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 Time(時)Place(場所)Occasion(場合)で、通常は「時と場合(を弁えろ)」という程度の意味の和製英語。
 表現規制に関する議論においては【公共の場にふさわしくない】とほぼ同様の使われ方をし、問題点もほぼ同じである。
 すなわち規制派側が、実際に有害性を示せない表現に対して「TPOをわきまえるべき」という不明瞭な排除命令を投げつけるためだけに発言するだけの言葉となっている。

 フェミニストのツイート分析を行っている幻集郎氏は、表現規制理由に挙げられがちなワードがどの時期に愛用されているか、一人のフェミニスト(@naka__35)の呟きを定点観測している。

 その結果「性的搾取」「性的客体化」など他のワードが使われなくなっていくのに対し「公共の場」「TPO」は長く使われ続けていることが分かった。
 これはフェミニストの挙げる規制正当化理由のうち、この2つが特別にふんわりしており(つまり特別に無意味であり)、論理的な評価を免れていたためであると考えられる。

 つまりフェミニストをはじめとする表現規制派が「TPOの問題だ」と言い出したら「何の根拠もありません」と言っているのと同じなのである。

 その無意味さの極致とも言えるのが2022年2月の【サイゼで喜ぶ彼女】叩きの時に出現したこのツイートであった。

 遂にこれ(↓)が「TPOを弁えていない」ことになりました。
 もはや「TPO」という言葉が、何ひとつ有効な論点を提供しない単なる無意味綴りにまで堕してしまったことが良く分かる。

 面白いことに反例も「公共の場」と同じ、上野千鶴子による東大入学式祝辞事件である。
 入学式は当然ながら新入生の入学を祝うための場であり、そこで新入生本人に対して「お前達男子生徒は努力の結果ではない」と言い放つことにはTPOの欠片もない。
 しかし、日頃ポスターに描かれたアニメキャラクターの胸の大きさにまで「TPOを弁えろ!」と叫んでいたはずのフェミニスト達は、この時なんらTPOに対する意識を発揮せず、上野に快哉を叫んでしまったのである
 彼女らにとって「男」たちが罵声を浴びせられたことの快感に比べれば、あれほど大事だと嘯いていたTPOなど一顧だにする価値のないものであったのだ。

参考リンク・資料:

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