見出し画像

自信を持てることは後で気付くことが多いよね

1993年1月4日京都府で生まれました。

生まれたときから喘息で入院するほど体が弱く、物心がついたころには周りの友達が何食わぬ顔でやれることが自分には難しいと思っていました。

激しい運動をすると発作が出るうえ、自分の限界以上の行動をしようとすると貧血で意識を失う始末。

友達はいたけれど社会人でいうところの「社交辞令」のような関係でしかないし、一緒になって1つのゲームに夢中になったりスポーツや習い事に精を出すなんて物理的に不可能。

小学校3年生あたりからはいじめられっ子?みたいなキャラで過ごすことにもなって「自分の人生はやく終わらないかな」と思うことが多かったです。

こういうパターンってだいたい家にゲームや漫画などの趣味があって「引きこもり」になりがちだけど、僕の場合は両親が厳しく家にそんな楽しい趣味はなかった。

子供なりに劣等感を感じていたけど、今考えてみたら恵まれた家庭環境だったとも思います。

じゃあ家で何をしていたかと言うと「ただ座る」「ただゴロゴロする」のみ。

さすがに両親も学が無くなることを懸念してか、進研ゼミに入会してくれて自習は適度にやっていました。

後日書きますが27才のときに何を思ったかプログラミングを趣味でやることになって、それがきっかけでIT会社を立ち上げエンジニア事業をやることになります。

「自走できない人はプログラミングに向いていない」なんて玄人のエンジニアが発信していますが、僕の場合は子供の頃の進研ゼミが意外と良い効果をもたらしてくれたようです。

学校に通うことができていなかったけど、家にマンガがなく唯一の本である進研ゼミを「遊び感覚」でやっていたことで大人になってからも自習というものに一切抵抗がありませんでした。

誰かが作ったドキュメントや成果物を参考にして、目の前の課題を解決するというエンジニアにとって一番大事なマインドは20年経って活きているのはありがたいです。

高校生にもなると地元の公立校では進学クラスに入学できるほどの学力になりましたけど、高校3年のときにどういった訳か勉強への熱が冷めてしまいます。

「偏差値はどこまで上げたいか」
「どの大学を第一志望にするか」
「学部は何系にするのか」

こういった誰しも考えることが「どうでも良い」と感じるようになったんです。

結局、指定校推薦という学校の成績が良ければ試験なしに入学できる方法で関西大学(大阪府吹田市)の建築学科に入ることに。

「何で建築にしたのか?」と聞かれると非常に困ります。消去法だから。

今思い出したのですが、あの時ギリギリになって「自分の成績だと無理だろ」と弱気になって関西大学への申し込みをキャンセルする相談を担任の先生にしました。

「もっとレベルの低い大学に変えても良いけどチャンスがあるなら関西大学にした方が良い。就職にも有利だから」

と説得されて結果的に関西大学に申し込んで、ありがたく入学することができましたが実は裏話がありました。

そうやって弱気になって担任の先生と会話している近くで、別のクラスの先生が僕たちの会話をひそかに聞いていたそうです。

その先生のクラスから僕よりも成績の良い子が同じく関西大学に申し込みしようとしていたそうです。

当時のルールでは「1人まで」という制限があり複数人が申し込んだ場合は成績順にふるい落とされる仕組みです。

そのままだと僕は成績で負けて関西大学には行くことはできなかったのです。

ただ何でか分からないのですが、その先生は僕たちの会話を聞いて「競争になったら負けるかも」ということで関西大学への申し込みを辞めさせるように自分の生徒に促してその通りになったそうです。

弱気になって相談したことで逆に僕としては何の苦労もせずに第一志望の大学に入ることができました。

どこで何が起きるか分かりませんね。

指定校推薦は10月あたりに決まってしまうので、クラスのなかで僕は「高校生活が終わった人」という感じになりました。

そりゃそうですよね、10月っていったら部活も引退してこれから受験に向けて追い込みをかける時期です。

「食事と睡眠以外は勉強する」
「みんなで現役合格して友達と同じ大学にいく」

ウチの高校は公立にも関わらず「○○に10人合格」「現役〇%」なんてうたい方をしていたので、受験勉強も青春のひとつでした。

そんな中でさっさと進路を決めて残りの学校を消化試合のように出席する僕は空気が読めてないやつ認定です。

高校ではいじめられてないですが、結果的には1人で過ごすことが多くなり家でパソコンをいじって時間を潰していました。

何の自慢でもないですが、暇すぎて2009年に上陸したYoutubeは初期から見ています。

まだ登録者がぜんぜんいない頃のHIKAKINさんを陰ながら応援していたのを覚えています。

当時は今のようにプログラミングをするなんて1㎜も考えていませんでしたが、インターネットに強い興味というか大きな可能性を感じていました。

昔から「友達100人つくって…」なんてタイプでなかったので、パソコンだけで世界中の人と間接的に交流できることに感動していました。

一番ハマったのはYahoo知恵袋。

卓球を6年間やっていたので誰に頼まれたわけでもなく卓球の質問に回答しまくっていました。

今こうしてブログを書いているのもYahoo知恵袋に書き込みまくったことで、「文章を書くこと」への抵抗感がないからかもしれません。

あと社会人だと当たり前のブライドタッチも、このときに身に付けてました。

時代が変わって最近だとパソコンよりもタブレットやスマホがメインなので、ブラインドタッチやキーボード入力ができない新入社員が多いらしいですね。

プログラミング講師の仕事もやっているのですが、入塾される半分くらいの方が「これからパソコンを買います」という状態で正直びっくりです。

「自分の人生なにも無い」と思う方もいるようですが、こんな感じで自分では大したことないと感じることが意外とちょっとした特技に見られることもあるようです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?