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【超サイヤ人】

 鳥山明による大ヒット漫画『DRAGONBALL』の作中概念で「スーパーサイヤじん」と読む。同作は週刊少年ジャンプに1984~1995年にかけて連載された冒険バトル漫画であり、日本漫画史上最大のヒット作のひとつに数えられる。

 主人公である「孫悟空」は、赤ん坊のころ侵略のために地球に送り込まれた「サイヤ人」という異星人であることが物語中盤に明らかになるのだが、超サイヤ人とはその一部の者が変身できる、戦闘能力を著しく強化した姿のことである。
 この状態になった者は髪が逆立ち、金髪と緑色の瞳へと変化する。

 これを「日本人による白人コンプレックスのあらわれ」であると誤認して批判される場合がある。酷い場合には下記の意見のように、実際には緑色である超サイヤ人の瞳を、先入観から青だと誤認している

 彼らの思い込みに反して、超サイヤ人の配色には有名な誕生秘話がある。
 原作者・鳥山明氏は当時あまりにも忙しく、髪を黒塗りするのを省略するため白いままとしたからなのだ。漫画ではベタやトーンを使わない白抜きの髪色はコーカソイド風の金髪を表現するのにも使われるため、金髪のルックスとなったのである。いわば偶然の産物であり、白人コンプレックスという指摘は全く当たらない。
 個人ツイートばかりでなく、ネット記事にもこうした思い込みで批判を展開しているものがある。

 ここでわかるのは、作者の鳥山明は、黄色人種よりも白人の方が強いものとして、表現していることです。そして読者である私たちはそれを(自然と)受け入れています。 鳥山明は日本人のコンプレックスや白人への憧れを、強さの表現として利用しているのです。(略)国民的アニメ「ドラゴンボール」からは、日本人の人種に対する考え方が垣間見えるのです。グローバル化する社会の中、私たち日本人は、人種の垣根をまだ越えられていないのかもしれません。

漫学:アニメや漫画を哲学のように紐解くサイト『ドラゴンボールの超サイヤ人が金髪になる本当の理由』

 もちろん真の配色理由についてはファンの間ではよく知られた話であるため、SNS上で「超サイヤ人白人説」が登場すると、たちまち訂正が入るのがオチである。
 しかし興味深いことに、この「反人種差別主義者」たちはそれに安堵したり納得するのではなく、一様に攻撃的な態度を取り始めるのだ。

 いわゆる逆ギレである。
 このような態度の理由は、そもそもこうした「ポリコレ」的批判は、実際の差別をなくすためというより、自分より「意識の低い」他者を見下したいという動機で発せられていからだと思われる。
 気持ちよくお説教できるつもりでいた彼らポリコレ闘士たちは、見くだす予定であった相手に、自分をはるかに上回る知識教養を発揮されてたしなめられると、深くプライドを傷つけられ、攻撃的な言動に走ってしまうのだ。

『DRAGONBALL』の作中、「変身して強くなる」者は超サイヤ人以外にもいろいろと存在する。そもそも超サイヤ人になれないサイヤ人もすべて「満月になると巨大な猿になり、戦闘力が10倍になる」という資質を有している。また敵として登場するザーボンという宇宙人は、優男の姿から醜男へと変身して強くなる。
 超サイヤ人が白人崇拝なら、これらの表現はサル崇拝や不細工崇拝を著していることになってしまうのだが、『DRAGONBALL』に対するそうした評価はついぞ聞かれることがない。大騒ぎしているのはポリコレにかぶれた「白人崇拝」批判者だけなのだ。

 また原作終了後に作られた『DRAGONBALL GT』『DRAGONBALL超』などのアニメオリジナル続編では、超サイヤ人を超えたさらなるパワーアップ形態が続々と登場するが、それらの髪色も黒・赤・青など様々である。

 そもそも連載初期から登場しているヒロイン・ブルマの水色の髪など、同作も日本のアニメーションの相当数がやっているように様々な配色のキャラクターを登場させているのであり、たまたまそれが黄色や金色だった場合にだけ人種偏見と結び付けるのは我田引水と言って差し支えないであろう。

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