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承認欲求との付き合い方🤤

こんにちは!心理カウンセラーのhitoeです🌸

今回は承認欲求についてです!

人は誰しも少なからず「認められたい」という気持ちを持っています。

それ自体は悪いことではありません。承認欲求と上手く付き合うことが大切なのです。

「人間は最終的にとことんのところ何を欲しているのか。それは世に理解されることであり世に認められることである。 理解され認められれば、その心ゆかたな自覚をテコとして、誰もが勇躍して励む。それによって社会の活力が増進し誰もがその恵にあずかる。この場合、世間とは具体的に自分に指示を与える人であり働きをともにする同僚である。この人たちから黙殺または軽悔されるのは死ぬより辛い。逆に自分が周囲から認められているという手応えを得たときの喜びは何事にも替え難い」
「人間は息をひきとるまで生涯をかけて、私を認めてくれ、私を認めてくれと、声なき声で叫びつづける可憐な生き物なのだと思われる。」

(谷沢永一著「人間通」より)


今回はそんな承認欲求について、掘り下げていこうと思います。

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1.承認欲求の意味

承認欲求とは、他人から認められたいと願う感情のことです。

マズローの5つの欲求(生理的欲求、安全欲求、社会的欲求、承認欲求、自己実現欲求)のうち4番目の欲求に位置付けられ、「他者から認められたい、尊敬されたい」と願う気持ちのことを指します。

マズローの欲求五段階についての詳しくは👇

豊かな現代において人のモチベーションを上げるものは、

お金など物質的なものよりも、社会的に評価されたい、人に認められたいという承認欲求となりつつあると思います。

2.誰に認められようとするのか

承認欲求は、よく観察すると多くの行動の動機になっていることがわかります。
子供は両親から褒められ認められることが大好きで、学生になるとクラスの仲間から認められようと一生懸命になるー。

誰に承認を求めるのか、そして何によって認められようとするのかは人それぞれですが、通常は自分の身の回りの人達から認められようとします。

しかし、それが叶わないとネットやSNSを通じて、自分を認めてくれる誰かを探すようになっていきます。

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3.こじらせるとヤバい?

承認欲求はその名の通り「欲求」なので、お腹が空いた、寝たいと同じように、その人が満たしたいと感じているものです。
そしてその満たされていないものを満たそうとする心の働きは行動の動機(モチベーション)につながります。

これはうまく発揮されればモチベーションの元になる大切なものですが、あまりにも満たされないと欲求不満に陥ってしまう危険もあります。
「この人、承認欲求が強すぎて・・・💦」と感じてしまう人に出会ったことはありませんか?(私はあります)

承認欲求が強すぎる人は、何かしらのアピールをすることをやめられません。例えば次のようなものがあります。

自分が有名人と知り合いであることをアピールする
ブランド品などの持ち物をさりげなく自慢する
過去の栄光など昔の話を繰り返す


全て求めているものは他者からの承認です。自分自身と自分以外の何か権威のあるものを結びつけて、自分自身にも同じように価値があると認めて欲しいわけです。
それにより自分が特別な存在なんだと確認したいという心理からくるものです。

また、逆にいかに自分が不幸な境遇にいるかをアピールすることによって特別であろうとする、不幸自慢という手段が取られる場合もあります。
これも前者と同じように自分という存在を特別なものとしたいという心理が働いています。

4.なぜ強くなりすぎるのか

承認欲求が強すぎる人たちは、「すぐに調子に乗り、落ち込みやすい」という特徴があります。これは自己評価を他者からの承認に委ねているからです。他者からの承認によって自分の存在意義を確認しようとしているので、逆を言うと他者からの承認が得られなければ自分の存在意義を確認できないつまり「私ってなんの価値もない人間?」となってしまうわけです。

「点数を取れば学校に入れてあげよう。」
「勉強を頑張れば褒めてあげよう。」
「みんなと同じにしてれば仲間。違っていたら仲間はずれ」

日本の社会においては、誰もがそんなメッセージを少なからず受け取りながら成長してきました。そこには、条件をクリアしなければ仲間外れにされてしまう怖さがあります。

これは、「マズローの欲求5段階」で言えば、3番目の「社会的欲求」と4番目の「承認欲求」が入れ替わってしまっている状態です。

本来なら「社会的欲求」(愛と所属、仲間を求める欲求)が満たされた後に、「承認欲求」(価値ある存在として認められたいという欲求)が生まれるはずなのに、順番が逆というわけです。

人間には自分のことを無条件で受け入れてくれる存在(経験)が必要です。これがなければ、ベーシック・トラスト(基本的信頼)つまり自己を肯定する自覚を持てません。

この自己に対する信頼と社会や周囲に対する安心感が持てないと、必要以上に他者の承認に頼ることになってしまうわけです。
相対的に自己肯定感が低く、自分に自信がなく、周囲に合わせる傾向の強い日本人の特性はこの辺りからきているのかも・・・(あくまで個人的な意見です💦)

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5.承認欲求とSNS疲れ

急激に普及したSNSですが、これらと承認欲求は非常に密接に関係しています。自分がSNSに投稿した内容に対して、他者が「いいね」を押してくれたり何かしらの好意的な反応をしてくれるということは、まさに自分が承認されていると感じることができます。
SNSを使えば、手軽にさりげなく自分をアピールできるかつその反応がわかりやすく「可視化」されているので、承認欲求を満たすのにこれほど便利なツールはないのです。

しかし、今では「SNS疲れ」という現象が起きています。誰かの承認を得るために投稿される、いわゆる「リア充」的な友達の投稿に嫌気がさしたり、自分自身もそこに必死になることに疲れてSNSをしなくなるという現象です。SNS断捨離も最近耳にしますよね。(私もやっています!)詳しくは👇

6.承認欲求を否定するアドラー心理学

周囲の目を気にする日本人は他人の評価に対する意識が高く、周りから認められることを重視する傾向にあります。つまり承認欲求が強い人ほど他者への依存度が高くなるのです。

この辺りが承認欲求のややこしいところです。
「他者から認められれば自分の価値や存在意義を実感できる」けど「他者から認められるためには常に他者の評価を気にして生きていかなくてはならない息苦しさがある」のです。

アドラー心理学では承認欲求を否定しています。承認欲求は不自由だと言います。

「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない。他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を生きることになる。」
「自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。」
「確かに嫌われることは苦しい。できれば誰からも嫌われずに生きていたい。承認欲求を満たしたい。でも、すべての人から嫌われないように立ち回る生き方は、不自由極まりない生き方であり、同時に不可能なことです。 自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。」


もちろん、わざわざ人に嫌われるような振る舞いをすることはないけど、人に嫌われることを恐れて自分を殺して生きるのではなく、たとえ人の承認が得られず嫌われようとも自分の信じる最善の道を選ぶべきというのがアドラーの考え方です。

(岸見一郎著「嫌われる勇気 」より)

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7.うまく利用していこう!

承認欲求は、承認されたい対象によって2つのタイプに分かれます。

①他人から認められたいという他者承認
②自分自身が自分を認めているかという基準で自分自身を判断する自己承認

もちろん、他者に承認を求める気持ちは誰にでもある健全なもので悪いことではありません。しかし、他人に認められるために自分を犠牲にしてまで求めるなど承認欲求が強すぎると問題が生じてきます。

自分の中にしっかりとした評価基準を築き、必要以上に他人からの承認を求めず、その上で他人の役に立つ喜びをモチベーションに変えていくことができればベストです✊

承認欲求は時にやっかいな存在であると同時に、時にモチベーションを上げる上で大きな味方になってくれるものでもあります。
自分の承認欲求にも、他人の承認欲求にも無自覚に踊らされることなく、その特徴を理解して上手に活用していくようにしましょう🍃

最後まで読んでいただきありがとうございます🌸

hitoe💋

現在クラファン挑戦中です!ご支援ご賛同よろしくお願いします!

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