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【福井発・焚書坑儒事件】

 2006年、福井県生活学習館「ユー・アイふくい」が、男女共同参画の図書コーナー蔵書の一部に「内容が過激」「男女共同参画の趣旨に沿わない」と指摘を受け、内容確認のため閉架に一時移動した出来事について、フェミニズム団体などが付けた呼び名。
 彼らのHPから引用すると、実際に怒ったのはこういうことである。

「昨年11月1日、男女共同参画推進員からの『生活学習館のすべての図書について内容を確認し、不適切なものは排除するように』との苦情申出に、県は28日『情報の提供は学習する上で必要である』と文書回答し、申出を却下。その後、推進員は190冊の書籍リストを作成。今年1月に153冊分のリストを持参し、その後何度も排除の申し入れをくり返した。県は3月下旬になって、153冊の図書を書架から撤去した。4月にはさらに37冊の排除も求められたが拒否。5月に図書排除への抗議を受けると、153冊の内容を『個人への誹謗や中傷や人権侵害、暴力的表現などの公益を著しく阻害するものがないか』検閲し、5月15日、問題がないとしてすべての本を書架に戻した」

公的な手続きと手法を駆使して「福井発・焚書坑儒事件」でたたかう/寺町みどりのブログ

 この対応をされた書籍には、上野千鶴子『スカートの下の劇場』『女という快楽』『1.57ショック』、田嶋陽子『もう「女」はやってられない』、西野瑠美子『従軍慰安婦の話』、二宮周平『離婚判例ガイド』、樋口恵子『エイジズム』、福島瑞穂『結婚はバクチである』、宮台真司他『サブカルチャー神話解体』などが含まれる。

 では、そもそも閉架とはなにか?
 
実はこれは図書館によく行く人にとっては日常的に接する馴染みの言葉であるのだが、単に本の保管場所を倉庫に移し、希望に応じて閲覧・貸出する――実はそれだけのことである。
 どこの図書館でも普通にやっている保管形態であって焚書でも排除でも隠蔽でもなんでもない。撤去と呼ぶことすら大袈裟である。

 一応、広義には焼く以外の方法で本を読めないように損傷する(裁断など)も「焚書」に含むこともあるが、さすがに本を全く損傷せず、閲覧禁止さえしていない本件を「焚書」呼ばわりするのは無理がありすぎる。
 この件は別に、これらの本を恒久的に排除しようとしたものではない。男女共同参画推進員の意見を受けて、あくまで確認のための一時的移動をしたに過ぎない。(ちなみに男女共同参画推進員とは、各自治体が一般市民から公募して就任させる、男女共同参画社会について啓発などを行う役割の人である。)
 内容確認のために対象書籍をいったん閉架に移動させるのはむしろ当然である。もしそうしなければ、職員は内容確認を一冊済ませるたびにいちいち開架まで行って次の本を棚から本を探して来ることになる。その手間だけであればまだしも、たまたまその時誰かが本を取っていたら「あれ、あるはずなのにな……?」と無駄な時間を費やすことになるだろう。効率悪いことこの上ない。

 日本では過去、山口県立山口図書館図書隠匿事件(1973年)や広島県立図書館事件(1984年)といった、実際に蔵書を隠匿して閲覧できない措置を秘密裏に取って問題となった事例があるが、それらとはまったく異なる性質のものである。

 これを一万歩譲って焚書に喩えるとしても「坑儒」はどこから来たのか。
 ご承知の通り「焚書坑儒」とは、秦の始皇帝が儒家の書物を焼き学者を穴埋めにしたという逸話から来ている。しかしもちろん本件の処分はユー・アイふくいの蔵書だけになされたものであり、その著者達はもちろん購入担当者など人間が何らの処分を受けたわけではない。
「人が何らかの危害や不利益処分をされた」という事実が何もないのに、焚書の後に坑儒を付け加えるているわけで、比喩としても対応事実がなく、全く意味をなさない表現である。

 フェミニズムをはじめとする表現規制派は、そのクレーム攻撃の言い訳に【公共の場にふさわしくない】などのフレーズを使って責任逃れをすることが多い。「ただ意見を言っただけ」「判断は権限のある人がしたのだから何の問題もない」と。
 では、そのフェミニズム側の言論・表現がその権限ある判断によって「公共の場」から撤去されたら、フェミニストはどう反応するか?
 それを暴き出してくれた実例が本件である。

 彼女らは「市民の意見」「意見に対して権限ある人がやったこと」などと自分達が日頃、何の罪もない萌えイラストに対してやったクレーム攻撃が上手く行ったときのような態度と同じ基準で納得することなど、全く無かった。
 それどころか「福井発・焚書坑儒事件」「焚書坑儒現代版」「図書隠蔽事件」「ジェンダー図書排除事件」などと実情を全く表していない狂った命名をして大騒ぎしていたのだ。
 いくつかをスクリーンショットで紹介しよう。

 興奮したフェミニスト達は以下の「抗議行動」を行った。

・5月2日 福井県敦賀市議・今大地晴美ら、本件について情報公開請求。
・5月11日 同市議ら「抗議文」及び「地方自治法242条の2に基づく住民監査請求」提出。書籍を閉架に移したことは242条の2項の監査範囲である「財務管理」に当てまらないため後に却下。
・6月26日 閉架に移動した書籍のリスト150冊のリストを情報公開請求。
・7月27日 リスト非公開決定に対し、「情報非公開処分取消訴訟」予定を公表。原告は上野千鶴子ら。
・8月11日 県側が書籍リストを公表(リストの公開に推進員自身の同意があったため)。取消訴訟の「訴えの利益」がなくなり先述の取消訴訟が成立しなくなる。なぜかこれに「抗議」「公開質問状」が提出される(一般公表したことが「当事者はアタシたちのはずなのに!」と気に喰わなかったらしい)。
・8月26日 「ジェンダー図書排除問題を問う」抗議集会。
・8月29日 福井県男女共同推進条例20条2項に基づく「苦情申出書」を「『ジェンダー図書排除』究明原告団および有志」80名が提出。

 繰り返すが、フェミニスト達が本件を「焚書」「排除」「隠匿」「撤去」などと呼んだ措置の実際は単に「内容確認のために書籍を一時閉架に移しただけ」である。
 現在フェミニスト達は、性的ですらない萌えイラストに対して「公共の場」(とも呼び難いような正確には民間である赤十字社やJRに至るまで)を楯に排除行動を仕掛けている。
 それを「本当に公共の場」である福井県生活学習館に、はるかに軽微な「閉架への移動」という措置を自分達の本がされた際には、命名といい行動といい、そのヒステリーぶりは呆れるばかりであった。

参考リンク・資料:

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