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【ひとはみな、ハダカになる。】

 バクシーシ山下著。
 2007年に理論社の青少年向け教養書「よりみちパン!セ」シリーズのひとつとして出版。後に同シリーズがイースト・プレスに移籍したことにより2013年に増補版が発売された。

 本書自体は性についてのエッセイではあっても所謂エロ本ではまったくないのだが、著者がバクシーシ山下氏であったことを理由に、全国婦人保護施設等連絡協議会民営施設長会などの抗議を受けている。
 この抗議運動を契機に誕生したのが反ポルノ団体PAPSである。
 
 バクシーシ山下氏は、『女犯』など迫真的なレイプ物の作品を手掛けたことでフェミニストに蛇蝎の如く憎悪されている人物である。
 その憎まれようは、普通のドキュメンタリー映画【A DAY IN THE AICHI】が「あいちトリエンナーレ2019」に出展されたことさえ、PAPSの現副理事長・北原みのりが「監督がバクシーシの元同僚だ」という馬鹿げた理由でバッシングしていることを挙げれば充分であろう。

理論社への抗議

 PAPSの旧HPに記載されている、抗議側が危惧する「問題点」はこれである。

 同書の読者対象として設定されている中学生や高校生や小学高学年生がこの本を読み、山下の「デビュー作」として紹介されている「女犯」──徹底的な女性蔑視と女性への暴力を娯楽化した暴力AV──などを視聴したら何が起きるでしょうか。

PAPS (ポルノ被害と性暴力を考える会)

 まず本書の出版は2007年。とっくに18禁制度は始まっており、18歳以下の者は観ることはできない。そもそも気に入らなければ本人が観るのをやめるだけである。

大人でさえ、「女犯」を観たら多くの場合強い衝撃と精神的苦痛、心理的外傷などを受けます。子どもの場合、取り返しのつかない心理的外傷と、それによる身体的変調をきたす可能性が大人よりも、はるかに高いといえます。
 親が子どもにDV(ドメスティック・バイオレンス)を目撃させ、心理的外傷を負わせることは児童虐待にあたるとされていますが(児童虐待防止法2条4号)、それに照らせば、たとえ映像ではあっても、激しい集団的暴行と性的虐待のシーンを予期せず子どもに視聴させることは、DVの目撃に勝るとも劣らない「虐待」被害を生じさせる行為であるといっても過言ではありません。

PAPS (ポルノ被害と性暴力を考える会)

 それで結局、15年も経ってそのような被害は発生したのであろうか。
 PAPSはポルノ被害の相談を受ける団体を自称し、その被害を募集し続けてている団体だ。この15年の間に、彼らのもとに「『ひとはみな、ハダカになる。』のせいでバクシーシ山下作品を観て、精神的外傷を受けました!」という声が届こうものなら、PAPSはそれみたことかと大喜びで掲げているはずである。
 しかしそんな形跡は、彼らのHPのどこにもまったくない。
 いまだに、である。

 理論社は2008年12月17日、抗議側と話し合いを行った。全婦連(全国婦人保護施設等連絡協議会民営施設長会)の中間報告は、その経緯を次のように記している。

 2008年12月17日午後2時より5時40分まで3時間40分にわたって話し合いを持ちました。5人の代表世話人に支援者2名を加えた7人で、約1万筆の署名の束と各種団体から寄せられたメッセージ集を持参して臨みました。理論社側は、小宮山民人取締役・編集部長、清水檀編集長(「よりみちパン!セ」シリーズ編集責任者)、伊藤正克第二営業課長の3名が出席しました。
 理論社はバクシーシ山下のアダルトビデオを視聴した上で、著者に選んだとの事です。「このシリーズはこれから大人になっていくために必要な知識、青少年が知っている必要な知識で、しかしなかなか学校や家庭では教えられないものを伝えるコンセプトだ。人生の中で出会っていくさまざまな問題について、悩んだり躓いたりする問題の一つとして性がある。性情報があふれているからこそこの問題を避けて通らず、青少年にメディアリテラシーをつけなければと企画した。良い企画と確信を持っている」と言っていました。

理論社問題に関する中間報告(全婦連)

 要するに理論社は彼らの抗議に屈することなく、販売は継続された。
 ちなみにPAPSは「理論社はその後、経営陣を一新した上で再建されており、今では旧理論社の立場と一線を画した立場を取っています」とHPで述べているが、現在の理論社の立場とやらについてはっきりとは言及していない。

イースト・プレス社への抗議

 その後、理論社が倒産(現在は経営を再建している)した後になって、2011年に「よりみちパン!セ」シリーズはイースト・プレス社で復刊されることが決まった。

 このときもPAPSは本書を復刊しないようにイースト・プレスに要求し、「要望書」と「質問状」を送っている。
 この質問状の中には、次のような驚くべき情報がある。

 同じ理論社からその数年後に出版された梨木香歩氏の『僕は、そして僕たちはどう生きるか』(2011年、理論社)には、このバクシーシ山下の『ひとはみな、ハダカになる。』(直接明言されていませんが、明らかにこの著作を指しています)を読んだある少女が、バクシーシ山下に連絡を取り、実際にアダルトビデオに出演して、ひどい性暴力を受けて心身に深刻なダメージを受けたことを示唆する章が存在しています。その部分をコピーして同封しましたので、この問題の深刻さを考える上での参考にしてください。

イースト・プレス社への要望書(2011年8月)

 実際に本書のせいでバクシーシ山下のビデオに出演し、性暴力を受けて心神に深刻なダメージを受けた人がおり、それが書かれている本があるというのだ。事実なら重要な資料だ。
 筆者も実際にこの『僕は、そして僕たちはどう生きるか』という本を入手してみた。確かにこの本には『AV監督の著書に騙されてAV女優になり、深く傷ついた少女』の話が書かれていた。

 私はこの本を読んで非常に驚いた。
 そこに書かれていた実態が、あまりにも悲惨だったから...…

 ではない

「実際の被害」の真相


『僕は、そして僕たちはどう生きるか』という本。

 実は...…小説だったのだ。

 いや、本当である。
 一瞬、小説風に書かれたドキュメンタリーなのかとも思ったが、完全に小説である。PAPSがまるで事実が書かれているかのように言及し、題名もエッセイとしても不自然ではなかったので、てっきりノンフィクションかと思ったので本気で驚いた。
GUNSLINGER GIRLガンスリンガー・ガール』という漫画がある。スナッフフィルム(実際に人を殺してその様子を撮影したマニア向け娯楽動画が闇で出回っているという都市伝説)の犠牲にされて重傷を負った少女達が、改造手術を受けて兵士として活躍するという話である。もちろんフィクションだ。
 PAPSがやっているのは、その漫画を根拠に「スナッフフィルム」の実在を主張するようなものだ。

「そうは言っても、『僕は、そして僕たちはどう生きるか』は小説かもしれないけど、その中のエピソードは事実そのままを持ってきた可能性はあるんじゃないの?」

 と思うかもしれないが、それも違う。
 なぜなら『僕は~』中に出てくる「AV監督の著書」は、『~ハダカになる。』とは(元ネタにしたふしはあるものの)そもそも内容自体違っているからだ。
 しかも『僕は~』で作中の少女を「誘き寄せ」る機能を果たしていたはずの肝心要の記載部分こそが違うのである。

 たとえば『僕は~』中の「AV監督の著書」には「自分側が支払う方の金額、つまり素人モデルが手にできる金額のことは事細かに書いて」あり、それが読者が素人モデルに応募してくるよう仕向けられた罠だと言うのだが、実際の『~ハダカになる。』で、女優側の報酬について具体的な額が書かれた箇所は全編を通じて、わずか2文しかない。

たとえ人間の中身がいっしょであったとしても、報酬は、単体女優は一本の出演料がだいたい百万円というところ、企画のAVギャルたちは、その十分の一位以下のギャランティで出演をするのです。

ひとはみな、ハダカになる。

AVだと、単体よりもギャラの安い企画もののAVギャルでも、一回の出演でやれ七万だ十万だ、といった報酬が、運がよければコンスタントにもらえる。

ひとはみな、ハダカになる。

 この2か所だけ。しかも下で書いてあることは、上の内容の一部と丸かぶりである。これのどこが「事細かに」なのだろう。
 『僕は~』にはまたこうも書いてある。

そのエッセイのなかに、「(女の子が)若ければ若いほど世間のニーズは高い、かといって十八歳未満を使えば監督の自分も捕まるから困るんだ。でも募集してきた女の子が、私は十八です、高校も卒業しました、って詐称したらどうにもならない」、っていう、これもまた(例によって)さりげないぼやき口調の記述がある。これは嘆いて見せているようで、つまり、本人さえ、そう言い張れば、(ニーズがあるから)仕事することは出来る、ってことじゃないか。インジャにはそう読めた。

僕は、そして僕たちはどう生きるか

 引用のようにカッコ書きしているが、この文章は『~ハダカになる。』の作中にはない。というかそもそも『~ハダカになる。』はですます調で書かれている。

 インジャというのは被害少女のニックネームである。作中ではこのインジャという女子高生が金に困ってこの著者のAV女優に応募し、性被害に遭ったことになっている。
 が、18歳未満の高校生が実際に口頭で「言い張れば」AV女優がやれるわけではない。『~ハダカになる。』は現在のいわゆる「適正AV」の確立よりずっと前の本だが、それでも高校生は駄目だという慣例があった。まして口頭確認でをや、である。
 むしろそのことは『~ハダカになる。』にはっきりと明記されているのだ。

 率直な言い方をすると、この本を読んでくれている年代は、ぼくの天敵なんです。
 なぜなら、高校生にかぎらず、中学生までもが、身分証明書を偽造して撮影に応募してくることが本当にあるからなんです。そういう女の子の大人っぽさと証明書とを信用して撮影するとあとがたいへんです。だまされたのはこちら側だというのに、児童福祉法違反なんかで逮捕されて、こちらが全責任を問われてしまいます。
(略)
 たとえば、十八歳になっていない人間のことは撮影できないんですが、じゃあ、十八歳になっていれば誰でも撮っていいかというと、そうではない。十八歳のフリーターはいいが、十八歳の高校生はだめ。高校の卒業式がすんでも、三月三十一日まではだめ。

ひとはみな、ハダカになる。

 18歳以上という身分証明書が必要である。それでも偽造してくる人がいるという話だ。しかも少女側が年齢を詐称していたら「じゃあ仕方ないね」と監督側が助かるわけでもなんでもない、捕まるのだということも書かれている。
 つまりは『僕は~』に書いてある方法では、バクシーシ氏のもとでAV女優になることは、不可能なのだ。

 両方の本を読んでいれば、『僕は~』が『~ハダカになる。』を元ネタにしていたとしても、それはフィクションとしての翻案だという事が分かるはずである。
 しかしPAPSは「ある少女が、バクシーシ山下に連絡を取り、実際にアダルトビデオに出演して、ひどい性暴力を受けて心身に深刻なダメージを受けたことを示唆」していると強弁し、題名がエッセイっぽいのをいいことに小説であることすら伏せて、イースト・プレス社にその「少女が被害に遭った話」のコピーを送り付けたのだ。
 PAPSは、うまくすればイースト・プレス社が『僕は~』の実物を確認しないまま、小説であることに気付かず抗議に屈してくれるかもと思ったのかもしれない。こうした「ありもしない被害を偽ることも辞さない」というのは後の【AV出演強要問題】にも共通するPAPSの姿勢である。
 幸いにして、この「作戦」は通用しなかった。

抗議側の二連敗

 結局彼らの要求は理論社につづいて、イースト・プレス社にも撥ねつけられることとなった。
 特にPAPSのHPに転載されているイースト・プレスの公式回答は、極めて当を得たものであり、こうした抗議への模範的回答のひとつとさえ評価できるものである。

 なお、PAPS側はさらにこの公式回答に対し、再度の問い合わせ文書を送り、さらに拒否されている。ちなみにPAPSはなぜかこの2度目の問い合わせ・回答ともHPに掲載していないのだが、PAPSによれば次のような内容であった。

この2度目の回答は、当会に対して、「全体主義的で狂信的な傲慢さと攻撃性」「全体主義国家と組織に日常的に認められる倒錯性と欺瞞性」「卑劣で狂信的」「常軌を逸する執拗さと攻撃性」云々という異様な罵倒の数々を加え、最後には訴訟や刑事告発も辞さないとの脅しを加えており、まさにこの会社の体質をよく示すものとなっています。

イースト・プレス社問題

 察するにあまりにも手痛い批判が書かれており、掲載すると自分達に不利だと判断したのであろうか。情けない話である。

参考リンク・資料:

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