないと思い、かなり表現をゆるめ、極力残酷さを薄めるようにしてかきました。
(略)漫画家仲間からも、「おまえの漫画は邪道だ。子どもにああいう残酷なものを見せるな。情操によくない」と叱責されたことがありました。
(179~182頁)

 ただ、意外だったのは、被爆者からは一通も手紙が来なかったことです。 また、天皇制を批判する内容がふくまれているので、抗議も覚悟して、ぼくは女房に「変な電話とか手紙も来るかもしれん。扉は簡単に開けるな」と言っておいたのですが、まったくなく、拍子抜けしたものです。
(184頁)

 小学一年生のお子さんが『はだしのゲン』を夢中で読んで、夜トイレに行くのがこわいと言って泣くので、あんなどぎついものはかかないでくれという抗議の手紙がお母さんから届いたこともあります。
 そのとき、ぼくは「あなたのお子さんは立派に成長しています。ほめてやってください。『はだしのゲン』を読んでトイレに行けないくらい自分のこととして感じてくれた。こんなありがたいことはありません」と返事をかきました。
(212頁)

中沢啓治『はだしのゲン わたしの遺書』朝日学生新聞社、2012

単行本化について

 少年ジャンプで連載が開始されたにもかかわらず、本作の単行本はすぐには刊行されなかった。
 このことについて作者は前掲『はだしのゲン わたしの遺書』の中で、

 第一部が完結したので、単行本化する話が出ていましたが、その話もストップ。会社の上層部では「読み捨ての雑誌にのせるのならいいが、単行本として出すとなると、社名に傷がつくからだめだ」ちうことのようでした。ぼくの担当編集者は「イメージを変えればいいのに」とぶつぶつ言っていましたが、結局、単行本化の話は消えてしまいました。

中沢啓治『はだしのゲン わたしの遺書』朝日学生新聞社、2012

 と述べている。
 ただし、大村克巳『「はだしのゲン」創作の真実』では、当時としては連載漫画を原則全て単行本化するビジネスモデルは確立しておらず『はだしのゲン』は当時の水準で単行本化されるほどの人気作ではなかったことが理由であったとしている。
 実際にはまず汐文社から1975年、集英社からは集英社漫画文庫版として1977年に単行本化され、その後は市民社・文民社・翠楊社・ほるぷ出版・中央公論社等から出版されている。

『はだしのゲン』図書館問題

2011年鳥取市立中央図書館での問題

 2011年の夏、漫画『はだしのゲン』を読んだ小学校低学年の児童保護者から「強姦描写などがある。小さな子が目にする場所に置くのはどうなのか」とのクレームを機に、同書を希望があった場合のみ閲覧・貸出する取扱いにしていたという。
 いわゆる閉架措置になると思われるが、毎日新聞の報道では閉架という表現を取っておらず「貸出カウンター裏の事務室に置いていた」となっており、他の閉架書籍も同様なのか同書が何らかの特別な扱いを受けていたのかは不明である。
 2013年8月、後述の松江市小中学校での閉架事件に伴って判明し問題化したため、同図書館は処分を撤回。一般書コミックコーナーに移動させた。

2012~2013年松江市小中学校での問題

 2012年4~5月にかけて、中島康治という市内在住の男性が市教委に、小中学校の図書館から「間違った歴史認識を植え付ける」として『はだしのゲン』を撤去するように求めていた。中島氏は「在日特権を許さない会」の関係者であり、同会幹部の(本件前後に強要罪等で複数の有罪判決を受けている)西村斉が同行したことも一度あったという。
 男性らはYouTubeに動画を投稿し、視聴者から「一時は業務がマヒ状態になった」ほどの抗議が市教委に殺到したという。

 しかしこの時点では、同市教委は「戦争の悲惨さを伝える素晴らしき反戦平和マンガ」として本作を擁護する姿勢を貫いていた。撤去の陳情を審査する市議会の教育民生委員会でも「戦争の悲惨さを伝えたり、生命の大切さや生きるたくましさを考えさせたりすることもできることから、作品全体を通して評価すべきだ」と副教育長が答弁するなど、撤去しない方針としていた。

 しかし、こう答えたにもかかわらず、実は市教委幹部らは平和学習教材として一部を使ったことはあっても、通読はしていなかったという。委員会が継続審査となるに及んで、彼らは初めて本作を通読した。
 その結果、ただ単に「反戦平和マンガ」というきれいなイメージのみで捉えていた彼らは、本作の迫真的な「残酷描写」にショックを受け、愚かにも一斉に規制派に回ったというのである。
 特に問題となったのが10巻の旧日本軍による残虐行為の描写であった。

10巻の「残酷描写」の一部

 彼らは朝日新聞の取材に「こんな描写を発達段階の子どもに見せていいのかと、児童の目から遠ざけることだけしか考えられなくなった」(当時の女性教育長)。「これが同じ作品かとショックを受けた」(当時の副教育長)、「自分の子どもには見せられない描写だと思った」(教育総務課長)とコメントしている。

 委員会は撤去の陳情を不採択としたが、今度は市教委側が暴走し、12月と1月の校長会で閉架措置を求める「お願い」を繰り返した。なお、この方針決定については教育委員会も開かれず、教育委員には無断で行われた。。
 一般的な公共図書館における閉架措置であれば、開架スペースの収容量などの理由で一部書籍を書庫に移動させ、利用者が申請すれば見られるようにするだけのものである(【福井発・焚書坑儒事件】でも同様の対応が取られている)。が、ここでの閉架措置は、貸し出しは禁止とし、閲覧は教師のもとで許可制にすることを指していた。
 後述の泉佐野市の事例と異なり、松江市の各校はこの「お願い」を受け入れてしまった。

 このことが報じられた後、世論の批判が集まり、2013年8月に松江市教委は改めて教育委員の臨時会議を開き、手続きに不備があるとして制限要請を撤回することを決定した。

 なおこの撤回前の8月21日、当時の下村博文文部科学大臣は閲覧制限を擁護。「私も確認したが、教育上好ましくないと考える人が出てくるのはあり得る」「教育委員会は発達段階における教育的配慮から、自由な閲覧を避ける権限を持っている」「教育長の判断は合法的で、文部科学省が指導するものではない」「表現の自由を侵すと言う批判はあたらない」とした。

泉佐野市立小中学校での問題

 2013年11月、泉佐野市の千代松大耕市長が「問題がある」とし、同市の中藤辰洋教育長に伝えた。その理由は、近年では差別用語とされる「きちがい」「乞食」「ルンペン」などの言葉が本作に使われているからという、いかにもこの地域らしいものであった。

中沢啓治『はだしのゲン』より

 中藤教育長は同市立小中学校での『はだしのゲン』所蔵状況を調査(18校中13校が所蔵)し、校長室保管にするよう指示。さらに翌2014年の1月になって各校から同作計128冊を回収した。
 ただし今回、特徴的だったのは当の学校側がこの指示に抵抗したことである。市立校長会が1月23日、「特定の価値観や思想に基づき、読むことさえできなくするのは子どもたちへの著しい人権侵害」「学校図書の運営権限は校長にある。蔵書の閉架や回収は受け入れることができない」として、指示撤回と書籍の返却を求める要望書を教育長に提出。
 3月20日、市教委は閲覧制限を撤回し、かわりに児童生徒に上記の「差別用語」を使わない指導をする方針を決定。同日おこなわれた記者会見で市長は「表現の自由との兼ね合いで難しいが、人権教育を推し進めてきた経緯から指摘した。他の作品で同様の差別的表現があれば、今後も何らかの対応を取っていく」と述べた。
 作者の妻ミサヨさんは「読みたい子どもには読ませてもらいたい」とコメントした。

 以上のように、2010年代前半に幾つかの地方の学校・公共図書館で問題となった『はだしのゲン』閲覧制限措置はいずれも撤回され、子どもたちも開架スペースで自由に閲覧できるものとなっている。

参考リンク・資料:

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